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朝鮮高校生「無償化」裁判 不当判決をくつがえす世論を!

2017年9月25日



柏崎正憲さん(東京朝鮮高校生の裁判を支援する会・事務局)

はじめに
 2017年度は、いわゆる高校無償化法※1の施行から8年目になる。これは、外国人学校に通う生徒をも対象にした同法から、朝鮮高校生だけが排除されている年月と、ちょうど同じだ。同法のもとで差別を受けた生徒は、今年度の一年生を含めると、すでに10学年に及ぶ。本会、東京裁判支援会の計算では、この差別により2010年度から2016年度まで朝鮮高校生たちが被った不利益の総額は15億1470万円に達する。そしてこの問題の本質は、日本敗戦/朝鮮解放から70年以上がたった現在も、在日朝鮮人の権利と尊厳を日本政府が否定しているという点にある。
 差別と排除は、このたび司法によって裏書きされた。9月13日、東京の朝鮮高校生が原告となった国賠訴訟で、東京地裁は原告請求棄却の不当判決を下したのである。何が問題なのか、不当判決を覆すために何が必要であるかについて、以下に私の意見を述べたい。

裁判の経緯
 高校無償化法は、国公立高校の授業料無償化に加えて、私立、専修学校、さらには各種学校(外国人学校の大半が含まれる)の生徒への就学支援金を定めている(ただし2014年度から所得制限を設定)。ところが、同法が施行された2010年4月1日の時点で、全国10校の朝鮮学校高級部の生徒に対しては適用が先送りされた。民主党政権の中井拉致担当大臣(当時)が口を挟んだのがきっかけである。その後、同年11月の延坪島事件を受けて、菅首相(当時)は朝鮮学校の審査手続の停止を指示。翌年8月末に審査が再開されるも、結論が先延ばしにされたまま、2012年12月の衆院選により、政権は自民党に移った。安倍内閣の最初の仕事は、朝鮮学校の「無償化」排除の確定であった。内閣発足からわずか2日後の同月28日、下村文科大臣(当時)は朝鮮学校を高校無償化法から排除する旨を発表し、翌年2月20日、朝鮮学校に同法を適用する根拠となる省令内の規定を削除したのである。
 問題は国の支援金だけに留まらない。政府に足並みを揃えるように地方自治体でも、朝鮮学校(高級部に限らず)への補助金を不交付や停止とする動きが進んでいる。これは、在日朝鮮人の民族教育が過去に獲得してきた公的助成(決して十分なものとは言えないが)すら標的にされていることを意味する。しかも政府は、地方自治体での排除を助長すらしている。2016年3月29日、馳文科大臣(当時)は朝鮮学校がある都道府県に対して、朝鮮学校への補助金の「公益性」等に関する「十分な検討」を呼びかける異例の通知を発した。これを受け、茨城、三重、和歌山の各県は、同年度の朝鮮学校への補助金を不交付にしている(毎日新聞2017年4月13日)。大阪では、府と市に対して補助金交付の義務づけなどを求める訴訟も行っていたが、しかしこれも今年1月26日、大阪地裁により棄却されてしまった。
 朝鮮学校への同法適用を求める運動は2010年に各地で始まった。自民党政権による排除の確定を受けて、2013年以降、大阪、愛知、広島、福岡、そして東京で、朝鮮高校生等を原告とする訴訟が提訴されてからは、運動もまた裁判支援が主軸となっている。各地の裁判には3年から4年と決して短くない年月が費やされたが、今年に入り、広島、大阪、東京が判決日を迎えることになった。広島(7月19日)が不当判決、大阪(7月28日)が全面勝訴という対極的な結果が出るなか、東京での勝訴に期待が高まった。しかし9月13日、東京地裁では、不当きわまりない原告請求棄却の判決が下されたのである。

