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シネマde憲法

映画『記憶の戦争』(原題:기억의 전쟁 英題:UNTOLD)

 花崎哲さん(憲法を考える映画の会)



 50年前、韓国軍を派兵し参戦したベトナム戦争を、韓国の人たちがどのように捉えているのか知りたいと思いました。過去の戦争そのものをどう捉えているのか、戦争に隠されているものをどう明らかにしようとしているのかを。戦争の責任もとらないで放置しているかどうかは、そのまま私たち自分たちの問題でもあるからです。
 謝罪もなく、放置されている限り、50年たっても、76年たっても戦争は、それに苦しんだ人々の心の中で終わっていないからです。

【映画の解説】
 2018年4月 とある市民法廷がソウルで開かれた。
 法廷に立つベトナム人女性のグエン・ティ・タン。彼女は<フォンニ・フォンニャットの虐殺>の生存者である。8歳の時に家族を失い孤児となった彼女はその記憶に涙を浮かべる。あの日、一体何が起こったのか…
 あの日の出来事を目撃したディン・コムは身振り手振りで当時を再現する。あの日の後遺症で視力を失ったグエン・ラップはこれまで語ることのなかった記憶を絞り出すように語る。
 一方、“参戦勇士”と称された韓国軍人たちは「我々は領民を殺していない」と主張する。
(映画『記憶の戦争』公式サイトintroductionより)

 過去の悲惨な「戦争の記憶」を告発する激しい口調の作品かと思いましたが、ちょっと雰囲気が違いました。ベトナム戦争の中で、韓国軍による住民虐殺がどのように起きたか、それを映像で再現しようとはしないのです。
 人々の記憶の中にある戦争や虐殺をたどろうとしていくものなのです。
 作品に映し出されるものは、虐殺を目撃し、家族を殺され、生活を奪われた人たちの、今も頭と心に残る「記憶」です。それが残っている限り、戦争は終わっていないし、憎しみや怒りや恐れが今も続いているのです。
 だからこそ「市民平和法廷」の最終陳述で、タンおばさんは「参戦軍人に謝罪を受けたい、私の手を握ってほしい」と訴えたのです。和解したい、心の中に未だ渦巻いている怒りの記憶を鎮め、悲しみをいやしたい、そして仲良くなりたいのです。無かったことにしてオモテだけ平和を繕うのでなく、過去の非を認めて変わってほしいのです。
 それがきっと、こうした市民平和法廷を設けて戦争の責任をあきらかにしようとした人々の願いでもあり、またこうした映画を創ろうとした人々の出発点だったのではないかと思うのです。

 この映画が、韓国の若い女性のスタッフによって作られたものであることを、映画を見た後で知りました。映画リーフレットの女性スタッフによる座談会インタビューは、女性がこの映画を創ることの意味、そしてそこに表れる表現の違いについて示唆に富むものでした。「女性の視点」とはどういうものかを考えさせられるものでした。
 「私たちは戦争を再現する方式ではなく、被害者が住んで居る世界を再現しようとしました。」「年齢的に少し高い男性は、この映画を見て『それでファクトは何?』『証拠はあるのか』と聞いてきました。彼らにはそれが重要なのです。そうすることで処罰を受け、保障もするという考えをするからだと思います。ですが、そういったことよりも登場人物に共感し、彼らの世界を感じて、自分の人生とつなげる考えをするのは女性が多かったです。」

 私もはじめ、ベトナム戦争での虐殺を描く、あるいは覆い隠されていたものを暴く映画としては物足りない気持がしたのです。しかしそれが、多くの男性によって作られてきた、この手の映画に慣れてしまっていて、疑問にも思わないでいる自分の男性性によるものかも知れないと気付かされました。そしてそれは、戦争、あるいは政治というものに対する考え方でも、そうした男性的なものが支配している、と思い至りました。

 戦争は国が作りだすもの、戦争はまた政治が作りだすものです。それは勝ち負けの結果にこだわる男たちのものであり、利益を損得で考える人間にとってのものです。退役軍人達が「虐殺など無かった」と怒るのは、自分たちの「名誉」と保証された利益を守ろうとするにすぎないのです。
 女性にとっての視点をもう少し膨らまして行くならば、それは「ともに生きて行くにはどうしたら良いか」考えていこうということなのではないでしょうか。
 この映画のきっかけとなり、またその主軸となった2018年に行われた「ベトナム戦争時に韓国軍による民間人虐殺真相究明のための市民平和法廷」が、日本で2000年に行われた「(日本の従軍慰安婦問題についての責任を追及する)女性国際戦犯法廷」を参考にされていることが映画の中でも紹介されています。
 そこに流れているものに、そうした女性の視点の戦争責任追及というものがあるのではないかと気付きました。戦争はもちろん、政治においてもこうした「女性の視点」を生かして生活(生命の活動)を考えて行くことがこれからの希望にならないか、とさえ思いました。映画全体から前向きさというか、希望が明るくしてくれるし、力強さを感じました。

 「戦争の記憶」は、虐殺を目撃し、家族を殺されたベトナムの人々の痛ましい記憶であり、ベトナム戦争退役軍人の加害の記憶であり、被害者の痛みに共感して市民運動に参加する学生達の記憶でもあります。
 映画の中に何度も、慰霊祭や鎮魂の祭祀が出てきますが、それらは生き残った人々が失われた人々を慰めて、自らの人生を平穏に過ごすことができることを願っていることを表しています。
 それは、それぞれの記憶を出し合って、確かめ合って同じ過ちを繰り返さないようにすることでしょう。それは私たちが、それぞれ自分の中の戦争と歴史をどう記憶していくのかを共有していくことにもかかってくるものだと思うのです。

【制作スタッフ】
監督:イギル・ボラ
製作:ソ・セレム チョ・ソナ
製作総指揮:イギル・ボラ
撮影・美術:クァク・ソジン
編集:パトリック・ミンクス イギル・ボラ キム・ナリ キム・フョンナム

音楽:イ・ミンフィ
【出演者】
ディン・コム
グエン・ラップ
グエン・ティン・タン

製作:Whale film
配給・宣伝:スモモ+万シーズエンターテインメント
2018年作品/79分/韓国映画/ドキュメンタリー映画

公式ホームページ
予告編
上映情報:ポレポレ東中野(東京):上映中 
第七藝術劇場(大阪)・出町座(京都)・シネマテーク(名古屋)12月公開予定



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