1 永世中立国としてのスイス
スイスの永世中立は、中立法、中立政策、そして伝統によってその内容が確定される。中立法は、中立状態を維持する国家の権利と義務を規定している。中立政策は、スイスの平和と領土の不可侵を維持し、独立を確保するために設けられ、国際社会で緊張を緩和し、スイスが信頼を得るための手段として機能している。中立政策は、その時々の国際環境に左右されている。
スイス憲法により、連邦内閣(Federal Council,連邦参事会)と連邦議会(Federal Assembly)が中立性を確保するための措置を講じている。憲法173条(スイスの対外的な安全と独立及び中立を守るための措置)を連邦議会に、185条(対外的及び国内治安維持他)は連邦内閣に中立性を維持する義務を負わせている。
連邦内閣は、憲法や法に中立の定義を規定することは賢明ではないと表明してきた。なぜなら、中立の定義を法によって確定することは、外交や安全保障政策における国家の裁量を限定してしまうと考えられてきたからである。
(1)1993年の中立性白書とEU
ベルリンの壁とソビエト連邦の崩壊と、その後の新たな紛争の発生によってスイスの中立政策と外交・防衛政策は変動した。そのため連邦内閣は、改めて中立政策を1993年の中立性白書で確認した。この白書が今日もなおスイスの中立政策の基本になっている。白書は、現在の紛争の多くが国内の紛争であり、国家同士の戦争を前提とする1907年中立条約が時代遅れになっていると指摘し、新たな安全保障(テロ、環境破壊、難民、災害)の問題に対応すべきだと分析している。
(2)EUの経済制裁との連携
白書は、スイスの外交・安全保障政策、中立性、その他多くの国内政策は、スイスがEU(European Union)に加盟するか否かにかかわらずEUの影響を大きく受けていると分析している。
スイスは、EUと具体的な場面に応じて連携するかを決めている。ロシアによるウクライナへの侵攻に対するEUの経済制裁に参加するかどうか、また、どのように参加するかについて中立法や政策を検討した上で連携を判断している。
2 スイスの平和構築活動
国際社会からの孤立を避け、同時に自国の安全保障に役立つという理由から、スイスは、国連、EU、OSCE(Organization for Security and Co-operation in Europe)に人材を提供している。
スイスは平和構築活動(peacebuilding mission)に参加し、選挙監視団、紛争の和解の手法、裁判所や警察に法医学に関する助言を行ったり、移民や税関に関する問題で現地の政府を支援したりしている。
スイスは、ウクライナでの平和構築活動として特別監視任務(OSCE Special Monitoring Mission to Ukraine)を実施している。ウクライナでは学校区の関係者と定期的に懇談し、その内容をOSCEに報告している。
30-35歳のスイス人は、一定の要件を満たせば、外務省のSwiss Expert Pool for Civilian Peacebuilding (SEP)に平和構築活動の参加を申請することができ、そのポストに空きが出れば派遣される。
3 NATOとスイス
NATOは軍事同盟であり、スイスは国家間の紛争でいずれか一方の国の味方になることはできないため問題になる。1997年のヨーロッパ・大西洋パートナーシップ理事会(Euro-Atlantic Partnership Council)の設立によって、スイスとNATOとの安全保障の対話が制度化されている。
スイスがNATOと軍事作戦で協力するには国民投票が必要となろう。憲法140条は国民投票に付する案件(必要的付託事項)として集団安全保障のための組織又は超国家的共同体への加盟を列挙しており、国民と州の双方に付託しなければならない。NATO参加を政府が決めたとしても承認の手続には時間がかかるだろう。
(1)ロシアのウクライナ侵攻とスイス
スイスはNATOに参加するだろうか。
連邦内閣は、2022年2月末に、EUがロシアに対して実施する経済制裁に参加することを決定した。政府はNATO加盟国との合同軍事演習や軍需品の「バックフィリング」(ウクライナに他国が弾薬を提供した場合、提供した国にスイスがスイス製の弾薬を提供する)を含め、過去30年間における安全保障政策の選択肢(制裁措置、武器他軍需物資の輸出、NATOとの関係)に関する報告書を作成中である。各省と連携しながら外務省が準備する報告書のためにNeutrality 2022というワーキンググループが組織されている。
