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シネマde憲法
映画『岸辺の杙(くい)』
花崎哲さん(憲法を考える映画の会)



 前回紹介した『シバサシ─安里清信の残照』に続いて、輿石正さんの新作を紹介させていただきます。
 輿石正さんは、長く沖縄の闘いに生涯をかけて闘ってきた人の生き様とその人の成した運動を描いてきました。あまり知られていない活動家の活動を掘り起こして考えさせる、その情熱を感じます。
 この作品でもまた、前半は、在日朝鮮韓国人で、ハンセン病の崔南龍さんの経てきた茨の道を描き、後半は、彼に襲いかかった「差別」に対する彼自身の闘いの姿を力強く描いています。

【解説】
 1931年、2月26日、神戸の朝鮮人集落で生まれた崔南龍(チェ・ナムヨン)。
 2013年、岡山県瀬戸内のハンセン病療養所・邑久光明園で私は、初めて崔さんに会った。
 眼は完全に光を失っていた。
 このドキュメンタリー映画を完成させるのに7年かかった。その大半は私の自業自得の死骸で埋め尽くされている。それでも制作をやめなかったのはなぜだったのか。
 「らい」からの問いは、静かで重い。その問いを辿っていくと、パンツもはいていなかったときの〈人間のふるさと〉の影が、遠くに見えるところに行きつく。崔さんの〈気配力〉が、そのふるさとへの導線となってくれた。「差別」の鋳型からつき抜けたかった。辺野古を思う。(ドキュメンタリー映画『岸辺の杙』DVDジャケットより)

 少し長くなりますが、この映画に描かれた崔南龍さんの生涯をたどることにします。
 崔南龍さんは1931年神戸生まれの在日韓国人2世。幼児の時、家庭の事情で植民地下の朝鮮へ渡って父の実家で暮らしますが、一家離散、1年後に父が働く神戸に戻ります。新たな生活を始めますが、1941年、小学生3年生の頃にハンセン病を発病。その年に父が自死。孤児となり、1941年7月15日、10歳で岡山県のハンセン病療養所邑久光明園に入園。南竜一と名付けられました。
 その後、療養しながら園内の無認可の光明学園、邑久町立裳掛小学校に編入され、繰り上げ卒業をします。さらに、光明園の青年教育と文芸活動である創作会「島影クラブ」の会員となり、1948年17歳ではじめて書いた短編、父の死を描いた『黴(かび)』を園の機関誌に発表して高く評価されます。1957年頃から作家・木島始氏の指導を受け、園外でも『黒いみの虫』が『文芸首都』で佳作として紹介されます。
 1959年の国民年金法による障害福祉年金から除外された在日韓国・朝鮮人への年金支給要求運動のなかで、1951年、62年在日療友とともに生活記録集『孤島』をガリ版で発行。ハンセン病患者が隔離法廷で死刑となった「菊池事件」への再審請求や、在日外国人の指紋押なつ問題で独自の立場をつらぬき、ハンセン病胎児標本問題をめぐる運動にも影響を与えます。
 2006年『大和高田から天安へ/恨(ハン)百年』」が第32回部落解放文学賞・記録文学部門(選者・鎌田慧)で佳作を受賞。2013年に視力を失いますが、なおも光明園にあって、かつてのハンセン病療養所の情景を口述筆記で記録しますが、2017年8月死去。(ワーカーズ ブログ「シリーズ〈小さな旅〉ドキュメンタリー映画『岸辺の杙』」)の記事を参考にさせていただきました。)

 壮絶なまでの彼の生き方に息を呑みます。らい(ハンセン病)の人々の凄惨な話は、これまでも知る機会はあったのですが、文字通り、目を背ける、それを聞いたり、あるいは映像作品などを見ることを、どこかで避けていた自分に気がつきました。
 この映画で、その生涯を描かれた崔南龍さんの場合、ハンセン病による家族の離散、父の自殺、自身の身体に現れた厳しい症状、障害に加えて、在日朝鮮韓国人であるという二重、三重もの「差別」が彼を取り巻き、かつ、がんじがらめにしていった人生であったことがわかります。
 岡山の療養所「邑久(おく)光明園」へと隔離のため移送されたされた時の10 歳の日の光景の描写は鮮烈です。彼の歩くところ、駅舎から列車に続くホームにまかれた消毒液の道。
「屠殺場に送られる家畜のごとく」貨車に押し込められて「療養所」の離島に運ばれたのです。そこからの、彼の隔離された人生。
 そしてその崔さんに対して、日本の差別の歴史が何度も立ちはだかります。
 国民年金制度では日本国籍の患者には福祉年金の受給資格が与えられますが、韓国籍の崔さんは外国人として対象外とされます。
 外国人登録証明書への指紋押捺をめぐっても、在日韓国人には押捺を拒否する人もいた中、ハンセン病患者は手指がマヒしているとして「出頭不能」として処理されました。
 そして、そうした一つ一つの不条理や差別に対しての抗議の闘いが、彼を強くし、彼の書くものが多くの人たちの心を動かすものになっていくことがわかります。

