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「創業者の平和への想い Peace・Green・Humanity」

2018年5月28日



太田正一さん(富士国際旅行社 代表取締役社長)

 当社の観光庁長官(設立時は運輸大臣)登録は1966年3月、登録番号は第84号です。日本に旅行社は現在約700社ありますが、今では19番目に古い旅行社であり、資本系列もなく旅行業を本業とする数少ない専門旅行社の一つです。

平和を強く願う創業精神

1962年5月28日ホー・チ・ミン主席と会見
右端 柳澤恭雄
(写真提供:日本電波ニュース社)
 創業者の柳澤恭雄(やなぎさわ やすお)は戦前日本放送協会で報道部副部長を務め、終戦にあたって玉音放送を担当するという役割を担いました。当時、戦争を終わらせたくない近衛師団に乗り込まれ、放送を阻止しようと銃を突きつけられる中で、それでも玉音放送を死守しました。
 戦中、国民には正しい情報が伝わっていなかった結果、あの悲惨な戦争が起きた。海外旅行の自由化と時を同じくして創業されたわが社の精神には「これからは国民が自分の目で見て、真実を知ることが大切」という柳澤の平和に対する願いが込められています。創業者・柳沢恭雄とはどのような人だったか振り返ってみましょう。

創業者は、1945年8月15日敗戦の日「玉音放送」録音盤を死守した柳澤恭雄
 1964年10月14日 富士国際旅行社を設立した柳澤恭雄は、1945年8月15日当時、日本放送協報道部副部長で終戦の詔勅「玉音放送」を担当していた。天皇の玉音放送をやめさせ、戦争を続けようとする近衛兵の反乱が起き、内幸町・放送会館内の放送スタジオで、近衛歩兵連隊の畑中少佐に「決起の趣旨を国民に放送させろ。させなければ撃つぞ。」と、拳銃を突きつけられたその人でした。
 戦時中の放送は大本営発表と、通信社の原稿を「〜です。〜ます。」調に書き換えるだけで取材はできなかったが、1941年社内報「放送研究」に「せめて重要な部分だけでもラジオ記者による直接取材を行うべきだ。」と書き、戦後誕生した「放送記者」構想を持っていました。
1941年11月柳澤のもとに「徴用令状」が来て、南方総軍司令部報道部要員(将校待遇)となり、「サイゴン放送局」を開設し「謀略放送」を担当。1943年徴用を終え、日本放送協会に復職。「徴用も軍隊への招集と同じだから参加したわけだが、私は内心躊躇するところがあった。放送そのものが武器となる作戦への放送人の参加は苦いものがある。戦争というが、此の場合は戦闘、作戦そのものへの参加である。電波が侵略の武器となり遠距離砲の役割をするという罪悪感がつきまとう」と、自著「検閲放送」のなかで反省しています。
 戦後、放送記者制度の発足に力を入れ、体制がほぼ整うと「報道の責任者の一人として、大本営に協力してきた。こういう場合には責任を取って一線を引くべきだ」と、ニュース現場を離れ解説室に移りました。その後、日本放送協会従業員組合初代委員長を務めましたが、1950年7月レッドパージによって解雇され、その後およそ8年間その消息は途絶えていましたが、1958年中国から帰国しました。
 帰国から1年8か月後の1960年3月には、日本電波ニュース社を創立しました。東西冷戦当時、日本のテレビ局は海外ニュースを主としてアメリカの通信社から買っていましたが、配信されるのは西側のニュースばかりで東側のニュース、とりわけ「共産圏」の映像ニュースはほとんど入らなかった。なんとかして「日本人自らが共産圏で取材できるテレビニュースの通信社を作れないものか」と考え、当時の放送局を訪ねその構想をもとに会社を設立しました。
 中国では北京電視台と協定を結び北京に支局を置き、その後プラハなどに支局を置きました。1962年5月に日本のメディアとして初めて北ベトナムに行き、ホー・チ・ミン国家主席への単独インタビューを実現させました。
 1960年の日本電波ニュース社の創設から4年後1964年10月に、海外渡航の自由化とも相まって「市民が海外を知る必要性」を唱え「スタディ・ツアー」をおこなう富士国際旅行社を立ち上げました。

経営理念にもとづくわたしたちの役割
旅を通じての民間外交
 どんなにインターネットが普及しても、現地に行って気づくことがたくさんあります。民間外交という言葉がありますが、国レベルではなかなか解決できないこともふつうの市民同士だと分かり合えることがあると考えています。例えば北朝鮮の人や中国の人にも、日本に対して好意的な人はたくさんいるわけで、本やテレビではそのような面は報道されない。現地に行って、民間レベルで友好な関係を積み上げることもできるのです。当社は海外旅行が自由化されて、中国と契約を結んだ旅行社第1号です。これまで築いてきた関係を大切にし、微力ながら平和な社会づくりに貢献していきます。

現地の人こそ宝
 旅の醍醐味は現地の人とふれあうことだと思っています。あまり大人数になりすぎず、人と人が交流できるような規模で、安心・安全というところを大切にしています。また、いわゆる観光地はなるべく行程に入れないようにしています。観光地化された場所は大手資本が入っていることも多く、それでは現地の人は潤いません。例えば修学旅行なら、沖縄に兼箇段(かねかだん)という小さな部落があるのですが、そこに学生を連れて行きます。村の人々の神聖な広場にゴザを敷いて灯りをともして、伝統芸能を見せてもらったり、お返しに高校生に出し物をしてもらったりしています。それが地域の人たちの毎年のイベントになって、おじい、おばぁが喜ぶ、地域が元気になる。
 旅を通じて、当社だけではなくお客様も、地域社会も発展する、旅とはそういう役割があると思っているので、そうした対応(心がけ)を大切にしています。

旅行を通じて
 当社は小さな会社ですが、数校の修学旅行を任せていただいています。そうした中、事前学習会の講師まで依頼していただくことも多々あります。ある学校は旅行前に学習会を実施し、旅行後には「行ってみて何を思ったか」を話し合う場をもっています。押し付けるものではなく、自分で答えを出していくのです。旅行の行程についてもいろいろ提案した中で、ハンセン病の施設でお話を聞く、という企画がありました。後日参加した生徒さんから「旅行を通じて、医学の道に進む決心をしました」とお手紙を頂戴したときには、私どものとりくみの成果があったと喜びました。
 旅の経験を通じて、その人の人生にいい意味で影響を与えられる、その地域が元気になる、そんな経験をすると「ああ、この仕事をやっていてよかった」と心から思える。そんな仕事を今後とも広げていきたいと考えています。

経営理念

富士国際旅行社は、旅行業務をつうじ、平和な世界、
民主的な社会の実現に貢献し
健康で文化的な旅行・レジャーの発展をめざします

Peace Green Humanity
戦争のない、地球環境や弱者の生命や権利が守られる世界をめざします
平和、環境保護、人権福祉の事業や運動を応援します
戦争、環境、福祉、教育をテーマとする視察や見学を提案します

旅は
うるおいのある暮らしと、活力のある仕事と暖かい家庭を生み出し
人と人の新しいネットワークをつくります
旅は、平和で、豊かで、文化的な社会を育みます
富士国際旅行社は、そんな旅づくりのお手伝いをします。

 富士国際旅行社  

◆太田正一(おおた しょういち)さんのプロフィール

 1968年生まれ。埼玉県出身。
 富士国際旅行社に入社し25年。
 2012年より代表取締役。





 
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