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今週の一言

 

被害者が加害者を赦した歴史を忘れまい

2016年8月1日



芹沢昇雄さん(NPO・中帰連平和記念館事務局長・理事)

・赦された戦犯たち
 「日中15年戦争」で1000万人とも言われる一番多くの犠牲を強いられた中国が、「賠償請求権」を放棄したことは知られている。しかし、戦犯として中国の撫順と太源の「戦犯管理所」に6年間収容された戦犯たちが、1956年の「特別軍事法廷」で起訴されたのは1062人のうち政府・軍高官の僅か45人、しかも、一人の「無期も死刑」もなかったことを、どれだけの日本人が知っているだろうか。「東京裁判」以外にアジア各地でB、C級戦犯約1000人が処刑されている。

・戦犯たちの体験と待遇
 収容された戦犯たちの多くは敗戦後シベリアに抑留され、その5年後の1950年に独立間もない中国に「戦犯」として引き渡された元兵士たちである。彼らは「焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くし」の所謂『三光作戦』(中国側の表現)どころか、強姦、強制連行、実的刺突(中国人を杭に縛り付け訓練のために突き殺した)から生体解剖まで体験している。
 彼らは自らの過去を考えると処刑さえ覚悟し恐怖心でいっぱいだったが、「軍の命令に従っただけであり戦犯ではない」と反抗していた。一方で管理所ではシベリアの体験と違い、何の強制労働も学習もなく人道的に扱われた。中国人がコウリャン飯を1日2食しか食べられない状況下で、彼らの「白米を食わせろ」との要求にも応じた。白米に肉野菜など彼ら一人に中国人数家族分の食料が与えられ、当初、彼らは「最後の晩餐」とさえ思った。
 そして、その待遇は何時までも変わることはなかった。それは周恩来が『戦犯といえども人間であり人道と日本人の習慣を守れ』と指示したからであった。一方で看守たちはこの戦犯たちへの厚遇に不満であったが、周恩来は『制裁や復讐では憎しみの連鎖は切れない、20年後には解る』と看守たちを諭し教育したのである。

・「認罪」する戦犯たち

中帰連が「撫順戦犯管理所」(中国)に建てた『謝罪碑』
 戦犯たちは3年を経過した頃から徐々に過去を振り返るようになっていったが、その時期や深さは様々であった。下級兵士が自白・認罪することで上官たちは「お前の自白で俺の立場はどうなる!」などと喧々がくがくの論争になったという。そして、軍隊の位の高い人ほど過去を振り返ることが遅れた。
 起訴され有期刑を科せられた45人もシベリアの5年と管理所の6年の計11年が刑期に参入され満期前に帰国している。満州国国務院総務長官(満州国政府官僚の最高位)の武部六蔵は病室で禁固20年の判決を言い渡された直後、「病のため直ちに釈放」と宣告され号泣している写真がある。彼らは管理所の6年間に『鬼から人間に戻してもらった』と感謝し、撫順戦犯管理所に立派な「謝罪碑」を建てている。
 1956年の帰国に際しては新しい服に靴、新しい毛布や現金50元までもらい、そのお金でお土産まで買い、塘沽港で看守たちに見送られて舞鶴に帰国した。

・帰国後の差別のなかで
 しかし、帰国すると「中共帰り、赤」などのレッテルを貼られ、彼らは長い間、公安に監視され就職さえ困難であった。そんな中で命を助けてもらった彼らは帰国翌年の1957年に「中国帰還者連絡会」(以後、中帰連)を立ち上げ、何度も訪中し友好交流を図ってきた。
 そして、高齢のため2002年に解散するまでの長い間、「反戦平和と日中友好」を願い自身の加害や虐殺体験などを証言してきた。2000年に従軍慰安婦問題を裁いた『女性国際戦犯法廷』で性暴力の加害証言をしたのも、元中帰連の金子安次さんと鈴木良雄さんである。
 しかし、NHKがこの加害証言と元慰安婦の方の被害証言をカットして放送して大きな問題になった。後日、その犯人が安倍晋太郎官房副長官(当時)の「公正な報道をお願いします」の圧力であったことが判明した。NHKは放送の数日前に金子さん宅に『放送の時に貴方の名前を出しても宜しいでしょうか?』と女性から確認電話があった。その後の再編集・カットがどうして「自主的再編集」の訳はあるまい。

