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今週の一言

 

中立で公正な経済分析機能を持った経済戦略本部の復活を

2018年7月23日



塩谷隆英さん(元経済企画事務次官)


1.目前に迫った超高齢社会への備えは十分か
 国立社会保障・人口問題研究所の中位推計によれば、2025年に我が国の65歳以上人口が全人口に占める割合は、30.0%である。また、いわゆる「団塊の世代」は、2025年には全員が後期高齢者(75歳以上)となり、全人口に占める割合は、17.8%となる。超高齢社会がつい目の前に迫っているのだ。
 日本の社会保障制度は、基本的には現役世代が負担して引退世代に給付する「賦課方式」になっている。簡単化して、20〜64歳世代が社会保障の担い手層になると仮定して、75歳以上人口と担い手層人口との比率をみると、2015年に、4.4人で1人の後期高齢者を支えていたものが、2025年には3.0人で1人の後期高齢者を支えなければならなくなる。このような社会が永続する可能性はあるのだろうか。その時の我が国の生産力はどうなるのか。雇用はどうか。社会保障制度はどうすればよいのか、その場合の消費税は何%になるのか。果たして我が国経済がこれを吸収できるのだろうか。このままの体制を続けていたのでは、負担に堪えかねて日本経済社会は滅びに向かってひた走るのではあるまいか。
 今の大方の日本人の将来を見る目は、2020年の東京オリンピックで止まってしまっているように感じる。政府内にその先を長期的、総合的に計画する部局はあるのだろうか。「パンとサーカス」の太平を謳歌しているうちに異民族の侵攻で滅びに至ったローマの轍を踏まないための備えをしなければならない。

2.かつて長期経済計画を策定する役所として経済企画庁が存在した
 戦後から前世紀末までの間は、経済企画庁という役所が「長期経済計画」を策定する部署として存在した。法律(経済企画庁設置法)の根拠に基づいて作成されたものとしては、「経済自立5ヵ年計画」(1955年12月)が最初で、最後の「経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針」(1999年7月)まで14の長期経済計画が閣議決定されている。
 橋本龍太郎内閣の中央省庁再編によって、経済企画庁は廃止され、その機能は、ほとんど内閣府に移行されたが、「長期経済計画」という設置法上の文言は消えた。市場経済が進展して、旧ソ連型の「計画経済」を連想させる「長期経済計画」が忌み嫌われた結果だとは思うが、1999年7月に閣議決定された経済計画の名前が示すように、市場経済が発展した今日にあっても、企業や家計に、投資や消費の将来計画のための指針となる将来経済のあるべき姿を示したり、政府の経済政策の方向を知らせたりすることは必要だと思う。内閣府設置法から「長期経済計画」という文言が消えたことは日本経済の将来にとって禍根を残したと言えないだろうか。
 長期経済計画を策定、推進する行政機関として鳩山一郎内閣の時に出来たのが経済企画庁である。その前身は経済審議庁であった。そのまた前身は「経済安定本部」である。経済安定本部は、1946年8月にGHQ(連合国軍総司令部)の強い示唆によって出来た役所で、一時は定員2002人、3副長官(事務次官相当)、1官房10局2部、課の数は48を数える統制経済の実施部門を兼ね備えた大官庁であった。戦後の悪性インフレが収まるにつれて、組織は縮小され、1952年8月には定員397人の「経済審議庁」となり、1955年7月にこれを改組して経済企画庁が発足したときの定員は366人であった。経済企画庁が出来た背景には、独立を果たした我が国が真に経済の自立を達成し、完全雇用を実現するために、「経済自立5ヵ年計画」を策定、推進することが必要だった事情がある。経済自立と完全雇用は、岸内閣の「新長期経済計画」、池田内閣の「国民所得倍増計画」、佐藤内閣の「中期経済計画」および「経済社会発展計画」を通じて追求され、1970年代になってほぼ達成されたと考えられる。この間の我が国経済の高度経済を演出した経済企画庁とその政策パッケージたる長期経済計画の果たした役割は小さくなかった。

3.高度経済成長を演出した「国民所得倍増計画」
 「国民所得倍増計画」は、戦後に作られた経済計画中の白眉である。勃興期にある日本経済の成長力を的確に見定め、企業の設備投資意欲を引き出す役割を果たし、高度経済成長を演出した計画であった。また、日米安全保障条約の改訂が国論を二分し、社会不安が蔓延した重苦しい雰囲気を一気に吹き飛ばし、政治の季節から経済の季節へと劇的に舞台転換をした経済計画でもあった。
 「国民所得倍増計画」は、国民所得を年率7.2%の割合で伸ばし、10年間で倍増させる計画であった。「三種の神器」といわれた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫などの家庭電化製品の普及期であったこともあって、人々の所得が増えれば生活が目に見えて豊かになってゆくという実感があった。月給が2倍になったら夢が現実になる。人々の向上意欲はかき立てられた。企業の成長意欲も旺盛であった。政治がこうした機運をつかんだ。1960年12月にこの計画を閣議決定する際に、「国民所得倍増計画の構想」という但し書きが付され、その前段には、「少なくとも当初の3年間は9%程度の成長を目途とする」と書かれた。
 その後段は、後に全国総合開発計画が作られるきっかけを作ることになる文言が付されていた。すなわち「後進性の強い地域(南九州、西九州、山陰、南四国等を含む。)の開発優遇並びに所得格差是正のため、速やかに国土総合開発計画を策定し、その資源開発に努める」となっている。これは、国民所得倍増計画の基礎になっている「太平洋ベルト地帯構想」に対する後進地域の声を代表する政治からの要請を受けたものである。

