ウクライナ侵攻での民間人への残虐行為に対し、ロシア軍やプーチン大統領の責任を問う声が広がっている。国際刑事裁判所はすでに戦争犯罪などの容疑で捜査を始めたとも報道された。そもそも管轄権のない国同士の戦争犯罪を問えるのかという国際法上の実効性の問題もある。兵士個人の人間性に収束することなく上官や軍幹部などが防止措置をとらなかったと認定できれば罪に問える可能性もある。
一方で、ロシアの国営メディアは「武器を手にしたナチス支持者は徹底的に破壊する・・・大衆のかなりの部分も有罪だ。正義の戦争により・・・処罰が可能」だとしてロシア軍の行為を正当化する論文を掲載したようだ。
犯罪を問うには、意図をもって殺害したことを立証する必要があり、実行した兵士と上官や軍幹部の責任のなすりつけや法律や命令に従ったまでだという有責性阻却の言い逃れもありうる。世論では「戦時にはいつの時代も起こりうるものだ」とか「プーチンの人間性の問題だ」と分った風なコメントもある。しかし、だからしょうがないと考えるべきではないだろう。
思い起こすのはドイツ労働者党(ナチス党)を率いたヒトラーが議会に認めさせた授権法「民族および国家の危難を除去するための法律」という全権委任法である。この法律はたった5条の法律であったが、ワイマール憲法を骨抜きにし、非常事態を理由に逆らう者を「公益を害する者」として弾圧した。当該法律は、ヒトラー与党議席が2/3には足りなかった議会で、政治的策略もあったが出席議員の2/3以上の賛成を得て成立していた。
戦後のニュルンベルク裁判では、被告人となった24名のほとんどが「自分はヒトラーや上官の命令に従って行動したまでで責任はない」と弁解したため、ナチス党を支持し全権委任法を認めたドイツ国民の責任を含め、法治国家の違法行為を認定する困難に直面した。法哲学でいう「法実証主義と自然法」の問題が露呈したのである。
こうした法の限界への反省の下、戦後西ドイツは、基本法(ボン憲法)の第1条に「人間の尊厳の不可侵」を規定した。「尊厳」とは「尊重」よりも根源的な言葉で、「すべての人が生れながらに持つ侵してはならない唯一無比の人間性」のことだ。「尊重」は「自由」で多様な価値観のもと、「個人」の違いを認めた上で比較し、より重要と考えることだ。だから理由があれば選別したり違った扱いをも許容する。ドイツは「尊厳」を米国は「尊重」を選んだともいえる。
「ウクライナ侵攻におけるロシア軍の残虐行為を罪に問えるのか」という問題は、「人間の尊厳」から考えるべきだろう。近代国家の条件は法治主義であり、かつ民主主義である。ロシアはそのいずれの条件も満たされる。プーチン大統領にとっても「法」の存在は重要な意味を持っていたようで、2000年の大統領就任当初のスローガンで「法の独裁」をうたい、法的な体裁を整えながら政治基盤を確立してきた。2036年までその地位を継続できると言われる2020年憲法も、議会教書演説で大統領が提案し、議会に提出・審議され、公布されたものだ。憲法改正の過程上必ずしも必要のない国民投票を実施し、約78%の賛成という事実もプーチン大統領の横暴を後押ししたといえる。ナチス党の全権委任法を彷彿とさせる。
「過去から学べない者は過ちを繰り返す」ことの証左であると思うのである。
参考文献:
・ホセ・ヨンパルト『人間の尊厳と国家の権力』成文堂(1990)
・ホセ・ヨンパルト『日本国憲法哲学』成文堂(1995)
・西野基継『人間の尊厳と人間の生命』成文堂(2016)
・蟻川恒正『尊厳と身分』岩波書店(2016)
・本田 稔『ナチス刑法における法実証主義支配の虚像と実像』立命館法学 2015 年 5・6 号(363・364号)
◆山本 聡(やまもと さとし)さんのプロフィール
・神奈川工科大学 教職教育センター 副センター長 教授 (法学・憲法・法教育)
・著書:山本聡『法学のおもしろさ』第3版(2019年)、山本聡・渡辺演久『憲法のおもしろさ』第3版(2019年)など。
・論文:「裁判員制度10年の結果から"考える法教育"を提言する」法と教育第10号(法と教育学会) (2020年)
「英国の青少年政策の評価 -責任のあり方をめぐって-」国立国会図書館調査および立法調査局 青少年問題プロジェクト総合調査報告(2008年)
▼「新領域法学」の鉄人研究者として、河合塾HPに紹介されている。
河合塾みらいぶっく
【関連HP:今週の一言・書籍・文献】
今週の一言(肩書きは寄稿当時)
<子どものいない社会を求める大人たち> -改正少年法から子どもと大人を考える-
「外出自粛要請と自己責任にみる若者の自律と従順さ」 -権利・義務の関係に目を向けて-
山本 聡さん(神奈川工科大学教職教育センター 副センター長 教授)
特別掲載 戦争と平和
伊藤真(法学館憲法研究所所長)