裁判の争点
 東京裁判の主要な争点は二つあった。第一に、文科省令の改定が法的に問題であること。第二に、排除の決定が政治的・外交的意図にもとづいていること。
 第一の争点、2013年2月20日の文科省令改定とは、高校無償化法の施行規則「第1条第1項第2号ハ」※2という規定の削除、すなわち、外国人学校を対象とする各種学校のうち民族学校やインターナショナル・スクール以外の学校に関する条項の削除を意味する。この改定と同日に文科省は、朝鮮学校を高校無償化法の対象に指定しない決定を下した。これに対して弁護団は、施行規則ハの削除は「全ての意思ある高校生等」に教育を受ける機会を保障するという無償化法の趣旨に逸脱しており、それゆえに施行規則ハの削除による朝鮮学校の不指定は違法だと主張している。そもそも無償化法は、朝鮮学校をも対象に含むものとして始まっており、その証拠に施行当初には朝鮮学校分の予算も計上されていた。それを政府は、国会における法改正によってではなく、省令の改変によって覆したのである。つまり、李春煕弁護士の分かりやすい説明を借りれば、政府は「みずから作った法律に反した」ということになる(東京裁判支援会『ヨンピル通信』7号、2015.10.26、PDF)。朝鮮学校の不指定処分について、もし無償化法の趣旨にかかわる正当な理由があったとすれば、このように筋の通らない方法を政府がとる必要はなかっただろう。
 こうして第二の争点、すなわち、政治的・外交的な理由をもって政府が不指定処分を下したという点が問題となる。2012年12月28日の記者会見で、下村文科大臣は朝鮮学校の不指定の意向を表明する際、次のことを述べた。一つに「拉致問題に進展がない」「朝鮮学校が朝鮮総連と密接な関係にある」「国民の理解を得られない」といった理由で朝鮮学校が指定されるべきでないと下村文科大臣が考えていること。もう一つに、不指定の方法として、自民党が野党時代に議員立法のかたちで要求していた、適用根拠となる省令上の根拠(上述の施行規則ハ)の削除を実行すること。これらのコメントを読んで、現政権が朝鮮学校の無償化法からの排除を、朝鮮民主主義人民共和国との関係といった政治的・外交的な理由によって決めたのだと解することは自然だろう。
 以上二つの争点に関して、政府側の反論は苦しいものだった。文科省の主張によれば、朝鮮学校の不指定は「規程13条」(学校運営の適正さに関する条項)※3に照らした判断であって、施行規則ハは朝鮮学校が不指定となったために不要となったので結果的に削除したにすぎない。したがって、施行規則ハの削除は自民党の野党時代からの方針——露骨な政治的・外交的な理由にもとづく朝鮮学校の排除——とは関係がないという。
 だがこの説明は、政府側の開示文書や証人尋問とすら、つじつまが合っていない。規則ハの削除決定に関する文科省の決裁文書(政府側の証拠 乙64号証)では、2012年12月28日の閣僚懇談会における下村文科大臣、安倍首相、古屋拉致担当大臣の発言が「参考」として挙げられており、自民党の野党時代の方針との連続性を示している。そして朝鮮学校の不指定を定めた別の決裁文書(乙65号証)には、施行規則ハの削除が朝鮮学校の不指定の理由であると、はっきり書かれている(『ヨンピル通信』9号、2016.4.25、PDF)。これも上記の政府側の反論とは矛盾する。証人尋問(第12回口頭弁論、2016年12月13日)では、2013年2月の朝鮮学校への通知との矛盾も指摘された。同通知は、前年末の記者会見や閣僚懇談会で言及された政治的・外交的意見については触れず、上述の「規程13条」の件および施行規則ハの削除だけを理由に挙げていたのである。この点に関する原告代理人の質問に対し、証人として法廷に立った文科省の元担当者は、理屈の通った説明を与えることができなかった(『ヨンピル通信』12号、2017.2.1、PDF)。
 弁護団や傍聴者だけでなく裁判官もまた、政府側の主張が苦しいという印象を大いに持ったはずである。全14回の口頭弁論(最終回は判決日を決定して終わり)のうち、文科省が裁判所から課された文書を期日内に出さないせいで何も進まずに終わった弁論が、二度もある(第4回、第10回)。全国5ヶ所のうち今のところ東京でのみ成立した証人尋問でも、先に述べたような具合に、証人は理にかなわない回答に終始した。私が傍聴に入ることができた口頭弁論では、政府側が提出した書面の内容を確認した後、当時の裁判長——その後、2016年と今年に計二度、交代している——がややあきれた様子で、わざわざ原告弁護団に「反論しますか?」と尋ねてきた場面もあった(前掲『ヨンピル通信』7号、2015.10.26、PDF)。