現在のところ(2022年6月現在)、スイスは公式には弾薬のバックフィリングを否定的に回答している。過去には、スイス製の武器がアフガニスタンやイエメンの紛争地域で利用されたことが問題になった。
スイスは、中立国として交戦国を等しく扱う義務を負っているが、中立義務により、双方を援助することはできない。したがって、一方だけでなく、双方に軍需物資(武器や弾薬)を提供することは、たとえ等しく扱っていても、中立義務に違反することになる。
中立国は、交戦国の双方に対して等しく制限したり、禁止したりすることができるが、その国民(民間企業)が一私人の立場で、交戦国に軍需物資の取引を禁止する義務は負っていない。この義務は国家が負うと理解されるため、私人が軍需物資を第三国経由で一方の交戦国に輸出する行為を、スイスは禁止することはできない。
今回のウクライナ侵攻によって、スイスの中立性が大きく変更するかもしれないと言われているが、連邦内閣は概して否定している。中立性は、安全保障のための手段に過ぎず、中立国はいずれの交戦国も等しく扱う義務を負っている。スイスがNATOに接近することができる理由は、過去の中立国家としての実績によるところが大きいという。
国防大臣の作成する報告書は9月末までに完成し、連邦内閣と連邦議会に提出され、スイスの安全保障政策の将来的な方向性を決定するための基礎資料となる。報告書そのものが投票に付されることはない。
(2)国民の中立性のとらえ方
チューリッヒ工科大学安全保障研究センターをはじめとする調査他は、NATOへの参加について国民の見解が変化している兆しを示している。7月に最新版が公表される予定である。
参考文献
平松毅・辻雄一郎・寺澤比奈子訳『スイス憲法』(成文堂)
Federal Council, White Paper on Neutrality of 29 Nov.199
FDFA, Switzerland adopts EU sanctions against Russia(28 Feb.2022)
FDFA, Questions and answers on Switzerland's neutrality(18 May 2022
Reuters, Analysis: Neutral Switzerland leans closer to NATO in response to Russia(16 May 2022)
SWISS Info,Investigation exposes the use of Swiss arms in war zones(4 March 2022)
Center for Security Studies and the Military Academy at ETH Zurich
◆辻 雄一郎(つじ ゆういちろう)さんのプロフィール
明治大学大学院法学研究科教授。環境法センター長。
SSRN: https://ssrn.com/author=979824
専門は、憲法、行政法、環境法(アメリカ)。
単著『情報化社会の表現の自由』(日本評論社)、単著『シェブロン法理の考察』(日本評論社)、分担(辻・牛嶋・黒川・久保編)『アメリカ気候変動法と政策-カリフォニア州を中心に』(勁草書房)、分担(辻・阿部・信澤・北村訳)『アメリカ環境法』(勁草書房)。
Yuichiro Tsuji, Political Power and the Limits of Academic Freedom in Japan in the Era of Covid-19, Australian Journal of Asian Law, Vol.22, No. 2, Article 8,pp.117(2022).
Yuichiro Tsuji Prof., Climate Change Action and Adaptation in Tokyo,11 Wash. J. Envtl. L. & Pol'y 89 (2020)
【関連HP:今週の一言・書籍・文献など】
(肩書きは掲載当時)
今週の一言
「ロシアのウクライナ侵攻における国際司法裁判所の役割-2022年3月16日暫定措置命令に鑑みて」
石塚智佐さん(東洋大学法学部准教授)
「国際刑事裁判所とは何か」
竹村仁美さん(一橋大学准教授)
「ロシアによるウクライナ侵略と日本国憲法の思想」
山元 一さん(慶應義塾大学大学院法務研究科教授)
「ウクライナの侵攻と人間の尊厳」
山本 聡さん(神奈川工科大学 教職教育センター 副センター長 教授)
特別掲載「戦争と平和」
伊藤真(法学館憲法研究所所長)