4.全国総合開発計画も経済企画庁で作業
 これを受けて、全国総合開発計画(一全総 1962年10月閣議決定)の策定作業が経済企画庁総合開発局で行われた。一全総は、後進地域からの声に応えて所得の地域格差を是正することが目標となり、この目標を達成するために「拠点開発方式」が考え出された。これを実現するために、「新産業都市建設促進法」と「工業整備特別地域整備促進法」が制定された。一時期、経済企画庁の廊下は、「新産業都市」と「工業整備特別地域」の指定の陳情客で「門前市をなす」盛況であったという。
 「新全国総合開発計画」(二全総 1969年5月閣議決定)は、戦後に作られた行政計画中の最高傑作だと思う。この作業も経済企画庁で行われた。特に100年先の利用を考えた社会インフラの改造計画と「情報化社会」の到来をいち早く予測し、いかなる地域にあっても任意に最新の情報を収集分配しうる体制として、日本列島に高速の情報通信、交通ネットワークを張り巡らすという構想を描いた点が特筆される。その構想のラインに沿って今の高速道路網や新幹線網が整備されつつある。

5.客観的、中立的な経済の現況分析
 こうした長期の経済計画や全国総合開発計画を策定する基礎には、日本経済の現状把握が必須である。客観的、中立的な立場で、経済の現況を分析し、国民にこれを公表する役割を担ってきたのも経済企画庁であった。その手段の最大のものは「経済白書」であった。第1回経済白書は、1947年7月に発表された「経済実相報告書」であった。「経済白書」の公表は、その後2000年度の第55回まで連綿と続いた。経済企画庁が廃止され、その機能が内閣府に移行されてからも「経済財政担当大臣報告」通称「経済財政白書」が公表されている。しかしその中身は大分違ったものになっているようだ。松原隆一郎東京大学教授は、小泉内閣時代の「経済財政白書」と昔の「経済白書」とを比べて次のように述べている。「かつて経済白書には、日本経済の実情をありのままに描写し、政策の有効性を検討しようとする経済企画庁の中立的な姿勢が示されていた。けれども現在内閣府が発表している『年次経済財政報告』は、副題に例年『改革なくして成長なし』と付けられているように、政府が策定した経済政策のプロパガンダの色合いが濃くなっている。」(松原隆一郎『分断される経済』NHKブックス 2005年)政権の中枢に近い内閣府によって分析がなされ、公表される現況分析は、ときには政権の都合のよいように改竄されることもあるのではないか、と疑いの目で見られることもあり得る。石油ショックなどの経済危機の際の経済診断が国民に信用されない場合には致命的な失敗につながる。

6.時の政権や日常の行政から距離を置いた経済戦略部門の復活を
 本来経済企画庁の役割は、長期的な戦略策定部門として機能を発揮すべきであったと思う。しかし、20世紀末のバブルの発生とその崩壊という経済危機に際しては、十分その機能を発揮出来なかった。その原因の一つは、当面の景気動向に一喜一憂してその対応に追われ、十年先、二十年先を見据えた国家戦略などを考える余裕を失っていたことだと思う。その失敗の教訓を生かすとすれば、時の政権や日常の行政からある程度距離を置いて、衆知を集めて、国民経済の観点から、昔の経済企画庁のような中立で公正な経済分析機能を持った長期的、総合的な経済戦略部門を作ることである。具体的な組織の一案は、拙著「甦れ!経済再生の最強戦略本部」(かもがわ出版 2017年12月)に示してあるので、いろいろな場での議論の対象にしていただければ幸いである。

◆塩谷隆英(しおや たかふさ)さんのプロフィール

1941年神奈川県鎌倉市生まれ。1966年東京大学法学部卒業。同年経済企画庁入庁、1979年−1983年ジェトロ・ニューヨーク・トレードセンター所員、1987年−1989年通産省産業政策局商政課長、1990年−1992年経済企画庁秘書課長、1995−1997年国土庁計画・調整局長、1997年−1998年経済企画庁調整局長、1998年−1999年経済企画事務次官、2000年−2006年総合研究開発機構(NIRA)理事長、2003年−2006年早稲田大学大学院アジア太平洋研究科客員教授、2008年-2012年桜美林大学客員教授、2008年日本女子大学非常勤講師、2005—2009年大学共同利用機関法人国際日本文化研究センター運営会議委員、2008—2012年一般財団法人経済調査会会長、2009−2015年公益財団法人大原記念労働科学研究所理事長、2008—2016年 株式会社クラレ社外取締役  
著書:
甦れ!経済再生の最強戦略本部』(かもがわ出版 2017年12月)
経済再生の条件—失敗から何を学ぶか』(岩波書店、2007年6月)





 
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