 監督の輿石正さんは、「差別の中にある、もう一つ奥の差別を浮き彫りにしたかった。生きる上で差別がある。この不条理さを諦めるのではなく、考えることだ。一人一人が考えることが大事ではないか」と問いかけています。
 「ハンセン病という語句を意図的に避けて、『らい』という言葉にこだわっている。それはハンセン病というと言葉の実態がない、すり抜けていく。国家政策で隔離された痛みや歴史、国家の加害性をうやむやにしたくないとの思いからだ」と話されています。
 「崔南龍さんに対して、何度も立ちはだかる日本の差別の歴史が画面に写し出される。象徴的な事例として、国民年金制度では日本国籍の患者には福祉年金の受給資格を与えられたが、韓国籍の崔南龍さんは外国人として対象外にされた。外国人登録証明書への指紋押なつを巡っても、在日韓国人には押なつを拒否する人もいた中、日本政府は崔南龍さんの指が曲がり、感覚がないため押なつは無理と決めつけた。押なつを『拒否する権利』すら与えなかった」
 
 輿石監督は、輿石監督の作品には、不屈の運動を続ける人々の人生、その闘志を描くものがたくさんあります。これまでも、名護市民として辺野古の闘いを取り上げた「泥の花─名護市民・辺野古の記録─」2015年10月12日)、「辺野古不合意─名護の14年とその未来へ」、「金城祐治さん─辺野古「命を守る会」の根もとには─」「シバサシ〜安里清信の残照」、「10年後の空へ─OKINAWAとフクシマ─」、「未決・沖縄戦」等の作品を作り続けてきました。
 そして、そうした作品の制作をもとに今回、「ハンセン病患者に対する差別と、米軍基地を沖縄に押しつける差別は通じるところがある」と話されています。

 確かに、私たちは歴史の中で、見えないところに、どのような「差別」があり、そうした仕打ちを与えてきたかを正しく、認識しなければなりません。同時に、それらが今、自分たちの目の前にある問題とどのようにつながっているか、どのように闘って道を開いていかなければならないか、あらためて考えていかなければならないと気づかされました。
 厳しいけれど、励まされるような、「いっしょに考えて行こうとする仲間は、けして少なく無い」そのような気持ちにさせられました。そこが輿石さんの作品に共通する力強さなのではないかと感じるのです。

 象徴的な表現手段として何度も鉄道が効果的に描かれています。
 それはまず、崔南龍さんを療養所というか、「収容所」に連れ去っていく非情な鉄道です。そしてまた、映画のラスト近く、おそらく勾配をのぼっていく三重連の機関車を想起させる列車の走りです。
 そこに、絶望の果てに、それでもなお、のぼり詰めていこうとする崔南龍さんの強い意志をもち続けた人生と、そのことを私たちに伝えようとする輿石さんの表現の力を感じます。

【スタッフ】
シナリオ・編集:輿石正
カメラ:輿石正 ミーワムーラ 他
効果:屋良好克
音楽:スタジオ・イエロー
トランペット:松平晃
タイトル:島袋正敏
ナレーション:輿石正 渡口政哉
監督:輿石正
制作:じんぶん企画
2020年制作/106分/ドキュメンタリー/日本映画

【上映情報】
日時:2022年6月25日(土)13:00〜
会場:国分寺Giee[ギー](東京都国分寺市本町2−3−9三幸ビル地下)
参加費:当日:1500円 予約:1200円
予約:TEL:042-326-0770  e-mail:giee@hotmail.co.jp

※上映・DVD作品の問合せは、
じんぶん企画(作品紹介)
TEL:0980−53−6012


 

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