はじめに
新型コロナウイルス感染拡大の影響で延び延びになっていた公立福生病院透析中止死亡事件・民事裁判の第1回口頭弁論期日が来たる7月22日と決まった。この裁判で透析を中止して亡くなった女性の遺族は何を訴えているのか?また、本年4月、日本透析医学会は、この事件を契機として、透析見合わせの対象を終末期でない患者にまで拡大するガイドラインを発表した。こうした状況下で、本稿では、透析患者の「意思」と治療のあり方、終末期でない患者に医療者が「死の選択肢」を提示することに問題はないのか等について考えたい。
1.公立福生病院透析中止死亡事件とは・・
公立福生病院透析中止事件とは、昨年(2019年)3月毎日新聞が一面で「透析患者に〝死〟の提案」(大阪版)、「医師、『死』の選択肢提示―透析中止患者死亡」(東京版)との見出しで報道し、大きな反響をもたらした事件である。とりわけ、透析治療が生命の綱である腎不全患者には、不安と動揺を与え、医療機関への不信をも生じさせた。
●事件の概略
2018年8月9日、腎臓病を患う44歳の女性(以下A子さん)は、透析に使う血管の分路(シャント)がつまったため、東京都にある公立福生病院腎臓病総合医療センターを受診。担当外科医は首周辺に管(カテーテル)を入れて透析を続ける治療法とともに、透析をやめる選択肢を提示し、やめれば2 ~ 3週間程度の寿命となると説明した。A子さんは透析中止を決め、病院が用意した「透析離脱証明書」にサインした。この「透析離脱証明書」(本来は透析離脱同意書あるいは承諾書というべきもの)には、「いつでも透析を再開できる」との項目はなく、医師からの説明もなかった。
Aさんは、容態が悪化して、同年8月14日に同病院に入院したものの、16日に亡くなった。その間「こんなに苦しいなら透析したほうがいい。撤回する。」と透析再開を求めた。Aさんの夫も透析再開を訴えたが、医師は応じず、多量の鎮静剤を投与し、Aさんは死に至った。医師は「清明であった時の意思に重きを置いた」という。
同病院では、腎センターが開設された2013年4月から2019年2月までの間に、透析中止を選択して死亡した患者が4人、最初から透析をしない「非導入」で死亡した患者が約20人いたことが、東京都の立ち入り検査で明らかになっている。
●遺族の訴え――-なぜ透析を再開してくれなかったのか? むごい死に方を強いられた!
2019年10月17日、亡くなったA子さんの遺族は、公立福生病院の運営主体である福生病院組合を被告に東京地裁に民事訴訟を提起した。
提訴に当たってA子さんの夫は、「妻が息苦しさから公立福生病院に入院した時、私は亡くなるとは思っていませんでした。入院すれば助けてくれると思っていました。死に方が不自然で腑に落ちません。(中略)医師は何も治療せず、透析離脱を撤回したいと言ったのに聞いてもらえませんでした。本人が苦しんでいるのに治療する気配もなかったのは何故か?見殺しにされたのではないか?それを知りたいと思い裁判を起こすことを決心しました。」とのメッセージを寄せている。
「なぜ、透析を再開してくれなかったのか?その訳を知りたい、真実を知りたい」。遺族が一番にあげる提訴の理由である。
実は、A子さんが亡くなる前夜、夫は胃潰瘍と胃穿孔の病に倒れ、同病院の救急病棟で緊急手術を受けている。そのためにA子さんからのSOSメールを見ることが叶わず、死後にそれを見つけ涙が止まらなかったと話す。腎センターの病棟から呼ばれて術後の夫が車椅子で駆けつけた時には、A子さんは口を半開きにして苦しそうな表情ですでに動かずベッド上に横たわっていた。
「妻はむごい死に方を強いられた。振り返るとやはり急性胃炎で自分が緊急手術となったのが悪かった。(妻に)ついていたら助けられた。中止の撤回はできたんじゃないかと思うと悔やまれてならない。」と語り、後悔の念を拭えないのだ。
●問題点
(1)医師からの「透析中止の選択肢」提示は「死」への誘導ではないか
福生病院の担当医師から「透析を継続して延命を図るのであれば新規アクセスの造設を行うが、透析の継続を望まないのであれば手術は行う必要はない。」と説明を受けたA子さんは、『透析を止めることもできる』と気づき、透析中止を選んだ。病院から呼び出された夫は「私が呼ばれたときにはすべてが決まっていた」、言葉を挟める状況ではなかったと語る。
