● 原告に加わりました
私も原告に加わりました。昨年(2020年)3月9日、東京地裁に提訴した「宗教者核燃サイクル事業の廃止を求める裁判」(略称:宗教者核燃裁判)の原告に、です。
青森県六ケ所村にある使用済み核燃料サイクル施設の運転差止めを求めて。青森でなく東京地裁に提訴したのは、全国に発信したいから。再処理工場がどんなに危険かを一人でも多くの人と共有したいから、です。
原告に加わった理由は、二つ。第一は、原発・原子力法制は、主権者の権利を保障する憲法に違反しているから。第二は、使用済み核燃料・放射性廃棄物を後世に残すことは、今を生きる一人の人間としての倫理に反するから。
被告は、日本原燃株式会社(本社・青森県六ケ所村)。全国の原発で発生している使用済み核燃料からウランとプルトニウムを取り出し、それを再利用する核燃料サイクル事業を行っている会社です。
原告は、第一次原告211名に加えて第二次提訴で28名が加わり、計239名。宗教/宗派や僧侶/教役者の別は問いませんが、宗教者/信仰者としています。私はキリスト教の一信徒として、加わっています。弁護団は、河合弘之弁護士、井戸謙一弁護士ら3名。
これまでの原発関係訴訟は、原発差止め請求が中心。使用済み燃料のことは、ほとんど正面から取り上げられてきませんでした。今回の宗教者核燃裁判は、核燃サイクル事業そのものにとどめを刺す裁判です。原子力行政の本質そのものに切り込んでいく裁判になります。
単なる技術論だけでなく、宗教的倫理から、政策転換を訴えているのです。大飯原発差し止め判決や高浜原発運転差し止め仮処分を出した樋口英明元裁判長の「樋口理論」を、新しい切り口にしています。誰にでもわかる論理体系で裁判を進めます。裁判官が自信を持って自らの良心に基づいた判決を出せるように進めます。
今を生きる私たちの命、未来に生きる人たちの命。原発(核)問題は、その両方に迫る問題です。核といのちは、共存できません。そして第1回口頭弁論は、昨年12月17日に行われました。
●私の「いのちをつなぐ権利」侵害
私は大学3年の時受洗し、今日に至っています。大卒後、東京キリスト教青年会(東京YMCA、1967~1980年)、アジア保健研修所(AHI、1980~1997年)、国際民衆保健協議会(IPHC、1997~2003年)三つのNGOで計36年間、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの平和運動、地域開発活動に従事してきました。
私は、関西電力大飯原子力発電所・高浜原子力発電所・美浜原子力発電所の南東約120キロ、中部電力浜岡原子力発電所の西約100キロに位置する愛知県に住んでいます。日本原燃株式会社が管理・運営する青森県六ケ所村の再処理工場から、直線にして南西約800キロのところです。
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青森県六ケ所村の使用済み核燃料サイクル施設の運転によって、36年間NGO活動で培った私の平和と公正を希求する生き方が否定され、権利侵害が生じて不安を抱いています。
原発が稼働・運転され続ける限り、原発は使用済み核燃料を出し続け、再処理工場へ運ばれます。たとえ事故が起こらなかったとしても、使用済み核燃料は増え続けます。保管・貯蔵・再処理技術・最終処分施設とその方法・膨大な経費など、問題は山積しています。問題解決の目途は、立っていません。このままではそれらすべての負荷と課題を、未解決のまま次の世代以降に先送りするだけです。
私は、自らのいのちとくらしと安全を憂いているだけではありません。このまま進むと、次の世代以降の人たちの環境・いのち・暮らしがどうなってしまうか、不安でしかたがありません。私たちのいのちを未来にどうつなぐか。いのちをつなぐこと、これは私の生き方、人格そのものであり権利です。今を生きる私たちは、その責任を負っています。責任を果たすためには、未来にいのちをつなぐことを真剣に考え、個人のみならず社会・国が取り組まなければなりません。
使用済み核燃料・放射性廃棄物を後世に残すことは、今を生きる私の生き方、倫理に反します。六ケ所村再処理工場運転が容認されると、私の「いのちをつなぐ権利」が否定され、侵害されてしまいます。私は、私の信仰に基づいて、私たちの幸せだけでなく、後世の人々の幸せを祈り実現させたいと願っています。現世代だけでなく、未来世代のためにより良い地球環境を残したいと願っています。
●「いのちをつなぐ権利」を確信するに至った経緯
「いのちをつなぐ権利」侵害は、すなわち私の人生、私の生き方そのものの侵害、否定です。“抽象的不安”や“単なる精神的苦痛”などの言葉で片付けられるものでは決してありません。
2015年11月、私は友人らとドイツを訪問しました。その時、ドイツ脱原発倫理委員会(正式には『安全なエネルギー供給に関する倫理委員会』)の中心的役割を果たした委員の一人、ミランダ・シュラーズさんにベルリン自由大学でお会いしました。
倫理委員会は、3.11直後の2011年4月 4日、メルケル首相が設置しました。同年5月30日に報告書『ドイツのエネルギー大転換~未来のための共同事業』を提出するまでの8週間、活動を行いました。委員会は、政治家・研究者・国連関係者・大学教授・環境問題関係者・キリスト教会関係者・企業並びに労組関係者ら17名で構成されました。このなかには、原子力の専門家と電力会社関係者は一人もいません。理由は、どのようなエネルギーが提供されるべきかは電力会社でなく社会が決めるべきだ、との考えからです。