東京地裁の不当判決

不当判決、東京地裁前にて

判決の報せを東京地裁前で待つ在学生や卒業生

判決後の集会、不当判決をくつがえす今後の闘争に向けたシュプレヒコール
 それにもかかわらず、9月13日に東京地裁で、田中一彦裁判長は「原告の請求はいずれも棄却、訴訟費用は原告負担」と冷たく言い放った。判決の内容も相当にひどいものであった。裁判そのものが原告側に有利に進んでいたと言えるだけに、朝鮮高校の生徒や卒業生、教職員、保護者、弁護団、そして支援運動の落胆、失望、悲しみ、怒りは、いっそう深い。
 同日の弁護団声明は、以下の三点を批判している。第一に、判決が「重要な争点について判断を回避してい」ること。第二に「明白な事実誤認を犯してい」ること。そして第三に、学校を運営する東京朝鮮学園に関する「個別的かつ具体的な事実」を検討することなしに文科大臣が不指定を決めたにもかかわらず、これを追認していること。私も判決文を読んだが、これらの弁護団の批判はまったく正当だと考える。
 判決文における裁判官の判断のほとんどは、朝鮮学校の不指定を決める際に文科大臣が「裁量権」を逸脱したかどうか(83頁以降)に関連づけられている。しかも、巧妙というべきか卑怯というべきか、この「裁量権」という点に関して、判決文は原告側の主張をあれこれ否定する一方で、下村文科大臣が朝鮮学校を不指定とした根拠それ自体については、積極的な評価を避けている。そのかわりに、文科大臣の判断を「不合理なものとまではいうことはでき」ないがゆえに、大臣は裁量権を「逸脱」「濫用」はしていないと結論づけるのである(95-96頁、102頁)。また、下村文科大臣が記者会見という公式の場であれほど明確に表明した政治的・外交的な意見についても、裁判官は「その内容を素直に見れば」(97頁)本件の個別具体的な理由について述べたものではないと、不可解きわまりない解釈をしている。そのうえで、文科省が施行規則ハ(朝鮮学校への指定の根拠)を筋の通らないしかたで削除したことについては「本件不指定処分の適法性を左右するものではない」から「判断する必要がない」と、一言で片づけている——それが重大な問題だと原告側が根拠をもって主張してきたことは無視して! そして、文科大臣が審査会の意見を聴かなかったことも本件の適法性にかかわる問題ではないと一蹴し、その他の争点については「判断するまでもな」いと言い放って、原告請求棄却という結論に至っている。
 ところで、大阪地裁での勝訴判決(7月28日)の内容は、東京地裁判決とは正反対である。判決要旨を引用すると、下村文科大臣は「……教育の機会均等とは無関係な、朝鮮学校に支給法〔無償化法〕を適用することは北朝鮮との間の拉致問題の解決の妨げになり、国民の理解が得られないという外交的、政治的意見に基づき、朝鮮学校を支給法の対象から排除するため、本件規定〔施行規則ハ〕を削除したものであると認められる」。また前述の規程13条の適合性、つまり学校運営上の適正さについても、大阪朝鮮高級学校には「同条適合性が認められる」と積極的に認め、政府側の主張を斥けている。このように、まさしく東京の裁判においても主要な争点であったことについて、大阪判決では学校側の主張が全面的に正しいと認められているのである。しかも、東京判決のような論点回避もなしに。
 大阪判決と東京判決のどちらが法的正義にかなうものかは、私がここまでに要約した東京裁判の過程を踏まえれば明らかだろう。東京判決を下した田中一彦、小崎賢司、大門真一朗の三名の裁判官は、正義を歪め、司法の独立性を放棄して、政府に追従しているという非難を免れられない。

