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「道徳の教科化」スタートに際しての考察

2018年7月30日



貴戸理恵さん(関西学院大学社会学部准教授)

 2018年4月から、「道徳の教科化」がスタートしました。これにはいくつかの水準で問題があると思います。「歴史の水準」「内容の水準」「理念の水準」です。それぞれについて見て行きましょう。
 
 第一の「歴史の水準」から見ると、「道徳の教科化」は、2010年代になって出てきた新しい話ではありません。そこには経緯があります。
 まず、教科としての道徳の起源は、戦前・戦中に軍国主義的な「臣民」精神の刷り込みを行っていた「修身科」にさかのぼります。修身科は、科目のなかではトップの位置づけで、教科書には「教育勅語」が掲載されており、「勤勉」「忠義」など24の徳目を上から教え込むものでした。教育勅語は、「朕惟ふに」から始まる300字あまりの短い文章で、その内容は、かいつまんで言えば、「あなたたち国民は天皇の臣下であり、国家にとって緊急のこと(戦争)が起これば天皇と国を守るために戦いなさい」というものです。敗戦と同時に修身科は停止され、教科書は回収となり、代わって民主国家の担い手の育成を掲げる「社会科」が新設されました。
 ところがその後、1951年には当時の文部大臣によって「修身科復活論」が唱えられました。これは実現せず、文部省は最終的に「道徳教育は、学校教育の全面において行うのが適当」という見解を示すに至ります。しかしそうした動きに対し、道徳が「上から徳目を教え込む」という修身的なものに回帰することを危惧する人が声を上げ、イデオロギー対立が強まっていきました。
 1950年代のイデオロギー対立のもとで、道徳を既存の科目に浸透させつつ「全面」的に行うか、固有の「科目」として独立させるかについても、論争になりました。結局1958年に、「教科」ではなく「領域」の一つとして「道徳の時間」が特設されました。つまり、60年前の論争のときは、「臣民精神の刷込み」への回帰を忌避する人びとの反発もあって、「道徳の教科化」には至らなかったのです。
 「道徳」という科目は、真空状態にぽっかり生まれたのではありません。人間は間違いを犯す生き物ですから、道徳が次の世代に特定の「価値」を教えることを明示的に志向する科目である以上、「過去に何があったのか」をきちんと認識することは重要です。それによって、1)その「価値」が本当に伝えるべき・伝えるに値するものなのか、を深く問うことができるとともに、2)「特定の価値を教科として教えること」が孕みうる問題とは何か、という点についても、具体的に考えることができるからです。
 道徳とは、道徳教育とは何か、そのためのよい方法とは何か。答はひとつではありません。そのなかで、私たちはある「ひとつ」を選び、子どもたちに伝えてしまっています。「考える道徳」というならば、まずは伝える側の私たちが考えなくてはならないはずで、そのためにまずは歴史を振り返ることが大事だと思います。
 
