刑事法改正要綱案における保釈中の被告人に対するGPS監視
法制審議会は,令和3年10月21日に開催された会議において,保釈された被告人の逃亡防止の措置を定める刑事法改正の要綱案を全会一致で採択し,法務大臣に答申した。要綱案では,保釈中又は勾留執行停止中の被告人に対する報告命令制度の創設,監督者制度の創設,公判期日への出頭等を確保するための罰則の新設などと並んで,GPS端末により保釈中の被告人の位置情報を取得・把握する制度の創設が提案された。
諸外国には,重大犯罪に関する有罪判決を受けた者に対してGPS機器を用いた居所監視措置を行う国も多いが,保釈中の被告人に対するGPS機器の装着を義務づける制度をもつ国はそれほど多くない(アメリカ,イギリス,フランス,韓国,カナダ(ブリティッシュ・コロンビア州)などがある)。法制審議会が後者の導入へと進んだ背景には,2019年に特別背任罪で起訴された日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告人が海外に逃亡した事件をはじめとして,保釈中の被告人の逃亡事案が多発したこともあるが,ゴーン被告人の事件をきっかけに逮捕段階から自白を得るまでに長期間勾留する「人質司法」と呼ばれるやり方に多くの批判が集まったことも一因だろう。
要綱案によれば,裁判所は,保釈を許す場合において,被告人が本邦外に逃亡することを防止するため必要があると認めるときは,被告人に対し,GPS端末を自己の身体に装着することを命ずることができるものとされる。GPS端末は,それが「所在禁止区域」内に所在する場合や装着者の身体から離れた場合などに,裁判所に信号を送信することとなっている。こうした信号が受信されると,裁判所は保釈の取消,被告人の勾引などを行うことができる。ただし,GPS端末が法定の事由によって信号を送信したときなどに被告人の位置情報を確認するような場合のほかは,端末位置情報の確認は禁止されている。「所在禁止区域」としては,空港その他の飛行場又は港湾施設の周辺の区域その他の「出国する際に立ち入ることとなる区域」のうちの一定区域が想定されており,主として海外逃亡を防止するための措置となっている。
GPS監視措置と憲法上の権利保障
以上のような措置は,憲法上の権利と衝突する可能性がある。まず,保釈中の被告人の行動が監視されることとの関連では,個人の尊厳,プライバシー権との衝突が考えられる。また,被告人の身体にGPS端末を装着し,これを自由に取り外せないという点では,身体の自由への介入があるといえる。「所在禁止区域」への立ち入りが禁じられるという意味では,移動の自由に対する制約でもある。さらに,有罪判決を受けたわけでもない被告人にかかる措置を行うことは,無罪推定原則にも抵触する余地があるだろう。
一般的にいえば,個人の私的領域に深く介入する監視措置は,それが十分に重要性をもった法益の保護ないし維持に資するものであり,かつ個別のケースでの法益侵害可能性について十分な事実上の根拠が存在する場合にのみ,憲法適合的なものである。このとき,監視措置が個人の人格的要素をも監視の対象としていたり,あるいは対象者の人格プロフィールの作成を容易にするようなものである場合には,かかる憲法上の正当化要請はより強くなる。また,こうした監視措置が現時点において解明を必要とする犯罪事実の捜査のためではなく,将来的に起こりうる事態に対処するための予防措置である場合には,保護の対象となっている法益の重要性と個別ケースでの法益侵害可能性の予測はより厳格に問われるべきである。とくに個別ケースにおいて監視を行うための介入根拠については,一般的な規律を置くだけでは十分ではなく,個別ケースでの特別な事情が法益侵害発生の予測を支えていなければならない。
このような観点から要綱案でのGPS端末を用いた監視措置を見た場合,措置がプライバシー権や移動の自由に制約を科すものであることは疑いがないものの,これらの権利に対する介入の強度はそれほど強いものではない。要綱案での監視措置は対象者のあらゆる行動や生活状況をもれなく記録するような常時監視・包括的監視型ではなく,また所在禁止区域もかなり限定的である。介入は海外逃亡を防止する上で必要な限度にとどまっており,比例的なものとして正当化することができるだろう。他方で,かかる措置は,無罪推定原則や身体の自由との関係ではやや強度な介入となっている。無罪の推定が行われるべき保釈中の被告人に対して,自己の意思では着脱のできないGPS端末を装着するというのであるから,この点に関する正当化は慎重に判断する必要がある。身体へのGPS端末の装着にともなうスティグマの問題も軽視できない。しかも,この措置は,海外逃亡のおそれを前提とする予防的な措置である以上, GPS端末装着の必要性判断にあたっては個別ケースごとに法益侵害発生の予測に高い蓋然性を求める必要がある。裁判所のこの点に関する判断が十分厳格に行われなければ,海外逃亡のおそれもそれほどないのに監視が行われるという過剰な介入が生じないとも限らない。
「人質司法」の抜本的解消を
今回提案された措置の正当性判断を難しくしているのは,この措置のなかで無罪推定原則と身体不拘束の原則とが衝突しているからであるように思われる。これらはともに本人に資する利益であるから,それが対立するというのは調整の難しいジレンマ状況を引き起こす。今回の調整にあたっては,無罪推定原則からすれば,保釈中の被告人に対してGPS端末の装着を命じることは重大な介入になりうるところ,長期間の勾留が常態化している日本の現状からは,身体を拘束されるよりはGPS端末による情報監視の方がよほどマシだとの考慮が働いたという背景があったのではないか。いわば無罪推定原則と身体不拘束原則との中間地点に落としどころを見出したのが,今回の提案の趣旨であったように思われる。これを賢慮と見るか,批判の矛先をかわすための表面的な妥協と見るかは判断が分かれよう。
なお,今回提案された措置によって「人質司法」が解消されるということには必ずしもならないということも指摘しておきたい。この措置はあくまで海外逃亡を防止するために行われるものであって,それ以外の目的をもたない。保釈を請求する被告人のうちで海外逃亡のおそれがある者は現実的にはかなり少ないと予想される。裁判所がこの措置を海外逃亡のおそれのない者にまで拡大して濫用的に適用するということがない限り,適用例はそこまで多くはならないだろう。「人質司法」の解消には,否認事件において「罪証隠滅のおそれ」を拡大解釈的に適用できてしまう現行の保釈制度の全面的な見直しが必要である。無罪推定原則と身体不拘束原則とが衝突してしまう根源的な理由が現行保釈制度にあることを直視するべきだろう。
◆玉蟲由樹(たまむし ゆうき)さんのプロフィール
日本大学法学部教授。専門は憲法学。著書に『人間の尊厳保障の法理』(尚学社、2013年)、『憲法演習サブノート210問』(共著、弘文堂、2021年)、『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(共著、法律文化社、2021年)など。
【関連HP:今週の一言・書籍・論文】
今週の一言(肩書きは寄稿当時)
警察によるDNAデータ保管の違憲性
玉蟲由樹さん(日本大学法学部教授)