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今週の一言
司法政治の世界―ブライヤー判事引退にみる政治ゲームと憲法構造
2022年3月7日

大林啓吾さん(千葉大学大学院専門法務研究科教授)


序
2021年1月、アメリカ連邦最高裁のブライヤー裁判官が辞任を表明した。83歳の高齢とはいえ、連邦最高裁の裁判官職は終身制であり、亡くなるまで在職するケースも珍しいことではない。しかし、死ぬタイミングは必ずしもコントロールできないが、辞任のタイミングは決断次第である。アメリカでは司法の存在感が大きく、その判断は政治にも大きな影響を及ぼす。実際、ブライヤーの辞任表明後、バイデン大統領はただちに後任候補の選定に着手するとアナウンスし、野党共和党側はその動きを牽制するなど、政治の世界が蠢動し始めた。本稿ではアメリカの司法政治(judicial politics)の世界を覗いてみることにする。

1 連邦最高裁のポジション
アメリカの連邦最高裁は、しばしば重要な憲法問題や社会に大きな影響を与える問題についても判断を行ってきた。とりわけ、法の支配や権利保障を実践してきたこともあり、憲法の番人としての役割を担ってきた。最近でも、新型コロナのワクチン接種義務化について、法律の授権がなければ義務化はできないと判断し(NFIB対労働省決定)、パンデミック時においても法の支配を貫徹している。ゆえに、アメリカ社会における連邦最高裁の存在はきわめて大きい。
 ただし、司法判断が政治部門の憲法価値の実現や政策実現に影響を与える以上、司法と政治の関係はしばしば政治ゲームの様相を呈し、司法もそれにプレイヤーとして参加することになる。たとえば司法が積極主義を展開すると、時として政治部門から反撃されるおそれがあり、連邦最高裁は絶妙な匙加減が重要になる。一方、政治部門は司法を手なづけることで政策実現をはかりやすくなるので、司法人事が重要な鍵を握る。このような司法と政治の関係は主に政治学の観点から「法と政治」(law and politics)という学問分野として展開してきた。それに密接に関わるのが司法政治である。司法政治は、裁判官がいかに党派的イデオロギーに基づいて行動・判断しているのかを分析するものである。いわゆる裁判官の行動分析も司法政治の研究対象であり、裁判官個人に照射したり統計を取ったりすることが多い。その意味では、マクロ的観点から司法と政治を分析するのが法と政治で、ミクロ的観点から裁判官の行動を分析するのが司法政治ということになる。もっとも、司法と政治の関係は裁判官の行動につながり、裁判官の行動は司法と政治に影響するので、両者は不可分の関係にある。そこで本稿では司法政治の射程を広げ、司法と政治の観点から裁判官個人に関わる問題を取り上げることにする。とりわけ、連邦最高裁裁判官の人事は司法と政治双方のゆくえに大きな影響を与えるため、この問題を中心に分析する。

2 裁判官の任命プロセス
 憲法上、連邦最高裁裁判官の任命は、大統領が指名し、上院が承認することで成立する。上院(定数100)では過半数の賛成が必要となるが、現在(2022年2月)のように上院が50対50で拮抗している場合、副大統領が1票を投じて決定することになっている。
 そのため、与党が上院で過半数以上の議席を確保していれば、すんなり任命できるはずである。しかし、現実にはフィリバスターとクローチャーという2つの制度が大きな影響を及ぼしてきた。フィリバスターは、上院の少数派が審理や議決を中断することを認める制度である。これを打ち切るためには60人以上の賛成が必要であり(クローチャー)、時の多数派が強引な政治を行えないようになっていた。これらは上院規則に規定されており、過半数の同意があれば改正することができる。しかし、長年認められてきたこともあり、それに手を付けることは核ボタンを押すようなものとされてきた。これが裁判官任命に大きな影響を及ぼすことになる。
 また、上院では数日間にわたって公聴会が開催され、指名された人物に対して様々な質問がなされ、全国に中継される。その際、法解釈や先例に対する考え方などに加え、経歴や過去の出来事に対する質問も行われる。たとえば、2018年のキャバノー氏の公聴会では女性の権利に関する先例を覆すのではないかという懸念に加え、セクハラ疑惑も持ち上がり、世間の注目を集めた。公聴会の内容次第では世論を気にして立場を変える上院議員もいるため、公聴会はその意味で重要な役割を果たす。