不当判決をくつがえす質をそなえた世論を!
 しかしながら、悲観的なことは言いたくないが、私自身は、朝鮮学校の排除に対する裁判闘争は苦しい状況に追いやられていると感じている(東京朝鮮学園、弁護団、裁判支援会などの公式見解ではない)。日本の司法が権力におもねる判断を下すならば、どんなにまっとうな法的議論を原告側が立てたところで勝利は保障されない。そのことを東京判決では——7月の広島判決につづいて——改めて突きつけられてしまった。残る愛知と福岡の裁判や、それに大阪の控訴審(すでに国は控訴している)で、裁判官は東京や広島の不当判決を参考にしないだろうか。そうした疑念を、私は頭から振り払うことができずにいる。
 原告や弁護団や学校関係者の努力を否定するつもりは毛頭ない。そうではなくて、この厳しい状況のなかで私が是非とも呼びかけたいのは、法廷の外部における、朝鮮学校への無償化法の適用を求めるより広範な世論、とくに日本人からのもっと大きな声であり、さらに言えば、不当判決を支える日本社会の風潮に対抗できる質をそなえた言論である。
 ここに、報道で伝えられた「ある文科省幹部」のコメントを、一字一句漏らさず引用しておく。この「幹部」は東京判決を受けて「国連安全保障理事会が〔朝鮮民主主義人民共和国への〕経済制裁を決議しているのに、日本政府が朝鮮学校に(無償化対象の高校に給付する)就学支援金を出すわけにはいかない。『教育の機会均等』とは別次元の話だ」と述べたそうである(「朝鮮学校除外は適法 「政治的理由」否定 東京地裁判決」毎日新聞2017年9月14日朝刊)。国の外交的・政治的な判断を(理屈に合わないしかたで)否定する東京判決が出た矢先に、これである。まさに語るに落ちている。このコメントをどう「素直に」読んでも、日本は朝鮮を締め上げるつもりなのだから朝鮮学校に支援金は出さない、という意味にしか理解しえない。この文科省役人は、朝鮮学校だけでなく、この裁判に関心を持つすべての人を馬鹿にしている。
 だがこのような意見が、朝鮮学校への平等な扱いを求めるあらゆる意見を抑えこむ殺し文句として機能していることは、残念ながら否定できない。東京判決における、規程13条の定める適正な運営に朝鮮学校が適合しない「おそれ」(91頁)という文言には、東京朝鮮学園にかんする個別具体的な事実ではなく、朝鮮総連や朝鮮民主主義人民共和国とのつながり自体を問題視する含みがある。しかしながら、韓国系の民族学校もまた本国とつながりをもつ民族団体(民団)に支援されており、他の民族学校・スクールも本国からの支援を当然ながら受けている。そのことを文科省は問題としていないのに、朝鮮学校に対してだけは、本国とのつながり自体に猜疑心を向け、差別を行なう。法廷もまた、それを行政裁量の範囲内として追認する。
 このようなダブルスタンダードを支えているのは、現政権の反民主的な性格、それだけだろうか。日本人の間に広く浸透している朝鮮への敵意と偏見がなければ、そもそも無償化法の施行当初(民主党政権時代)に朝鮮学校が例外扱いされることもなかったはずだ。
 裁判において原告側は、政府が政治的理由によって教育保障の制度を歪めたことを批判した。その一方で政府側は、現行の教育基本法16条の「不当な支配」を挙げながら、朝鮮民主主義人民共和国や民族団体こそが朝鮮学校に政治的に介入していると主張した。だが、このような政府の物言いをこそ、敵意と偏見から発する政治判断として批判すべきだろう。「北朝鮮」やそれとつながりのある存在に対しては、つねに猜疑心が先行し、通常の法的、民主的、平和的な扱いを停止することが正当化されてしまう。こうした風潮が日本社会に蔓延しているからこそ、閣僚や文科省の「朝鮮を制裁するのに朝鮮学校に支援金は出せない」という思惑にたいして、東京地裁が「朝鮮学校の排除は政治的介入ではない」という判決で応えるという、醜悪な連携が成立してしまうのである。
 この風潮への抵抗を拡げなければ、今後の朝鮮高校生裁判も困難を強いられつづけるだろうし、ひいては日本の「民主主義」や「平和主義」もますます空疎になっていくだろうと私は考える。朝鮮の核武力を国際社会への挑発とするけたたましい非難に同調しながら、朝鮮の国家安全保障を脅かしているアメリカの圧倒的核武力や、アメリカの軍事的パートナーとして朝鮮に圧力をかけつづける日本や韓国の政策を問わない姿勢が、民主的あるいは平和的と言えるだろうか。それは強者になびく卑屈な態度でしかないだろう。そして、そのような態度がはびこるほど、政権にとっては、憲法改悪などの反平和的、反民主的な政策が進めやすくなるだろう。要するに、私が言いたいのは、朝鮮人への不当な扱いに沈黙する日本人は、日本人自身の抑圧をも甘受することになるのではないかということである。
 重ねて強調するが、東京裁判そのものは、あくまで無償化法の趣旨と朝鮮学校の排除との矛盾を問題にしている。このような弁護団の方針にたいして異論を提起するつもりはまったくない。私が意見したいのは、あくまで日本社会の世論に対してである。露骨な人種差別主義者の存在は目立つようになっているが、それでも少数派にすぎない。より厄介なのは「朝鮮学校は例外扱いされても当然」あるいは「仕方ない」という、かならずしも公的に表明されるわけでないが、一般の人々に根深く巣食っている意見である。前述の証人尋問で、原告側証人として法廷に立った卒業生の一人は、駅頭での署名活動で「朝鮮はムリだから」と拒絶されて泣き崩れた経験を語った(前掲『ヨンピル通信』12号、2017.2.1、PDF)。たとえばこのようなかたちで、朝鮮を否定する意見はそこかしこから噴き出してくる。国は一方でこうした偏見を煽りながら、他方では朝鮮学校への支援金には「国民の理解が得られない」などとうそぶくのである。そのような「国民の理解」には同調しない! そのような偏見にもとづく政策は不正だ! そう声高に主張する人が、もっと、もっと多く必要である。

