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「オリンピックとナショナリズム」へのまなざしを転回する

2016年12月26日



小澤考人さん(東海大学准教授)

 2016年はオリンピックイヤーでした。南米初のブラジル・リオデジャネイロ大会が開催されたことは記憶に新しいと思います。地球の裏側から伝えられるメディア映像をつうじて、柔道や水泳、体操に陸上と、多くの競技種目で日本選手(チームジャパン)が活躍した姿に興奮冷めやらぬ日々を送った人も多かったと思います。
 他方、この大会でも注目すべき事件やエピソードがありました。その一つは、ロシアの組織的ドーピング問題です。今大会では開催直前、ロシア選手の参加資格剥奪が取り沙汰されました。もう一つは、メディア報道に関するエピソードです。一例として五輪後、NHKの解説番組が2020年東京大会について「国威発揚」のメリットに言及したことが問題となりました。
 両者は全く別の問題に見えますが、前者はナショナリズムに伴う国家の威信に関係し、後者はオリンピックにナショナリズム高揚を期待した(と映じた)ことが批判されたという点で、実は関わりの深い側面があるといえます。いずれもナショナリズムの負の側面が隠れた主題となっているからです。ここではオリンピックとナショナリズムの関係について、少しばかり背景や今後の課題を考えてみたいと思います。
 国際スポーツの場で、近年ロシアの活躍ぶりは顕著です。2014年ソチ冬季五輪では開催国として総メダル数と金メダル数の双方でトップを占め、旧ソ連時代を思い起こさせる輝きを見せました。しかしそれだけに国家ぐるみのドーピング検査結果の隠蔽をめぐり、検体のすりかえなど次々と暴露された "犯罪的"ともいえる不正の事実に世界は大きな衝撃を受けました。自国選手に甚大な健康被害をもたらすような組織的ドーピングがなぜ行われたのかを想像してみると不思議ですが、その背景には国際スポーツの舞台で、ソ連崩壊後の凋落から自信回復を果たした国家イメージを誇示したいとする意図が働いていたはずです。オリンピックでの多数のメダル獲得という"栄誉"によって国家の威信を増幅しようとするのは、ナショナリズムの欲望といってよいでしょう。東西冷戦下の共産主義圏で行われていたドーピング問題とも重なるものです。
 周知のように、IOCのオリンピック憲章は「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」(第1章)として、メダル獲得数などを指標に国家間の優劣を競い合うことを五輪開催の意義として認めていません。実際、"近代オリンピック創設の父"ピエール・ド・クーベルタンの思い描いた理想も、国際スポーツの場における各国の若者の交流と相互理解が国際平和に結びつくというコスモポリタニズムの夢でした。しかし現実には、メダル獲得数をめぐる国家間の競い合いやそのためのスポーツ国家戦略が行われることは現在なお広く見られることであり、その背景にナショナリズムの影がちらつくことも少なくありません。ではなぜ、オリンピックがナショナリズムを誘発する舞台となってしまうのでしょうか。
 もともと近代オリンピックは19世紀末の万国博覧会をモデルとして誕生し、20世紀には世界各国が集うインターナショナルなイベントとして定着しました。近代国民国家の単位を前提に各国の代表選手や代表チームが参加する形式を取る以上、スポーツ競技での勝敗がやがて国家間の優劣や覇権の競い合いに結びつく、つまりナショナリズを誘発するプロセスを帰結しやすい傾向をもっているといえます。まさにスタジアムという可視的な空間の中で、かつマスメディアという最高度の伝達装置をとおして、スポーツ競技での勝利という誰にもわかりやすいパフォーマンスの中に人々の熱狂は掻き立てられ、観衆は自らを代表すると感じるアスリートの活躍にネイション(民族・国民)の誇りや一体感を感じる、という構図が生じるわけです。自国選手のメダル獲得は、それが最も際立つ瞬間です。同様にオリンピックの招致合戦や盛大なメガイベントの演出ぶりを誇示し合うような形で、国家間の象徴的な競い合いが行われることも繰り返されてきました。有名な映画『民族の祭典』が示すように、ナチスドイツによるベルリンオリンピックはその典型でした。
 こうしたナチズムと世界大戦の悪夢を念頭におくと、オリンピックなど国際スポーツの場がナショナリズム誘発の典型的事例と見なされるのも当然のことでしょう。では、「スポーツの国際ゲームはナショナリズム高揚の危険な政治空間である」と一括すればよいかといえば、それほど単純でもありません。昨年、石坂友司氏(奈良女子大学・准教授)と私が編者として『オリンピックが生み出す愛国心』(編著・かもがわ出版)を刊行したのは、こうした問題意識からでした。スポーツの場にナショナリズムが表出する仕方は、それほど単純ではないし、その複雑さを歴史的・社会的な文脈の中で丹念に読み解くことが重要である。またそうした迂回をつうじてこそ、私たちの生きる現実に影響を及ぼすナショナリズムの多様な現象に対して批判的に捉え返すことが可能になる、というメッセージが本書の一つの命題となっています(こうした主題に関する触発的な事例研究とともに、深い分析や視点が多く提示されていますので、関心のある方々にはぜひ一読して頂きたいと思います)。

