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今週の一言
ロシアのウクライナ侵攻における国際司法裁判所の役割-2022年3月16日暫定措置命令に鑑みて
2022年5月30日

石塚智佐さん(東洋大学法学部准教授)


はじめに
 2022年2月24日にロシアがウクライナに軍事侵攻を開始しました。本来、このような事態に対応するのは、国際社会の平和と安全に対して主要な責任を有する国連安全保障理事会(安保理)です。安保理はこれまでに、イラクのクウェート侵攻や旧ユーゴ紛争、リビア内戦等で安保理決議を採択して、戦闘停止や文民保護等のために加盟国の武力行使を許可してきました。しかし、ロシアは安保理常任理事国として拒否権を有しており、ロシアに対して不利な決議は採択されません。この事態に対処するために、ウクライナからの即時撤退等をロシアに求める決議が3月2日に国連総会で採択されましたが、国連総会決議には法的拘束力はありません。そのような中で、ウクライナは2月26日にオランダのハーグに所在する国際司法裁判所(ICJ)にロシアを相手取り提訴しました。

ICJへの提訴
 ICJは第二次世界大戦後に国連の主要な司法機関として設立されましたが、実質的には第一次大戦後に設立された常設国際司法裁判所(PCIJ)を継承する裁判所です。国連安保理と総会の選挙で選ばれた15名の裁判官で構成されます。国際機関からの法的問題の諮問に対処する勧告的意見という制度もありますが、裁判としては国家間紛争のみを裁くことができます。ICJ判決には訴訟当事国に対して法的拘束力があります(ICJ規程第59条)。しかし、国内裁判と異なり、訴訟当事国の同意がないとそもそも裁判することはできません。本件において、ウクライナとロシアは「集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約(ジェノサイド条約)」の締約国として「この条約の解釈、適用又は履行」に関する紛争をICJに付託することに同意しています(同条約第9条)。この条約を根拠にウクライナは提訴したわけですが、それゆえ、裁判所は「ジェノサイド条約の解釈、適用又は履行に関する紛争」についてのみ裁判することができ、ロシアの軍事侵攻全般を裁くことはできません。なお、ジェノサイド(集団殺害)は「国民的、民族的、人種的又は宗教的な集団の全部又は一部を集団それ自体として破壊する意図をもって行われる」行為(ジェノサイド条約第2条)と定義され、ジェノサイドと認定されるには破壊する「意図」の有無が非常に重要となります。
 このように裁判所が審理できる事項に制約がある中で、ウクライナは、ウクライナ東部のドネツク州及びルハンスク州においてウクライナがジェノサイド行為をしているとロシアは主張しているが当該地域でジェノサイドは生じていないこと、及び、その虚偽の主張に基づき2月24日に始めた「特別軍事作戦」やドネツク州及びルハンスク州の独立承認等はジェノサイド条約上の根拠を持たないこと等を主張しました。
 また、ウクライナは提訴と同時に暫定措置を要請しました。暫定措置とは、最終判決が出るまでの間に当事者の権利が回復不能な状態にならないように、裁判所が命令を下す暫定的な手続です(ICJ規程第41条)。具体的にはウクライナは、ジェノサイド条約に関する虚偽の主張に基づき開始した軍事作戦をロシアは即時停止すること等を求めました。暫定措置は緊急性があり他の手続より先に行われるため、本件口頭弁論が3月7日に開かれました。最近は、提訴から口頭弁論まで約1ヶ月、口頭弁論から命令が出されるまでにも1ヶ月強かかることがほとんどであり、本件は異例の速さで手続が進みました。しかし、ロシアはそのことを理由に出廷を拒否し、代わりに本件管轄権を否定する文書を提出しました。これまでにもICJでは欠席裁判の例はありましたが、ロシアはジョージア対ロシアの人種差別撤廃条約適用事件、ウクライナ対ロシアのテロ資金供与防止条約及び人種差別撤廃条約適用事件では、管轄権を否定しつつも出廷し法的議論を展開していたため、今回の出廷拒否は法の支配の観点からは非常に残念な対応です。なお、前者のジョージア対ロシアは両国間の2008年8月の武力衝突に関わる人種差別、後者のウクライナ対ロシアはウクライナ東部におけるテロ資金供与及びクリミアにおける人種差別が問題となっています。もっとも出廷拒否といえども、裁判の進行を阻止することはできず、2022年3月16日にICJは暫定措置命令を下しました。