ミランダさんは、「事故は起こる。起こったら他のどんなエネルギーより危険で、取り返しがつかない。原子力より安全なエネルギー源が存在する」と述べました。この三つは、ドイツが脱原発に舵を切った主要な理由です。
委員会は、10年以内に原子力エネルギーの利用から撤退する、と結論しました。報告書を受け取ったメルケル首相は、2020年末までに全ての原発稼働停止を閣議決定して、原子力法を改正しました。2011年当時18.6%だった再生可能エネルギーの比率を2020年までに35%にする目標を立てました。こうすれば、原発は必要ない。このためにかかるインフラ整備等のコストは「次世代への投資」であり、国全体の経済発展を刺激する大きな要因となる、としたのです。一時的に国民の負担が増えても、次世代のことを考えて舵を切ったのです。
「次世代への投資」、「次世代のことを考えて舵を切った」。そうかこれだ、と私は確信しました。目先の現世代の経済利益や損失で判断するのでなく、次世代の人たちの生存といのちを視座の中心に置いて、今を生きる私の信仰、私の人格、私の価値観を大切にして生きること。私は確信を持つことができました。
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ドイツ脱原発倫理委員会が指摘した通り、実際、2011年3月、福島第一原子力発電所で事故は起きました。私は、2014年2月と3月、それに2018年2月の計3回、福島県大熊町・浪江町・双葉町や岩手県陸前高田市などを訪問しました。原発事故による被害の甚大さを自分の目で確かめるためでした。「事故は起こる」、「起こったら他のどんなエネルギーより危険で、取り返しがつかない」。まさにその通りでした。
● NGO活動で得た確信
「ジャストピース」(Justpeace)とは、「公正にもとづいた平和」という意味です。ジャストピースのジャスト(Just)は、「公正/正義」。この場合のジャストは自分たち地域だけの公正/正義でなく、他の地域、他の社会、他の国の公正/正義を含みます。その「ジャスト」と「ピース(平和)」の二語を組み合わせた言葉です。
途上国の飢餓人口を拡大させ、途上国の生物多様性と環境を破壊させて成り立っている私たち先進国の一部分の経済 “繁栄” と“ 豊かさ” は、ジャストピースといいません。ある人/ある地域を犠牲にして成り立っている平和は、ジャストピースではありません。
同様に、他者を傷つけて成り立つ安全、未来世代のいのちを脅かして得る繁栄と豊かさは、「ジャストセーフティ」(Justsafety、公正にもとづいた安全)ではありません。最終処分施設とその方法の目途も全く立たない中で、六ケ所村再処理工場の運転によって出される高レベル放射性廃棄物を後世に先送りする。それで得ようとする今の安全(セーフティ)は、ジャストセーフティではない。
今を生きる私たちの命も、未来に生きる人たちの命も、重さ・尊さは同じです。原発(核)問題は、その両方に迫る問題です。こうしたジャストピースという視点/考え方は、私が36年間のNGO活動とその後の大学教員研究などで学んだ大切な価値観です。私の生き方の基盤、信仰の基盤になっているものです。
● おわりに
私は、まだ見ぬ未来の人たちの苦しみ、痛み、不安、恐怖などに、無関心、無感動で居られる人間ではありません。世代を超えて、他者の苦痛を自分の苦痛と感じる、感じ取ろうとする人間です。「いのちをつなぐ権利」は、誰からも侵害されたくない大切な権利です。今のいのちは大切です。未来のいのちも等しく大切です。
六ケ所村の再処理工場運転を容認することは、私の人格の中心を構成している価値観、権利を侵害します。私の人生の否定になります。ゆえに、私は再処理工場運転を受忍することはできません。再処理工場の運転差止めを求めます。
司法府は、どのような権力・圧力からも影響されることなく、独立して公正な判断を下し、権利侵害、不安などに苛まれている市民を救済する砦だと信じています。司法府が、法と良心に基づいた公正な審議と判断をすることを期待しています。
*本訴訟の訴状は、 こちらから入手購入(頒価 1,000 円)可能です。 訴訟の意義や争点などが分かり易くまとめられています。
◆池住義憲(いけずみ よしのり)さんのプロフィール
1944年東京都生まれ。大卒後、東京基督教青年会(YMCA)、アジア保健研修所(AHI、愛知県)、国際民衆保健協議会(IPHC、本部ニカラグア)など計36年にわたってNGO活動に従事。自衛隊イラク派兵差止訴訟(2004年2月〜2008年4月)では原告代表として、名古屋高裁で違憲判決を勝ち取る。元立教大学大学院キリスト教学研究科特任教授(2015年3月まで)。愛知県日進市在住。
【関連HP:今週の一言・書籍・論文】
今週の一言
「再び戦争の惨禍が起こることのないように」
「過去が 私を追い駆けている ~終戦記念日に考える」
「『軍事による平和』vs.『九条による平和』」
「平和憲法を変えてはいけない。9条を変えてはいけない。」
池住義憲さん(元立教大学大学院キリスト教学研究科特任教授)