スタジアム周辺は訪れる人々の憩いの場に
 なるほどロシアのドーピング問題のように、またサッカーの国際試合での人種差別問題など、ナショナリズムが負の側面を生み出す明白なケースがあって、これらはいうまでもなく批判すべき事例です。他方、オリンピックといえばとにかくナショナリズムを問題視する、というのもまた一面的な見方かもしれません。気をつけなければならないのは、オリンピックなどの国際スポーツの舞台はきわめて可視的な場であって、ほかでは覆い隠されていた問題群が明るみに出やすい局面だということです。もともと近代国民国家の仕組み自体に孕まれる問題群がオリンピックの場で表面化する(例えば国民/民族の代表問題)、あるいは例えばロシアの国家構造自体にある歪みがドーピング問題にも表出する、ふだん表面化せず隠れていた人種差別意識が表出する、などなど。その意味で国際スポーツという象徴的空間は、とてもわかりやすいナショナリズムの観察拠点かもしれませんが、だからこそ見やすいものをそこに見てしまう、いいかえると、問題視されるようなナショナリズムの負の側面を最初から読み込みやすい空間であることも事実です。
 ではもう一度、以上をふまえ、ひるがえって4年後の2020年東京オリンピックに視点を移してみたいと思います。リオ五輪後のNHKの解説番組が「国威発揚」という語を用いたことは、たしかにミスリーディングな面があったかもしれません。ただしそれが戦時期のナショナリズム高揚や動員のようなイメージで語られたとは思いません。むしろより踏み込んだところで、ナショナリズムという概念が適切かどうかは慎重になる必要がありますが、主権者(=権利を有する者)としての国民の利益にかなうかどうかという評価軸から、2020年東京オリンピックの意義を捉え返すことは重要であると考えます。

オリンピコポリス(文化教育地区)
へと建設中
 私は今年2016年の夏、ロンドン東部ストラトフォードのオリンピック会場跡地で、オリンピックパークを訪れる人々にアンケート調査を実施しました。言葉を交わしたロンドン市民の多くが産業廃棄物の跡地が広々とした公園と居住エリア、そして巨大ショッピングモールのある開放的な空間に生まれ変わった現状を誇りに思っていると伝えてくれました。「税金を支払う市民として、オリンピック後に何を残せるか、ポジティブなレガシー活用を考えることは当然の権利だと思う」と熱心に語ってくれた老夫婦もいました。このエリアには現在、さらにオフィスや産業のイノベーション地区が誕生しつつあります。2012年ロンドン大会のレガシー計画には、オリンピックの開催エリアに持続可能な社会を実現しようとありますが、英国が描く未来社会のビジョンが現在このエリアに実現化されつつあるということです。
 もちろん、オリンピックの政治利用ということに私たちはつねに注意を喚起し、警鐘を鳴らし続ける必要があります。他方、オリンピックと見ればナショナリズム高揚の手段であると決めてかかる批判的なまなざしにも、一面的なものを感じざるを得ません。21世紀になってIOCが提起した「レガシー」というコンセプトは、「オリンピック開催をつうじて何を残せるか」を問うもので、開催都市および開催国など開催当事者のアクター間において、オリンピックというメガイベントの開催がWin-Winの関係になることを促しています。これは要するに、経営戦略的な視点にもとづく活用型イベントというアイデアですが、2020年東京オリンピックの開催についても、今あらためて国益(より正確には国民益)の観点から捉え直すことが新たに重要性を帯びてくるといえます。いいかえると国民が税金を支払う主体(taxpayer)として、つまり主権者としての権利を有する政治の行方と同じく、東京オリンピックの向かうべき方向性について自らの利害にかなう意見を表明していくこともまた重要な課題であるはずです。
 その意味では、エンブレムやメインスタジアムの新国立競技場、そして各競技会場が国民や都政の目で再審に付され、コスト対効果の観点から見直されてゆく現状のプロセスは、むしろ建設的な方向性にあると言えるでしょう。しかしそれはいまだマイナスを減らす作業にすぎません。ようやくマイナスをゼロに、そしてスタートラインに立ったとするなら、まさにこれからより建設的でポジティブなレガシーを残せるよう、国民的な議論と英知の結集をつうじて魅力的な社会の構想をこの機会に提示していく。そのための機会として2020年の東京オリンピックを活用できるのかどうか、ポジティブなレガシーを残すという課題に向かって私たち自身が今後さらに試されているといえそうです。

◆小澤考人(おざわ たかと)さんのプロフィール

1975年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科・国際社会科学修了。現在は東海大学准教授。専門は文化社会学・観光社会学。編著に『オリンピックが生み出す愛国心』(かもがわ出版)、共著に『レジャー・スタディーズ』(世界思想社)など。


 



 



 
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