 第二に「内容の水準」とは、学習指導要領と教科書の内容についてです。学習指導要領(小学校1、2年生)では、道徳教育の内容は、A「主として自分自身に関すること」、B「主として他の人とのかかわりに関すること」、C「主として集団や社会とのかかわりに関すること」、D「主として自然や崇高なものとの関わりに関すること」の4つの領域に分かれており、それぞれ、A「善悪の判断、自律、自由と責任」「正直、誠実」「節度、節制」「個性の伸長」「希望と勇気、努力と強い意思」、B「親切、思いやり」「感謝」「礼儀」「友情、信頼」、C「規則の尊重」「公正、公平、社会正義」「勤労、公共の精神」「家族愛、家庭生活の充実」「よりよい学校生活、集団生活の充実」「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」「国際理解、国際親善」、D「生命の尊さ」「自然愛護」「感動、畏敬の念」などから構成されています。
 全体を通して浮かび上がるメッセージは、「集団のルールが大事、相手が大事、そうすれば自分も大事にされる」というものです。社会や国の価値規範がまずあり、それに適うようなかたちで個々の思考・感覚・行動がつくられる、という順番なのです。伝統文化や自然といった項目は、この価値規範を「昔からあったすばらしいもの」として裏付ける役目を割り当てられており、身近な関係も、「思いやり」「感謝」など表層的な価値を通じて集団への同調的態度を構成しています。
 けれども、自由で民主的な社会であれば、まずは「自己は十全の価値を持つ大切な存在である」としたうえで、他者もまた自己と同様に尊重されるべき存在であり、考え方や利害が異なる他者と共生するために社会のルールが必要なのだ、という順序の方が、ふさわしいのではないでしょうか。つまり、「自分が大事、相手も大事、だから集団のルールが必要」ということです。
 加えて、学習指導要領を具体的に著作・編集していく教科書会社は、検定を行う文部科学省の意向を第一に気にしており、「子どもに何を伝えるべきか」という視点が二の次になっている面があります。
 2017年の教科書検定では、「高齢者への尊敬と感謝」が不足しているとの検定意見により、「おじさん」から「おじいさん」に表記を変えたり、「伝統文化の尊重」の観点から「パン屋」を「お菓子屋」に変更したりと、あまりにも表面的な対応が行われました。しかし、重要なのは「無難さ」ではないでしょう。
 薄っぺらい寓話が多いことが気になります。ゲームやSNSのやり過ぎで夜更かしして翌日に差し障り、後悔する子どもの話や、周りに流されず正義を貫いたり、仲間はずれの子どもを救ったりする「道徳のヒーロー/ヒロイン」の話などが、子どもたちに響くとは思えません。
 また、障害を持つ人が努力して困難を克服・成果を達成する話も「定番」です。が、そこには「ハンディのある人も頑張っているのだから、おまえも努力せよ」という健常者中心主義的な「感動物語の消費」が見て取れます。「克服・達成すべき」とする価値そのものを捉え直し、ありのままの「生」それ自体を祝福することが重要でしょう。
 私は、道徳教育は広い意味での人権教育であるべきだと思います。そのためには、表層的な「正解」を先に与えるような寓話的散文を極力減らし、子どもの発達段階に合わせて、1)事実の記述、2)倫理学・哲学の入門的記述、3)文学的記述を織り交ぜていったほうがよいと考えます。
 たとえば、障害者運動と差別の歴史の方が、「感動物語」より、よほど記載する意味があります。ジェンダーや性の多様性、民主主義といった概念は、中学生から知っているべき重要なポイントだと思いますが、取り入れた教科書は見ていません。いじめの記述も、リアリティのない「道徳のヒーロー/ヒロイン」に活躍させるより、たとえば中井久夫氏の著書『いじめのある世界に生きる君たちへ』(中央公論新社)などを掲載した方がよほど良いのではないでしょうか。
 教科書検定に怯え先回りして「忖度」することなく、今、子どもたちにとって本当に必要だと考えられるコンテンツを堂々と提案していくことが、教科書を編集する大人たちには求められています。

 第三に、上記の二点と関わるものとして、より根源的な「理念」の水準があります。道徳教育は、英語ではvalues education(価値教育)であり、諸外国でも類するものが行われています。特定の諸価値を子どもに伝えること自体を否定しないとすれば、重要なのは、「どんな価値を、どんなふうに伝達するのか」を明確化することでしょう。
 たとえば、オーストラリアでは、2005年に国家的な枠組(National Framework for Values Education in Australian Schools)が定められ、価値教育の実態調査に基づいて、目指すべき方向性や実現のための手引きなどが整備されました。オーストラリアの国家的アイデンティティは、(少なくとも名目上は)過去の原住民への差別・抑圧を反省し多文化主義を標榜する民主国家、というものです。これに沿って、子どもたちに身につけさせるべき価値として、「自由:市民権を享受し他者の権利のために立ち上がる」「理解・寛容・包摂:異文化を理解し差異を受け入れる」などを含む9つが打ち出されました。
 翻って、日本の道徳教育には「どんな国をつくっていくか」というビジョンと、「だからこの価値を子どもたちに教える」という合理的説明を基礎づける合意があるとは思えません。80年代以降の道徳教育は、偏差値中心主義やいじめなどへの対応として個人の「心情」「心」を矯正する手段とされるなど、そのときどきの教育問題の解決手段として、アリバイ的に動員されるに止まってきました(それも、実際に問題解決に役立つのかを検証することなしに、です)。さらに、国家的アイデンティティに関しては、「伝統文化の尊重」など「既にあるものに立ち返る」ナイーブな過去志向です。
 しかし、ポストコロニアルの国民国家論が明らかにしたとおり、国や伝統は「既にあるもの」ではなく、人為的に「つくられるもの」です。だとすれば、「どんな国をつくるのか」「そのためにどんな価値を伝えるか」について、明示的に語り、合意することが不可欠でしょう。まずはこの国に生きる大人たちが、どんな国が望ましいかを本源的に考え、言葉にしていかなければなりません。

*『東京新聞』2017年、『女性のひろば』2018年5月号に寄稿した原稿を元に考察を加えています。

◆貴戸理恵(きど りえ)さんのプロフィール

1978年生まれ、関西学院大学准教授(社会学、「不登校の<その後>研究」)。
アデレード大学アジア研究学部博士課程修了(Ph.D)。
著書に『不登校は終わらない:「選択」の物語から<当事者>の語りへ』『「コミュ障」の社会学』など。





 
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