A子さんは、以前にも透析を中断したことがあった。苦しくて病院に駆け込み透析を再開、数カ月後に回復した。その経験から、夫には「透析を中止しても入院すれば再開してくれる。」との思いがあったのだという。
一方で、福生病院の医師は「透析は根治療法ではない。腎不全というものの死を遠ざけているに過ぎない。」「透析がどんなものかを説明したうえで継続するか中止するかの選択肢を『適正』に提示し患者本人が選んだ」と語っている(報道から)。
透析中止が死に直結することは明白だ。終末期でない患者に、医師から透析中止を提示することは患者を「死」に誘導することになる。私は、医師がそんな提案を絶対に行うべきではないと考えるし、こういう担当医師の考え方がA子さんを死に至らせたのだと思う。
(2)「透析をいつでも再開できる」との説明をしていない
しかも、福生病院の「透析離脱証明書」には「透析離脱をいつでも撤回できる」「意思を変更できる」との項目はない。説明もない。明らかに医師としての説明義務を怠っている。
この点については、東京都の立ち入り検査でも「患者の意思の変化に対応できる旨の説明を行った記録を確認できないものがあった」と指摘され、指導が行われている。
(3)患者の「意思」の変化に寄り添っていない
では、透析離脱に同意したA子さんの意思は変化しなかったのか?否、明確に透析の再開を求めたのだ。以下、『訴状の概要』から、カルテの記載を引用する。
*8月14日 11:00
「(A子)自分で決めた。だけどこんなに苦しくなるとは思わなかった。撤回するならしたい、でも無理なのも分かっている。」
「家族:本人が苦しいから治療(テシオカテーテル)をやって楽にしてほしい」
*8月16日 9:45
「(A子)こんなに苦しいなら透析した方がいい。撤回する」
8月14日の記載からは、A子さんが透析離脱のサインを撤回できないと思い込んでいた節がうかがえる。入院時にも「意思は変わらないか?」「透析はいつでも再開できる」との説明はされなかったのである。
このような重篤な患者に対して、医師はどのように向き合うべきか。少なくとも入院時、毎日の回診時など、一日に数度は直接本人の症状を診察して意思を確認するべきであった。しかし、遺族によれば、A子さんが「先生になかなか会えない。連絡して欲しい」と訴えるような、家族からすると見放された対応だったのである。
(4)医師の責任は問われるべき
透析を中止すれば、呼吸苦をはじめ、意識障害、嘔吐、浮腫、かゆみ・・等の症状が出て、患者は波が押し寄せるように間髪的に耐えがたい苦痛に襲われるという。その苦しみから、透析不開始や中止をした患者が意思を変えることも多いと聞く。A子さんもそうだった。担当医がA子さんの意思の変化を無視して、多量の鎮静剤を投与して死亡させた責任は問われるべきだ。患者や家族に寄り添い、鎮静剤投与ではなく透析再開を行っていれば、A子さんは今も生きていられたのだから。
2.日本透析医学会は事件をどう受け止めたのか
2020年4月、日本透析医学会は学会誌に「透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言」を発表した。これに先立つ2019年5月31日、同学会はステートメントを公表し、「本症例が終末期の症例とは判断できないことから、あえて判断しない」と判断を回避しながら、この事件を「患者の意思が尊重されてよい事案」と結論付け、担当医及び公立福生病院の医療行為を追認していた。
今回の「提言」は、公立福生病院事件を契機に検討され、透析見合わせの対象を「終末期の血液透析患者」に限定した2014年ガイドラインから大きく(すべての年齢の終末期でない患者へ、血液透析だけでなく透析を必要とする末期腎不全患者および急性腎障害の透析導入期患者も含むものへと)拡大したものだ。
「提言」で、以下の点がどう扱われたのを見てみる。
<1>終末期でない患者に医師が透析中止を選択肢として提示することは許されるのか?
