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シネマde憲法

映画『国葬』(英名:STATE FUNERAL)

 花崎哲さん(憲法を考える映画の会)


  「アーカイヴァル映画」と呼ぶのだそうです。過去に撮られた記録フィルムを再編集して新しい作品にするもので、セルゲイ・ロズニツァ監督の『国葬』『粛清裁判』にオブザベーショナル映画『アウステルリッツ』を加えて、三つの作品が《群衆》シリーズとして公開されています。
 先にこの欄でご紹介したイギリス映画『彼らは生きていた』(シネマde憲法2020年2月10日)なども保存フィルムを甦らせて新しい作品を作ったものでした。時間を越えて映像という方法で過去の世界を見せてくれる映像の役割、可能性を強く感じます。
 この『国葬』『粛清裁判』は、ありのままを再編集したと言っても、できあがったものには力強い主張と作家性が出ています。それが映像を撮った者の主張と、ある意味、真逆の主張になっているところが面白いところです。

【作品案内】
 1953年3月5日。スターリンの死がソビエト全土に報じられた。リトアニアで発見されたスターリンの国葬を捉えた大量のアーカイヴ・フィルムは、同時代の200名弱のカメラマンが撮影した、幻の未公開映画『偉大なる別れ』のフッテージ(映像素材)だった。
 そのフィルムにはモスクワに安置された指導者の姿、周恩来など各国共産党と東側諸国の指導者の弔問、後の権力闘争の主役となるフルシチョフら政府首脳のスピーチ、そして、ヨーロッパからシベリアまで、国父の死を嘆き悲しむ幾千万人の人の顔が鮮明に記録されていた。
 67年の時を経て蘇った人類史上最大級の国葬の記録は、独裁者スターリンが生涯をかけて実現した社会主義国家の真の姿を明らかにする。(シアターイメージフォーラム・ホームページ「作品案内」より)

 涙を流すたくさんの人々の弔問の列。その一人ひとりの表情のアップが、いかにスターリンという指導者が彼らの心に大きなものを残して逝ったかということを十分に伝えます。そこに映っている涙はホンモノでしょう。
 もちろん、これらのもとになっている映像は「記録」でありながら、明確な意図によって撮られているものです。つまりスターリンの業績を礼賛して、「彼がいかにソ連の国民を救い、国父として親しまれていたか」を永く人々の心に残すことを目的としたプロパガンダとして撮られたものです。カメラマンは葬列の人々の悲しみを美しいものとしてとらえ、その人々の表情には確かに息を呑むような美しさがあるのです。そしてその映像表現の目的をねらい通りのものにするには、「たくさんの」という「数」が必要なのです。
 ふと、ナチスの宣伝映画『意志の勝利』を思い出しました。ナチス党大会を撮影したレニ・リーフェンシュタール監督の記録映画です。それを見た時も、似たようなことを考えたのです。ナチス党員の行進に歓喜し、手を振り、歓声を上げている沿道の人たち、若い女性。彼ら、彼女たちは何に喜び、歓喜し、歓声を上げているのだろう、それぞれの頭の中にはどのようなイメージが広がっているのだろうと。
 セルゲイ・ロズニツァ監督も、この映像素材を見て疑問をもったようです。「広大なソビエトで全員が同じ方向を向き、まるでこの世の終わりを見ているかのように悲しむ様子は異様でした。何がこれを可能にしたのか?その疑問こそ『国葬』のテーマなのです。」(監督インタビューより)

 たくさんの人々、多様な姿とそれぞれの立場を感じさせる人々が、同じような悲しみの表情をたたえている。この葬列のたくさんの人々は、動員なのか、自発的なものなのか。このようなたくさんの人々が集まる場面を見ると、ついそんなことを考えてしまいます。
 動員であればそれだけ組織の力が強く働いていることでもあるし、自発的な行動ならばそれだけ同調教育が行き届いていることになります。
 それは全体主義、ファシズムのデモンストレーションとどう違うのか。ヒトラーのナチスのポピュリズム、また昭和天皇を戴いた日本の軍国主義の個人崇拝、神格化とどう違うのでしょうか。中国の場合なら文化大革命の時期の毛沢東とはどう違うのでしょうか。
 そしていま、自粛という言葉に込められた同調圧力、従わない者の感じる息苦しさというまさに今の自分たちを取り巻くものへの連想が広がります。
 
 棺がレーニン廟に収められると、葬儀の最後を告げる礼砲が鳴り響きます。ソ連国内のあちこちで、機関車や港に停泊する汽船が一斉に汽笛を鳴らします。悲しみの弔意を告げ、気持をさらに高める礼砲や汽笛なのですが、私はそこでドキドキしてしまいました。一斉に鳴らすという一体感で感情を高める演出がどうしても落ち着かないのです。
 映画の最後に画面が暗転した後「個人崇拝が否定され、スターリン批判が起きたこと、またスターリンが権力のトップにいた期間に1700万とも言える粛清された人がいること」がテロップで示されます。個人崇拝が否定されて、スターリン(体制)批判によって、その失脚の後、この映画の中で、悲しみの涙にくれていた人たちは、その後、その内心がどのように変わっていったのだろうかとつい思ってしまいました。

 この映画の作者の視点とねらいもそこのところにあるようです。そして今とこれからの課題を考えていくところに。
 「当時の権力者は、恐怖政治によって、民衆をコントロールしてきましたが、いまの権力者はメディアを巧みに使い、民衆を恐怖に陥れることが可能となりました。私たち民衆が権力者によって知らぬうちにコントロールされてしまう危険性は現代のあらゆる社会に潜んでいるのです。」(監督インタビューより)

【スタッフ】
監督:セルゲイ・ロズニツァ
2019年制作/オランダ、リトアニア/ロシア語/カラー・モノクロ/135分
配給:サニーフィルム

予告編
公式ホームページ

【上映情報】
シアターイメージフォーラム(東京・渋谷)アンコール上映中
第七藝術劇場(大阪)アンコール上映中
出町座(京都)1月8日〜
伏見ミリオン座(名古屋)1月1日〜
宮崎キネマ館(宮崎)ほか


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