3 実際の顔ぶれ
 2005年に発足したロバーツコートの顔ぶれは、当初、保守派の裁判官が5人、リベラル派の裁判官が4人となっており、保守派の1人であるケネディ裁判官が中道路線を歩むことで微妙な均衡状態を保っていた。オバマ政権は2人のリベラル系裁判官の後任にそれぞれリベラル系女性裁判官(ソトマイヨールとケイガン)を任命した後、2016年に保守派の重鎮スカリア裁判官が死亡するという出来事に遭遇した。オバマ政権にとってはリベラル系裁判官を増やすチャンスであったが、当時、上院は共和党が過半数を握っていた。そのため、共和党の抵抗にあい、新たな裁判官を任命することができなかった。
 一方、トランプ政権はスカリア裁判官の後任に保守系裁判官を任命するため、禁断の核ボタンに手を付けた。2017年、上院で多数派を形成した共和党は上院規則を改正して、連邦最高裁人事をフィリバスターの対象から外したのである。実は最初にこの禁断の手を使ったのはオバマ政権であった。共和党の妨害によってなかなか進まない連邦地裁裁判官の人事等に業を煮やしたオバマ政権は2013年に上院規則を改正し、連邦地裁裁判官など一部の人事をフィリバスターの対象から外したのである。ただし、このとき連邦最高裁裁判官は対象としていなかった。そこでトランプ政権は連邦最高裁人事にも最終兵器を用いたのである。
 その後、トランプ政権はケネディ裁判官の辞任に伴って後任に保守派の裁判官(キャバノー)を任命した。そのため、保守派とリベラル派の割合が明確に5対4となったが、保守派のロバーツ長官自らが時にリベラル派につくことでバランスをとっていた。しかし、2020年にリベラル派のギンズバーグ裁判官が亡くなると、そのバランスは大きく保守に傾くことになる。トランプ大統領は保守系のバレット氏を任命し、保守とリベラルは6対3になったのである。
 その結果、中絶、移民、銃、宗教、選挙などのようなアメリカ社会を二分する問題につき、連邦最高裁が保守的な観点から判断を下す可能性が高まっていった。実際、2021年には、テキサス州が女性の妊娠中絶の権利を認めたロー判決を覆すような内容の法律を制定したことの合憲性を争う事件において、連邦最高裁は実体審理を行うまでその法律の効力を停止しない決定を下した。
 リベラル派はかかる状況に強い危機感を抱き、さらに2022年の中間選挙では民主党が大敗するのではないかという予測が示されるようになると、民主党政権のうちに高齢のリベラル派の裁判官を交代しておくべきではないかと考える者が出てきた。こうした事情を踏まえたのか、2022年1月にリベラル派のブライヤー裁判官は辞任を発表した。

4 ブライヤー裁判官のプラクティス
 ブライヤー裁判官は、1994年にクリントン大統領によって任命された。前任者はリベラル的志向で知られたブラックマン裁判官であるが、彼はニクソン大統領によって保守的判断をすることが期待された裁判官であった。ところが、ブラックマン裁判官はロー判決の法廷意見を書くなど、リベラル派として行動した。ブライヤー裁判官はその後任としてリベラル的判断を期待されると同時にロー判決の墨守を託されていたともいえる。
 実際、ブライヤー裁判官は多くの事件でリベラルよりの判断をしていくことになるが、必ずしもリベラル的価値観を前提にしていたわけではない。ブライヤー裁判官は特定の価値観や形式的な基準を嫌い、事案ごとに当事者双方の利益の比較衡量を行ってバランスのとれた判断を目指すというプラグマティックなアプローチ―こうしたアプローチ自体がリベラル的であるという見方もありうるが―を採用したからである。また、ブライヤー裁判官は自由を最大限享受できるようにするためには憲法条文にこだわるのではなく、憲法の目的を実現できるような解釈を行い、現実社会を進歩させるような結果をもたらすべきであると考えていた。そのため、時に外国法を積極的に参照し、条文の字義的解釈に固執しないスタンスを提示してきた。
 ブライヤー裁判官は、ネブラスカ州の部分出産中絶禁止法を違憲としたステンバーグ対カーハート判決の法廷意見を執筆するなど重要な事件において法廷意見を書いてきたが、それ以上に反対意見を書くことに旺盛だった。それは相手がリベラル系裁判官であっても遠慮がなく、著作権保護期間延長が表現の自由を侵害しないかが争われたエルドレッド判決では、合憲性を認めたギンズバーグ裁判官の法廷意見に対し、そのような延長を認めることは著作物を半永久的に自由に利用できなくさせてしまうとの反対意見を書いている。

5 辞任のタイミングと司法政治
 ブライヤー裁判官の辞任については、バイデン政権発足当初からリベラル派の一部が促してきたことであった。ギンズバーグの後任が保守系になってしまったことの教訓を生かし、若い裁判官を任命した方がよいと考えたからである。たしかに党派的観点からすればそれがベターなのであろうが、そのような党派を意識した行動は司法の政治化を加速させてしまうおそれがある。前任者のブラックマン裁判官がそうであったように、その裁判官が予想に反した行動に出る可能性もあり、在職中の死亡も含め、むしろそうした偶然の産物に身を委ねた方が政治的思惑と一定の距離を保つことができるかもしれない。実際、ブライヤー裁判官は司法が政治に巻き込まれてしまうことを懸念し、当初は辞任を促す声を聞き流していた。
 もっとも、ロー判決の変更が現実味を増し、さらにバイデン政権の支持率の低下が重なると、中間選挙で上院の過半数を失ってしまえばバイデン政権下における裁判官交代が事実上不可能となる。ブライヤー裁判官の辞任の背景にはそうした懸念があったとするのが有力である。

