映画『シカゴ7裁判』(原題:The Trial of the Chicago 7)
要所要所に入るモノクロームのニュースフィルムが、この映画が1968年、50年前に起きた事件と裁判を描いたもので、フィクションではないことを確認させます。それほど50年前のこの裁判自体が、そのラストに来て、予想できなかった「劇」的な展開を見せるのです。
映画の経過、裁判官、検察、弁護人、そして被告人達の言ったセリフは、すべて審理記録をもとにしているそうです。だからこそ法廷の緊迫感が伝わり、言葉のひとつひとつが生々しく、含みがあり、時々に変わっていく人の心の内が見えるようです。
【ストーリー】
1968年。大統領選挙を控えた8月28日、イリノイ州シカゴで民主党の全国大会が開かれていた。それに合わせて全国から反ベトナム戦争派の若者たちが集結し、集会やデモを繰り広げていた。そして、会場近くのグランド・パークでは、デモ隊と警察が衝突し騒乱となり、数百名の負傷者を出す事件へと発展した。
共和党のニクソン政権が誕生した約5ヶ月後、デモに参加した各グループのリーダー的存在だった7人が、暴動を扇動したとして共謀罪などの罪に問われ、法廷に立つことになる。型破りなメンバーたちは、保守的な裁判長に反抗し、繰り返し法廷侮辱罪に問われる。
弁護士のクンスラーは起死回生をかけて、クラーク前司法長官を証人として召喚する。クラークは当時の捜査で暴動のきっかけを作ったのは警察側であるという結論に至った事を証言する。(ウィキペディア『シカゴ7裁判』概略より)
今のアメリカの人々、若者をはじめ、それぞれの世代の人々は、この50年前の市民、学生の反戦運動、そしてそれをめぐっての裁判を描いたこの映画を見て、何を考えるのでしょう?
今のアメリカの政治、社会状況と重ね合わせて感じ取る人が多いのではないかと思います。黒人に対する警官の暴行に始まった差別反対の市民デモ、厳然と残る人種差別、アメリカが二分されている状況、フェイクとデタラメさが権力を持った4年間、その果てにもつれ込んだ大統領選、社会の格差、差別、分断。そうした中にあって国民の相互不信がさらに酷いものになっていて、解決の道が示されていません。
それはまた、私たちの国においても、同じ分断の問題が放置されていることに気付かせます。政治の場ばかりでなく、きちんと論議して納得のいく解決をしていくという、人と人との関係、民主主義の基本が尊重されていません。むしろそうしたこれまで築かれてきたものが壊されていく、そんな現実に気付かされます。
しかしこの映画には、希望があります。映画の作り手は、そこのところをもっとも訴えたかったのでしょう。分断されていても、ぶつかっていけば、つながっていく奇跡のようなことがあると。
シカゴ7(セブン)と言っても、急進派であるブラックパンサーのボビー・シールを含めて8人、それぞれの言っていることも、言い方も、法廷での態度や振る舞いもバラバラ。彼らの様子を見ていれば、それを「『共謀』してデモ隊の暴力行為を扇動した」と包めようとしても、どだい無理な話であることがわかってきます。
ところが、超保守で、被告人の発言の度に「法廷侮辱罪」と言い放つ裁判長の横暴な法廷指揮のおかげで、バラバラなはずの被告人達が一致団結して闘うようになっていく、そこのところが面白く描かれます。
裁判といっても、国が戦争をしている中にあって、権力にとっては反戦の主張など頭から抑えつけなければならない。警察も、検察も、裁判所も反対するものを取り締まるためにどうすれば良いかしかとらえていない。「戦争が続いているのだ、若者が戦場で血を流して戦っているのに、それに反対するとは何事か」と言うところです。
しかし時代は変わりつつありました。それが裁判にも影響して行きます。彼らがなぜ戦争に反対する集会に参加したのか、そこで訴えたものは何だったのか、おそらく社会の関心がそうしたことに気付き始めてきたのでしょう。それはベトナム戦争に反対する、正義ではない戦争に若者が殺されていくのを止めなければという社会に動きが変わっていったのでしょう。
クライマックスで、裁判の最後、裁判長から陳述を求められた被告人のひとり、ヘイデンは、裁判の最中も続いているベトナム戦争で戦死した米兵の名前と年齢を次々と読み上げます。彼は自らの「訴え」を戦死者の名前を読み上げる形で表現しました。
激高する裁判長をよそに、他のメンバーや弁護士、傍聴人までもが起立し、ついには検事も立ち上がり死者への哀悼を示しました。保守強硬派の裁判長をも孤立させるような、社会の、人々の思いに通じるものがヘイデンの訴えの方法にあったのです。素直な心からの訴えがそういう形をとったということなのでしょう。ここにも、政治と、裁判と、社会運動とそれらを超えていくものがあるように思いました。
さて私たちはこの裁判から、この時、人々の中に一致した気持となったものから、何を学ぶでしょう。日本でも50年前の反戦を訴える市民の闘い方を映像で振り返る機会がいくつか作られています。そうしたものを振り返り、そこで得たものを活かしながら、あきらめないで、いまの問題に取り組んでいきましょう。この映画は、分断に対しても、つながりを持って行けることを教えてくれます。それが社会を変えていく力になります。
【スタッフ】
監督・脚本: アーロン・ソーキン
プロデューサー: マーク・プラット、スチュアート・ベッサー、マット・ジャクソン、タイラー・トンプソン
製作総指揮: ウォルター・パークス、ローリー・マクドナルド、マーク・バタン、アンソニー・カタガス、ジェームズ・ローデンハウス、ニア・ヴァジラーニ、他
撮影監督: フェドン・パパマイケル
プロダクションデザイナー: シェイン・ヴァレンティノ
編集: アラン・ボームガーテン
衣装デザイナー: スーザン・ライアル
音楽: ダニエル・ペンバートン
キャスティング: フランシーヌ・メイズラー
【キャスト】
エディ・レッドメイン
アレックス・シャープ
サシャ・バロン・コーエン、
ジェレミー・ストロング
ジョン・キャロル・リンチ、
ヤーヤ・アブドゥル=マティーン二世
ダニー・フラハティ、ノア・ロビンズ、
マーク・ライランス
ジョセフ・ゴードン=レヴィット
フランク・ランジェラ
マイケル・キートン
ベン・シェンクマン
ジョン・ドーマン
J・C・マッケンジー、
ケルヴィン・ハリソン・Jr
ケイトリン・フィッツジェラルド
2020年/アメリカ/130分/英題:The Trial of the Chicago 7