暫定措置命令の内容と効果
 暫定措置命令の中で裁判所は、ジェノサイド条約に基づく裁判所の管轄権が一応あること(この段階では一応でよいとされます)、「ウクライナ領域内でのジェノサイド防止及び処罰する目的でロシアによる軍事作戦の対象にならない」という「もっともらしい権利」をウクライナは有すること、さらに、この権利の回復不能な侵害が生じうるという緊急性を認めました。暫定措置命令は3点に及び、ロシアはウクライナ領域内での軍事作戦を即時停止すること、ロシアは軍隊及びロシアの指示・支援等を受けうる非正規部隊等が軍事行動を取らないように確保すること、また、ロシア・ウクライナ双方に対して紛争悪化防止義務を課しました。最初の2つは13対2で、3つ目は全員一致で下されました。反対票を投じたのはロシア及び中国国籍の裁判官です。ただし、暫定措置命令は暫定的であるため、管轄権等に関する裁判所の判断は確定的なものではありません。最近では、ジョージア対ロシア(2011年先決的抗弁判決)、カタール対アラブ首長国連邦(2021年先決的抗弁判決)の2つの人種差別撤廃条約適用事件で暫定措置命令は出されたものの、その後の手続で裁判所の管轄権が否定され、本案審理に至りませんでした。
 裁判所の判決同様に、暫定措置命令にも法的拘束力があります。しかし、ICJは命令を強制執行する権限はなく、本命令の遵守をロシアは拒否し軍事作戦を継続しています。それでもICJに訴える利点はあるのでしょうか。ICJは国連の主要な司法機関としてしばしば「世界法廷」として称されるほどの高い知名度と権威があります。そのICJがロシアに軍事作戦を即時停止するよう命じたこと、そしてその命令に法的拘束力があること等から、メディア等を通じてウクライナは自らの立場の正当性を改めて知らしめることができ、同時にロシアの行動を国際的に非難することができます。紛争を解決することがすぐにできなくても、その意味でICJに付託する意義はあるでしょう。

おわりに
 今後の見通しとしては、ロシアがICJの管轄権を否定しているため、本案審理に入る前に管轄権の有無を審理する手続に入る可能性が高いです。そこで裁判所の管轄権及び請求の受理可能性が認められたらいよいよ本案審理ですが、本案判決が得られるまで数年はかかります。これまでにジェノサイド条約に関して付託された事件は何件もありますが、いずれも請求内容は被告の行動をジェノサイドと非難するものでした(旧ユーゴ紛争に関するボスニア・ヘルツェゴビナ対セルビア・モンテネグロ、クロアチア対セルビア、ロヒンギャ問題に関するガンビア対ミャンマー等)。しかし、現時点において、本件は、被告が原告の行為をジェノサイドと非難するのは虚偽だと主張するという点で先例とは異なります。ロシアのウクライナ侵攻は、国連憲章や国際人道法等様々な国際法違反が指摘されており、国際法の存在意義も問われています。本紛争には国際法学者として、虚無感を抱かざるを得ませんが、国際平和のための国際法の役割を問いつつ、本件の動向を注視したいと思います。

◆石塚智佐(いしづか ちさ)さんのプロフィール

東洋大学法学部准教授。専門は国際法。一橋大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。
最近の主な業績として、「ジェノサイド条約裁判条項への留保に関する一考察」岩沢雄司・岡野正敬編集代表『国際関係と法の支配 : 小和田恆国際司法裁判所裁判官退任記念』(信山社、 2021年)、「国際司法裁判所判決の履行に関する一考察」『一橋法学』第17巻3号(2018年)。

【関連HP:今週の一言・書籍・文献】

今週の一言(肩書きは寄稿当時)

「国際刑事裁判所とは何か」
竹村仁美さん(一橋大学准教授)

「ロシアによるウクライナ侵略と日本国憲法の思想」
山元 一さん(慶應義塾大学大学院法務研究科教授)

「ウクライナの侵攻と人間の尊厳」
山本 聡さん(神奈川工科大学 教職教育センター 副センター長 教授)

特別掲載「戦争と平和」
伊藤真(法学館憲法研究所所長)




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