<2>安楽死法や尊厳死法がない日本で、患者の意思だとして透析を中止した場合、医療者は、自殺幇助や同意殺人の罪には問われないのか。
<1>に関して
「提言」は、終末期でない患者への透析不開始・中止を医師から提案することには触れなかった。患者や家族から透析見合わせの要望があった場合の“意思決定プロセス”を示し、医師が提案できるのは、2014年提言の「透析の見合わせについて検討する状態(透析を安全に行えない状態、患者の全身状態が極めて不良の状態)」とした。2020年2月16日に行われた公聴会においても、提言作成委員会委員長の岡田一義氏は「(終末期でない患者に)医師から提案することはない」と断言した。
しかし、「提言のおわりに」には、末期腎不全の治療選択として、「・・療法選択時に諸外国のように4つの選択肢(腎移植、腹膜透析、血液透析、保存的腎臓療法)を示す必要がある。・・」と、今後の方向として、三つの腎代替療法に加え、それらを行わない選択肢の提示に含みを持たせている。
<2>に関して
これまでは、治療行為の中止は患者が末期状態であることと極めて限定されてきた。死に直結する治療中止は「自殺ほう助、同意殺人罪」に問われる。「提言」は、この点には触れず、“厚労省の示したガイドラインに則り、医療チームが方針決定に至る過程を重視すれば”訴追される可能性は低いとしている。法律の制定ではなく実態的な治療の打ち切りの方向へ進められることが危惧される。
「提言」は、「患者の権利(公正な医療を受ける権利、治療を拒否する権利)を尊重しこれを擁護する・・・・」という。透析患者が透析治療を拒否すればその患者は死ぬ。それを「権利」というのは医療の否定だ。「尊厳」死への道を開くものではないか。福生病院の担当医師が主張する、すべての情報―「死」の選択肢も一律に提示して患者が選択し実際に死なせてしまうことを「適正な医療」というのも同じだ。こうした論理では、「医療は死ぬためのもの」になってしまう。
3.治療の打ち切りでなく生きるための支援を!
たとえ患者が透析の中止や不開始(非導入)を望んだ場合でも、治療を受けたくない原因は何か、その障壁を取り除き、生きるための話し合いを続けて患者を支えることが医療者の責務であるはずだ。私は、長年取り組んできた医療被害者の支援活動、あるいは脳死状態で生きる子どもの姿に、生命の選別や切り捨てを行ってはならないこと、どんな生命もそこにいることが大切だということを教えられた。
公立福生病院透析中止死亡事件・民事裁判は、上記に挙げた問題点が医師の説明義務や医療法に違反する行為であることを問うとともに、「治療の打ち切り」「死なせる医療」の蔓延ではなく、「生きるために患者を支える医療」を求める遺族・透析患者・市民の異議申し立てでもある。是非注目していただきたい。
◆川見公子(かわみ きみこ)さんプロフィール
1948年生まれ、東京都在住。
70年代、出産後に子を亡くした友人の医療被害裁判を支援。「都立墨東病院被害者・住民の会」の結成に関わる。
80年、「富士見産婦人科病院被害者同盟」など、医療被害者の闘いを支援・連帯。
84年、急性脳症「ライ症候群」の原因であるアスピリンの副作用を問題にした母親の闘いから結成された「薬害・医療被害をなくすための厚生省交渉団」に参加。薬害・医療被害者団体と共に現在も厚労省交渉を継続中。
90年、「脳死は人の死か?」を問う「脳死・臓器移植に反対する市民会議」(世話人)。
現在、「臓器移植法を問い直す市民ネットワーク」(事務局長)。2019年6月結成の「公立福生病院事件を考える連絡会」(事務局)。