おわりに
 9月13日の判決後の集会(東京・神保町)で、朝鮮高校生の保護者の一人は「日本に正義はあるのか。朝鮮人として(自分に)向き合うことの何がいけないのか。私たちも日本社会を構成するメンバーである」と問いかけた。この問いの、特に「朝鮮人として」という部分に対して、日本人がどう答えるかが、もっとも重要なことではないだろうか。
 在日朝鮮人が日本で生活する権利は、外国人一般の人権保障——これも日本ではまったく不十分だが——の範囲をこえる、歴史的な権利である。在日朝鮮人という存在は、日本が行なった植民地支配という不正な政策の結果に他ならないのだから。そしてこの権利の承認は、本国である朝鮮との関係を保ち続けることの承認をも含まなければならない。
 本国との関係を断ち、日本国籍をとった上で、朝鮮人の名前と文化を持って生きればいいではないかという意見がある。だがそれは、植民地時代の「日本人にさせてやる」という発想から脱却していないばかりでなく、戦後においても日本国籍の強制が在日朝鮮人の権利と尊厳を否定する意味を持つことを無視している。植民地期、朝鮮人は日本国籍を与えられたところで差別されつづけてきたからこそ、戦後、在日朝鮮人は「解放国民」として扱われることをGHQや日本政府に求めた。しかし日本は、戦前同様の差別的な扱いを改めることがなかったのである(鄭栄桓『朝鮮独立への隘路 在日朝鮮人の解放五年史』2013年を参照、本書に私は蒙を啓かれた)。
 だとすれば日本人は、朝鮮人を外国人としても「日本人」としても差別してきた過去から決別しようと望むならば、在日朝鮮人が異なる国籍を持ち、その本国とのつながりを持つことも承認しなければならない。朝鮮学校に、朝鮮民主主義人民共和国の指導者の肖像画が掲げられていることを、差別的な扱いの口実にしてはならない。朝鮮の政治には問題があるだろうと私も思う——ただし、外部の報道はそれをしばしば不当に誇張しているとも考えているが。それでは、それを批判する日本の側の政策は? 戦後日本は、朝鮮に敵対する陣営に属しつづけ、朝鮮の国家安全保障を不安定にすることに一役買っている。東アジアにはいまも、正義にもとづく平和ではなく、強者の力による暫定的な平和が成立しているにすぎないのである。
 日本国内における朝鮮学校の差別と、国際政治との関係を、いささか強調しすぎたかもしれない。だがこの関係を反省的に見ることは、朝鮮と名のつくものごとへの日本人の偏見を正すために、必要不可欠なことだと考える。朝鮮学校「無償化」裁判は、日本人と朝鮮人との共生や東アジアの平和といった大きな理想にかかわる、重大な問題を提起しつづけている。さらに多くの人が、それぞれにできるしかたで、運動に加わってくれることを期待しつつ、私の拙い論稿を結びたい。

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※1 高校無償化法の正式名称は、「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律」。その下に、省令によって定められた「施行規則」(公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則)があり、そのまた下に、「規程」(公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則第1条第1項第2号ハの規定に基づく指定に関する規程)がある。
※2 「施行規則」の第1条第1項第2号ハ  「無償化」の対象となる「外国人学校」(民族学校やインターナショナルスクールなど)の要件を定めた「施行規則」では、(イ)大使館を通じて日本の高等学校の課程に相当する課程であることが確認できるもの、(ロ)国際的に実績のある学校評価団体の認証を受けていることが確認できるもの、(ハ)イ、ロのほか、文部科学大臣が定めるところにより、高等学校の課程に類する課程を置くものと認められるものとして文部科学大臣が指定したもの、の3類型が規定されていた。この(ハ)に基づく学校の指定をするための細則として、「規程」が定められた。
※3 公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則第1条第1項第2号ハの規定に基づく指定に関する規程13条(適正な学校運営) 前条に規定するもののほか、指定教育施設は、高等学校等就学支援金の授業料に係る債権の弁済への確実な充当など法令に基づく学校の運営を適正に行わなければならない。






















 



 
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