6 後任人事
 2022年2月、バイデン大統領はケタンジ・ジャクソン氏をブライヤー裁判官の後任に指名した。ジャクソン氏はハーバードロースクールを優秀な成績で修了し、ブライヤー裁判官のロークラークを務め、2021年から連邦高裁裁判官を務めている。経歴としては申し分なく、また年齢も51歳なので、長期にわたって裁判官を務めることが予想される。また上院は53-44の僅差ではあるがジャクソン氏を連邦高裁裁判官として承認しているので、承認の見込みもある。
 共和党議員からはジャクソン氏の法的思考がリベラルに偏っていることが危惧されているが、それ以上に物議をかもしたのが、バイデン大統領が最初から後任に黒人女性を指名すると宣言した点であった。共和党議員からは、連邦最高裁裁判官は能力を軸にして選ぶべきであって、初めから特定の属性を設定して選ぶのは不適切であるという批判がなされたからである。あらかじめ一定の属性に基づく枠を設定することはアファーマティブアクションが抱える問題にも通じるところがあり、連邦最高裁は大学入試における割当制を違憲としてきた。
 割当制を導入しなければ平等が実現しないと考えるのか、それともその方法自体が不平等であると考えるのかはかねてから議論のある問題であり、この問題を連邦最高裁人事に持ち込むことは承認を危うくするおそれがある。それにもかかわらず、バイデン大統領があえて黒人女性の枠を設定したことにはどのような意味があるだろうか。
 もちろん、それには黒人女性の連邦最高裁裁判官就任という公約を実現するという理由があるが、司法政治の観点からみると次のような分析ができる。バイデン大統領があらかじめ黒人女性を指定することによって、リベラル派は黒人女性という事実上の枠を連邦最高裁裁判官の中に創ろうとした可能性がある。これにより、多様性の実現というリベラル的価値を連邦最高裁の中に入れ込むことができるわけである。
 ただし、それでも保守とリベラルの割合は変わらないので、それによって司法判断自体に大きな変化が生じるとはいえない。だが、もし黒人女性が任命されれば、リベラル系裁判官は全員女性ということになり、彼女らが団結して反対することに意義を見出した可能性もある。たとえば中絶問題などに対してリベラル系裁判官が一致して反対意見を書けば、女性の権利がないがしろにされていることを社会に印象付けることができよう。
 また、トーマス裁判官が保守派なので、黒人裁判官が平等問題や投票問題についてリベラル的判断を下すことが期待できない。そのため、リベラル派の黒人裁判官を就任させることで、黒人裁判官がリベラル的判断を行うことの意義を期待されているかもしれない。
 このように、連邦最高裁裁判官人事は政治の思惑が密接に関わっており、それが司法動向に大きな影響を与える可能性がある。そして今度は司法判断が政治部門に影響を与える可能性があり、このような司法と政治が織りなす動態的な憲法秩序がアメリカの特徴であるといえる。

後序
 かかるアメリカの司法政治の動向を見たとき、日本に対して何か示唆があるだろうか。アメリカの司法政治の世界を覗くと、そこまで政治まみれの司法よりも、政治と距離を置いている(ようにみえる)日本の司法の方が健全であるようにも思える。たしかに司法の政治化は公正な判断や司法の独立など様々な問題が生じる可能性がある。加えて、そもそも制度が異なる以上、アメリカの司法モデルを日本に持ち込んでもうまく機能しない可能性がある。
 他面、司法政治という観点から司法と政治の関係を分析したり裁判官個人を考察対象にしたりすることは制度のあり方や裁判官像を考える契機となり、学問的にも実務的にも重要な意義を有すると思われる。たとえば、ブライヤー裁判官の司法哲学は型にはまった違憲審査基準ではなく比較衡量で判断するアプローチに基づくものであるが、それは必ずしも正面から審査基準を採用せずむしろ比較衡量を実践してきたといわれる日本の最高裁のアプローチに近いように思える。比較衡量アプローチの是非の問題はあるにせよ、その根底にある司法哲学を提示することは判断の正当化に寄与する側面があるだけでなく、国民審査においても判断材料の1つになる可能性を秘めているように思える。

◆大林啓吾(おおばやし けいご)さんのプロフィール

千葉大学大学院専門法務研究科教授。著書に、『アメリカ憲法と執行特権』(成文堂)、『アメリカ憲法の群像―裁判官編』(尚学社・共編著)、『ロバーツコートと立憲主義』(成文堂・共編著)、ギンズバーグ=タイラー著『ルース・ベイダー・ギンズバーグ―アメリカを変えた女性』(晶文社・共訳)、ブライヤー著『裁判所と世界―アメリカ法と新しいグローバルの現実』(成文堂・共訳)など。

【関連HP:今週の一言・書籍・文献】

今週の一言(肩書きは寄稿当時)

保守化する合衆国最高裁判所―ギンズバーグ裁判官の死去と後任人事の展開
原口佳誠さん(関東学院大学法学部准教授)

書籍『ルース・ベイダー・ギンズバーグ』ジェフ・ブラックウェル&ルース・ホブデイ(橋本恵・訳)

書籍『どのアメリカ? ―矛盾と均衡の大国―』阿川尚之(慶應義塾大学名誉教授)



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