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「みんないい娘なのに」こんな平凡な言葉しか浮かばない。少女厚生施設を出るとき、カメラに手を振りかえす女の子。彼女が出ていく、これから彼女を待ち受ける冷たく厳しい社会が想像できて。
彼女らに与えられた罪名に反して、どの娘もどの娘も、憎らしいとか、ワルらしいとか、ちっとも、そんな感じが起こらない。いわば純真そのもの。きっとそれはこの映画の作り手の視線であり、切り取り方から来るものでもあるのだろう。それでも彼女たちを取り巻いている社会の方が彼女たちにとって、あまりにも非情、酷なのだ。
高い塀に囲まれたイランの少女更生施設。無邪気に雪合戦に興じる、あどけない少女たちの表情を見ていると、ここが厳重な管理下におかれた更生施設であることを忘れてしまいそうになる。
ここには強盗、殺人、薬物、売春といった罪で捕らえられた少女たちが収容されている。社会と断絶された空間で、瑞々しく無邪気な表情をみせる少女たち。貧困や虐待といった過酷な境遇を生き抜いた仲間として、少女たちの間に流れる空気は優しく、あたたかい。しかし、ふとした瞬間に少女たちの瞳から涙が溢れ出す。自分の犯した罪と、それに至った自分の人生の哀しみを思う時に。(『少女は夜明けに夢を見る』オフィシャルサイトより)
宗教指導者が、お祈りと説教にやってくる。「今日は人権について話そうと思う」。
矢つぎ早な少女たちの質問と疑問が吹き出して、飛び交う。きっと言葉にすることのなかった彼女らの憤懣、そしてそれは、この映画の作り手が彼女たちのそれらの言葉に託したメッセージなのか。
映画を見ている私たちは、「たぶんイランという国が特殊なんだろう」と思いたがる。あるいはイスラムという社会だからか、などと。こんな異常はそんなところに原因があるに違いないと思いたがる。
しかし、私たちがどれだけイスラムやイランのことを知っているのか。イラン以外の国や他の宗教や社会にあってもどれだけそこで起きていることと、その中で生きている人の気持ちがわかるのか。その境遇にある少女たちの気持を想像できるのか。
そう考えて、それはなにもイランや、イスラムに限ったことでない、世界の各国でそれぞれ、そして私たちの国や社会でも私たちが何も知らないだけで、知ろうとしないところで起きている、同じような気持で多くの少女たちが苦しんでいることが映画の進みと共にようやく想像できてくる。
それは男性である自分自身が、その性の違いから鈍感で、何も知ろうとしないままに彼女たちの問題に、感受性も持ち合わせず、イマジネーションも持っていなかったことに気づかせる。
演出をほとんど感じさせない。取材している感じもない。監督は、ただただ彼女たちの話を聞くばかり。あるいは話し相手になっている。
話し始めた彼女たちに対して監督は素直にうれしさを声に出し、自分の娘の話をして、彼女たちを涙ぐませたことを、心から「すまない」と感じていることがわかる。「私と同世代のあなたの娘は愛情を注がれ、私はゴミの中に生きている」と言われて。
映画としての作為はほとんど無いのに、どうしてこんなに映画自体が端正なのだろう。作り手の誠実さ。彼女たちの純真さか、苛酷さをたたえた緊張からか。泥の中に咲く蓮の花のような澄み切った美しさを感じさせる。
けっしてメッセージを何か伝えようとするものではないのに、映画全体から彼女たちの渾身のメッセージが伝わってきて、私はいま当惑している。
印象に残った彼女たちのことば。
監督「ここは痛みだらけだね」
ソマイエ「四方の壁から染み出るほどよ。これ以上の苦痛は入りきらない。ここのみんなは同じような経験をしている。だから一緒に過ごせるの。娘に売春させたお金で、薬を買うような男が私たちの父親なの。全員よく知ってる。お互いの痛みを理解し合ってるわ。」
【スタッフ】
監督:メヘルダード・オスコウイ
製作:オスコウイ・フィルム・プロダクション
2016/イラン映画/ペルシア語/76分ドキュメンタリー
原題:Royahaye Dame Sobh/英題:Starless Dreams
配給:ノンデライコ
第66回ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門 アムネスティ国際映画賞受賞
第19回フルフレームドキュメンタリー映画祭 グランプリ・インスピレーションアワード、ほか
【上映情報】
岩波ホール(2019年11月2日〜12月6日)
横浜シネマジャック&ベティ(2020年1月18日〜24日)ほか
http://www.syoujyo-yoake.com/theater.html
【オフィシャルサイト】
http://www.syoujyo-yoake.com/
【予告編】
https://www.youtube.com/watch?v=IBCkS-iibHw&feature=emb_logo