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  写真ルポ「この大地(フクシマ)奪われし人々」から見えるもの − 数字の怪と基本的人権   2018年9月24日  
  菊池和子さん(写真家)  
 

「この大地奪われし人々」表紙

中間貯蔵地となる我家(大熊町向畑 2017.4.21)

被曝覚悟で乳牛全頭を預ける(浪江町南津島 2014.9.30)

生活のそばの放射能汚染ゴミ(福島市野田 2018.7.17)

  東電福島第一原発事故による生命・財産・生業など、福島の人々の喪失・損失は計り知れない。まさに憲法に保障された基本的人権の侵害以外の何ものでもない。そして、その後の国の放射能対策が、被災した人々をだまし討ちにし、追いつめている。

 今年に入ってから「この大地奪われし人々」の表題で首都圏を中心に写真展、スライドトークを25か所ほど行って来た。そこで、放射能についての「数字の怪」を2点お話ししている。

【数字の怪1 被曝限度が年間20mSv】
 ICRPの勧告に準じて定められた国際基準の一般公衆の被曝限度は、年間で1mSv(ミリシーベルト)である。この1mSv/年でさえもできるだけ被曝しない方が良いに決まっている。しかし、福島ではとんでもないことがまかり通っている。国際基準1mSv/年がいつの間にか20mSv/年まで引き揚げられ、この高線量も「基準値内」ということにされたのだ。そして、「基準値内だから安全」と思わせて、「帰還政策」が進んでいる。
 事故1か月後(2011年4月)、文部科学省は福島の学校の校庭利用制限を年間に直すと20mSvまで可能とした。子ども達にとって非常に高い数値のため日弁連や医師会など反対したが、5月末には福島県内の学校・保育所に積算線量計を配り、校庭が高線量の所は除染すると言って、「被ばく線量の限度」が20mSv/年となったのだ。それ以後、20mSv/年は大手を振って「基準値内」となっていく。その数字の怖さをわかりやすい例でいうと、病院などの放射線管理区域(レントゲン室)で働く人の職業被曝限度(5年間で100mSv)とほぼ同じなのである。これを単純に直せば限度が20mSv/年となる。しかし、レントゲン室は18歳以下入室禁止、飲食禁止である。もちろん妊娠中の職員はいない。それと同等の所に帰還すれば、長時間、しかも何年も住む訳だから被ばくリスクは高くなり、年月とともに積算される。
 「20mSv/年以下になった所は避難指示を解除する」は、誰が言い出したのであろうか?
 原子力規制委員会は2013年11月に「帰還に向けた安全・安心対策に関する基本的考え方(案)」の中で、「被ばく線量20mSv/年以下の地域は帰還可能」と提言した。それを受けて、翌2014年3月10日に政府は田村市都路地区を皮切りに避難指示解除を行った。レントゲン室と同等の所に、子どもも妊婦も含めて帰れとなったのだ。これが、基本的人権の侵害でなくてなんなのであろうか。そうやって住民の更なる被ばくと援助の打ち切りが進んだのだ。

【数字の怪2 8000ベクレル/kg以下の放射能汚染ゴミ】
 福島の地には黒い袋(フレコンバッグ)に入った放射能汚染ゴミが至る所にある。特に避難指示解除を目指した所は莫大に出た。避難指示が出なかった所も、空間線量を下げようと住宅地を中心に除染が行われた。そうやって出た膨大な放射能汚染ゴミを、都市部では住宅の敷地内に置くか埋めた。山間部では耕作放棄地や山あいに何段も積みあげた。
 原発事故以前は、放射性セシウムなどで汚染された100ベクレル/kg以上の放射能汚染ゴミはドラム缶に入れて原発敷地内で保管することになっていた。それが、なんと8000ベクレル/kg以内だったら燃焼、埋立、再利用してもよいとなったのである。一体誰が考えたのだろう?
 2011年5月、環境省は、「災害廃棄物安全評価検討会」と名付けた検討会の第1回目を行った。その検討会で上記のことが提案され、6月の第3回目には、「福島県内の災害廃棄物の処理の方針」が決まったのである。その後、災害廃棄物から汚染土へと拡大され、8月には国会で「放射性物質汚染対処特別措置法」が成立した。これによって住民を汚染地域に住まわせたまま、汚染物質の方を除去するという除染の考え方が法律化し、基準は環境省の定める範囲になったのである。被災前には100ベクレル/kg以上は隔離だったのが、なんと80倍も基準が緩み、燃やしてよし・埋立てよし・再利用よしとなったのである。再利用に関しては今実証実験中である。

 避難指示で逃げた人、指示がない所でも逃げた人、逃げなかった人、帰ってきた人、帰ってこない人は皆等しく生きる権利を持ち尊重されねばならない。しかし、事実は国によって、放射能の存在が曖昧にされ、住民同士は疑心暗鬼となり、家族は離散し、健康被害を被っている。フクシマの人々の小さな声は、記録されねば消えていく。

 

菊池和子(きくち かずこ)さんプロフィール

1945年中国石門市(現河北省石家荘)生まれ 東京学芸大卒 東京都公立小学校教諭となる 48歳で現代写真研究所入所 2000年教職を辞し、ポルトガル・リスボン市に移住 2008年帰国 現在に至る 主な作品「しんちゃん」「チマ・チョゴリの詩が聞こえる」「命の限り」「PORTUGAL」「フクシマ漂流」「フクシマ無念」「この大地奪われし人々」その他

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