北方領土問題は、余り関心も強くなく、どちらかといえば苦手でした。
「もし、北方領土を日本に返したら、日米軍事同盟を結んでいるアメリカがロシアを攻撃する基地を作らないという保証はない。自分を攻撃する敵にむざむざ島を返還などするわけがない」という説明に納得してしまっていたからです。
だから北方領土と言われる島々がどのようなところなのか知ろうともしませんでした。しかし、そこに暮らす人がどんなことを考えているのか、この映画を見て少しだけ知ることができました。
【解説】
北海道からわずか16キロに位置し、かつては四島合計で約1万7000人の日本人が暮らしていたという北方領土。しかし戦後1947年から48年にかけて日本人の強制退去が行われ、日本政府は問題が解決するまで入域を行わないよう国民に要請している。
旧ソ連出身でフランスを拠点に活動する映像作家ウラジーミル・コズロフが、ロシア連邦保安庁の特別許可と国境警察の通行許可を得て国後島で撮影を敢行。
寺の石垣、朽ち果てた船や砲台、欠けた茶碗など、現在も島のいたるところに残る第2次世界大戦の痕跡。ロシア人島民たちはそれらを土から掘り起こしながら、日本人との思い出を振り返る。国後島の厳しい現状や島民たちの生活の様子、政治に翻弄されてきた彼らの複雑な思いなど、ロシア側の主張に偏ることなくありのままに映し出す。(映画.com『クナシリ』解説より)
映画は主に二人の年寄りの行動から語られます。
彼等は島の地面をあちこち非合法に掘り起こしては、骨董品など日本のものを見つけて売ったりしています。チョルナカバーチェリ(黒い発掘人)と言われています。その背景には、敗戦によって日本人が強制退去させられた時に、荷物を持ち帰るのを禁じられて、多くの生活のものを地中に隠し埋めたという暗い物語があります。
だからこの映画に描き出されるクナシリ(国後)島は、人の住まなくなった破屋や投げ捨てられたままのゴミの山の印象がつきまといます。
戦争と当時の日本人を知る老人たちはどんなことを語るのでしょうか。「私たちが子どもの頃は日本人とも仲が良く、一緒になってよく遊んでいた。」意外にも日本人に対する彼等の記憶には良いものが多いのです。日本人のまじめさ、きちんとした生活ぶりに感心していて、一緒に暮らせたらいいのではないか、今のゴミ溜めのような取り柄のない国を日本人ならもっと良くしてくれるのではないか、などという話も出てきます。
しかしそれがごく限られた人々の意見でもあり、ある意味、この映画の作り手の意図も入っているような気もします。この撮影のインタビュー自体が旧ソ連時代を生きた、限られた人のみに制限されているからです。人々の生活のために何もしてこなかったソ連の統治時代への不満が吹き溜まっている印象です。
でも「仲良く一緒にやればいいのに」は、庶民の感覚のようです。それを阻んでいるのがそれぞれの国の思惑です。ここでも戦争の清算ができていないことが頭をもたげてきます。
戦争の記憶つまり兵器や武器といった戦争の残骸が70年以上も経った今もこの島には残っているのです。全く時間が止まってさび付いたかのように。
いろいろな形で、ことさらに戦争当時の兵器や武器を見せようとする催しが出てきます。それも草むらに埋まり錆の固まりと化した戦車だけでなく、戦勝をことさらに伝えようとするためのプロパガンダやモニュメントとして。70年前の日本降伏の時の有様を再現劇のようにしてみせる「演習」や、戦勝パレード、いわば戦勝を誇り続ける祭、儀式。それがクナシリ島の為政者の意図なのでしょうか。勝者のイメージを人々に植え付けて国民の意識を軍国主義化するような行事が行われるのです。戦争に勝ったのは自分たちなのだからと言い聞かせるように。
自分の国が戦いに勝った強い国であることをいつまでも国民に教育して、国に間違いがないことを信じさせ、従わせたい、というように。それらを見ているだけで、日本も、ソ連も、ロシアも、戦時・軍事の、教育にめざすものがいかにも異常なものであるか考えてしまいます。
過去を語る年寄りの話の間に挟まる当時の普通の日本人の家族写真が印象的で、効果的です。
クナシリ島は戦前も戦後も、それぞれ移住してきた人たちによって作られたということをこの映画で知りました。つまり日本人も、ロシア人も、この島に来て開拓したのは遠くから来た移民・移住者だったということです。みんな貧しい、苦労してやっと生活できるところまでこぎ着けたということが写真からも伝わってきます。
きっと満州や南方への移住もそうだったのでしょう。それが戦争の成果としての開拓であったために、領土争いという侵略の戦争の上に成り立っているものだったために、異常な、悲惨な、悲劇を作りだしていったのでしょう。
象徴的なのは、役所の壁の秒針が止まったままの時計です。時が止まっているがゆえに人々のメンタリティを現代的にアップできないでいるということを暗示しています。
映画の終わり、戦勝記念日のパレードに参加する人たちには、たくさんの若者や子どもも出てきます。それまで見てきた年寄りたちとは違って、彼等は、ロシア時代の「教育」を受けて、ごく普通の生活をしているように見えます。彼等の考えや意見をこそ聞きたかっと思いました。
監督はインタビューに答えて、この次は日本側からも、この北方領土をテーマに描きたいと言っています。興味深いです。そこで描き出され、あぶり出されるそれぞれの「国」とは何か。人びとの意識はどうなのか。それらもまた国のプロパガンダによってつくり出されているという事実は、今の日本の私たち、若い人たちにも言えることです。
両方から見て、日本とロシアという「国」が取りあげる北方領土問題の空疎さ。できたらそれとは違った人々のレベルでの「一緒にやっていける」未来を想像できたらいいな、と思うのです。
【スタッフ】
監督・脚本:ウラジーミル・コズロフ
撮影:グレブ・テレショフ
音響:アントン・シェブシェレビッチ
編集:ファビアン・タゲーレ、ニコラス・ペルティエ
製作:デビッド・フーシェ
2019年製作/74分/フランス映画/ドキュメンタリー
原題:Kounachir
配給:アンプラグド
公式Webサイト
予告編
上映情報:シアター・イメージフォーラム(渋谷)、第七藝術劇場(大阪)など全国で上映中