・「中帰連」の解散と引き継ぎ
 中帰連の「平和と友好」の思いを受け継ごうと2002年春の「中帰連」解散翌日、若者たちが『撫順の奇蹟を受け継ぐ会』を立ち上げ、全国に10支部ができ中帰連の「証言集会」などを開いてきた。
 しかし、中帰連の皆さんが次々と鬼籍に入り、その資料が失われる危機に直面することになった。そこで、何とか「資料の散逸を防ぎたい」と、初代理事長・仁木ふみ子宅(川越市笠幡)近くの中古倉庫の一部を借りて資料収集と保存を始めた。その後、大河原孝一さん(解散時の「中帰連」副会長)が中心になり、元中帰連の皆さんから寄付を集め一般募金も含めこの中古倉庫と土地を買うことができ、2006年11月にNPO法人を立ち上げ登記した。今年の秋に「10周年」を迎え川越でイベントを開く予定である。

・記念館の近況
 記念館には「中帰連」以外の戦争関連の資料・本や多くの映像を保管し、必要な方たちに提供している。平和に関心ある市民は元より内外の学者やジャーナリストなども来館し、NHK、中国中央TV、新聞社・・・などにも資料を提供している。ドイツや米国の学者も来館し、ドイツ語や英語の本で「中帰連」を紹介している。

・『前事不忘 後事之師』

ワルシャワゲットーで跪き、謝罪するブラント元首相(1970年当時、西独首相)
 日本は戦争の被害国ではなく「加害国」であったことを忘れてはならず、常にドイツと比較される処である。ドイツでは1970年にブラント元首相がワルシャワゲットーで跪き謝罪した。また過去の歴史を忘れないためにブランデンブルク門近くに2711基もの記念碑(石碑の広場)を設置し、その地下が展示室になっている。そして、各地の道に約9000個もの「つまずきの石」を埋め込み過去の歴史を忘れない努力を続けている。
 そして、敗戦40年のヴァイツゼッカー元大統領の国会演説「荒れ野の40年」で『問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけがありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります』との演説は世界中から喝采を浴び余りにも有名であり、中国にも同じ意味の『前事不忘 後事之師』と言う諺がある。

・この先の平和を求めて
 私達は過去の加害という負の歴史の事実を、教訓として生かすためにシッカリ後世に伝えたいと思う。死刑も無期もあった「判決原案」を周恩来は3回も書き直しを命じ『信頼関係を築き平和を維持』しようと、彼が日本に投げたボールを日本はきちんと受け止めたであろうか。否であり「侵略・加害」の事実に蓋をしようとさえしているのが日本政府の姿勢である。戦争を始めるのは容易だが止めることは困難であり、中帰連は『戦争は人を人でなくする』と言っていた。戦争は始まる前に止めなくてはならない。
 記念館では年4回の理事会の午後に一般開放の『中帰連に学ぶ会』を開き学習・勉強会を開き、また年1回著名人を招き「講演会」も開いている。『会報』を年3回発行しHPやメーリングリストも設定している。
 戦争の「悲劇」は誰でも忘れず伝えるが、日本が始めた戦争が「加害・侵略」であったこと、そして、中国やアジアで罪のない2000万人もの殺害・虐殺した事実・歴史を忘れずに後世にシッカリ伝える義務が我々にはある。
「来館、入会、カンパ」大歓迎です!

中帰連平和記念館

住所:〒350-1175 埼玉県川越市笠幡 1948-6
最寄り駅:東武東上線「鶴ヶ島駅」西口(タクシー10分)
   JR川越線「笠幡駅」徒歩25分
【開館日】「水、土、日」10:30〜16:30(なるべく事前にご連絡下さい)
 TEL&FAX:049-236-4711
 E-mail:npo-kinenkan@nifty.com
 HP: http://npo-chuukiren.jimdo.com/
 郵便振込:(00150−6−315918)
 口座名義:「中帰連平和記念館」年会員:5000円 (カンパ歓迎)
 名誉顧問:むのたけじ(フリージャーナリスト)
 理事長:松村高夫(慶応大学名誉教授)

◆芹沢昇雄(せりざわ のぶお)さんのプロフィール

・1941年東京神田岩本町で生まれ東京大空襲に遭う
・高校卒業後、東武鉄道に入社、42年間電車の検査に従事。
・「当番弁護士制度を支援する市民の会」で活動
・1997年「中帰連」賛助会員に参加
・2002年「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の立ち上げに参加
・2006年「NPO・中帰連平和記念館」を立ち上げ事務局長 



 



 
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