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ゲノム編集の多角的考察  

2018年10月15日



河田昌東さん(分子生物学者)

全体の構成
I ゲノム編集(1) — 技術上の問題点
II ゲノム編集(2) 環境や人間社会に及ぼす影響について —  生命倫理の側面から

I ゲノム編集(1) − 技術上の問題点
 「ゲノム」は特定の生物の遺伝子全体をさす用語である。分子生物学が発展し遺伝子を人間が操作できるようになったのは1970年代初めで、これに危機感を持った科学者たちが1975年にアメリカ・カリフォルニア州のアシロマに集まり議論を重ねて作ったのが「アシロマ会議」の声明文で、異なる生物の遺伝子を組み込んだ生物が環境や社会に与える影響を最小限にするための様々なレベルの自主規制案だった。しかし、その後の遺伝子組換え技術の実用化の進展により、この自主規制案は事実上無視され、広く農業分野や医療分野で遺伝子組換え技術は産業となって社会に定着した。しかし問題が解決されたわけではなく、遺伝子組換え作物などによる被害を食い止めようと2000年に国連で「カルタヘナ議定書」が採択され現在に至る。近年になりバイオ技術は更に発展し、DNAの構造解析や合成が容易になり「ゲノム編集」が登場した。ゲノム編集は植物、動物を問わず特定の標的遺伝子を効率よく破壊(ノックダウン)したり、別の遺伝子を挿入(ノックイン)したり出来る。効率の悪い遺伝子組換えに代わる新たな技術として、農業や医療分野で広く使われる第3次産革命につながると期待されている。しかし、他方ではヒトの生殖細胞のゲノム編集や生態系に影響を及ぼすゲノム編集(遺伝子ドライブ)も可能になり、生命倫理の観点から見直す必要も指摘されている。

1)ゲノム編集はどのようにして行うか
 当初、ゲノム編集は基本的に標的遺伝子の塩基配列と結合するようにアミノ酸配列を改造したドメインと呼ばれる蛋白質と、DNAの2本鎖切断を行うヌクレアーゼ(DNA分解酵素)をドッキングさせた人工DNA切断酵素から始まった。ZFN(ジンクフィンガー・ヌクレアーゼ:1996年)とTALEN(ターレン・ヌクレアーゼ:2010年)である。しかし2012年に目標遺伝子の塩基配列にDNA分解酵素を導くガイドRNAとDNA分解酵素からなるCRISPR・Cas9(クリスパー・キャスナイン)が開発され、その特異性と使い易さから現在はCas9が多く使われている。現在、ゲノム編集の技術は激しい勢いで進化しつつある。これまではDNA分解酵素やガイドRNAの遺伝子を、ウイルスDNA(RNA)やプラスミドと呼ばれる自己増殖性のDNAやRNA(総称ベクターと呼ばれる)に組み込んで細胞に感染増殖させ、細胞内でDNA分解酵素とドメインやガイドRNAを合成させ、あるいはそれから分離精製したガイドRNAやDNA分解酵素を細胞に注入(エレクトロポレーション)したり、受精卵の核と入れ換えたりして標的遺伝子を編集した。しかし、この技術もすでに古くなりつつある(後述)。これまでのゲノム編集にはどのような問題があるのか。

2)ゲノム編集の技術的問題点
2-1)オフターゲット

 ゲノム編集に使われるいずれのDNA分解酵素もそれが認識する標的DNAの塩基配列が20〜30個であるため、膨大なゲノムの中には類似の塩基配列を持つものがあり、標的以外の遺伝子をも変化させてしまう場合がある。これをオフターゲット効果という。オフターゲットが起れば、意図しない遺伝子の破壊につながり大きな問題となる。上記のいずれの酵素も程度の差はあれオフターゲットが生ずる場合のあることが報告されている。CRISPR・Cas9の場合は標的DNAの塩基配列が20個の中、2,3個の塩基が異なってもガイドRNAが結合し標的と間違えてしまう例が挙げられている。また、これらのDNA分解酵素が切断した標的遺伝子は、細胞が持つDNA修復酵素による修復によって再結合されるため、修復ミスによって新たな突然変異が生ずる可能性もある。
 オフターゲットのもう一つの原因は、標的遺伝子が一つであるのに細胞に挿入されるDNA分解酵素やガイドRNAが大量(数十倍〜数百倍)な事に起因する。これは編集効率を上げるためであるが、それによってDNA分解酵素やガイドRNAが標的遺伝子の塩基配列が多少違っても結合し、ゲノム編集を起こしてしまうのである。
 人間の受精卵のゲノム編集を世界で初めて行った、として大きな批判と論議を呼んでいる中国のP. Liangらの論文(2015年)では、標的遺伝子がβ-グロビン遺伝子(HBB)だったが編集効率も悪く、構造の似ている
δ-グロビン遺伝子(HBD)はじめその他の非標的遺伝子にもオフターゲットがあり、受精卵の卵割のためゲノム編集出来た細胞と出来なかった細胞が混在するモザイク(後述)も見つかった、としてこの技術によるゲノム編集は時期尚早である、と結論している。

2-2)癌の危険性
 Cas9によるゲノム編集は効率の悪さが指摘されてきたが、その原因は癌抑制遺伝子のp53であることが分かった。p53は古くから癌抑制遺伝子として知られている。Cas9によってゲノム編集出来た細胞はp53遺伝子が壊れている可能性があり、ゲノム編集された細胞は癌化しやすいのではないか、という指摘がある。

2-3)Cas 9蛋白質に対する自己免疫反応の恐れ
 CRISPR/ Cas9は多くの場合、黄色ブドウ状球菌やA型溶血性連鎖球菌から採られている。最近、これらの細菌のCas9蛋白質に対し人間の細胞が抗体を持つ場合があり、Cas 9注入によって自己免疫反応がおこる危険性が指摘された。この2種類の細菌は人間に広く感染しているからだという。この論文によれば86%の人は黄色ブドウ状球菌のCas 9に対する抗体を持っており、73%はÅ型溶血性連鎖球菌のCas9に対する抗体を持っていた。この場合、Cas 9蛋白質が抗体で無力化されたり、逆にCas 9に対する自己免疫反応でアレルギーや免疫疾患をもたらす危険性が指摘されている。

2-4)ゲノムのモザイク編集
 遺伝病の治療を目的として受精卵にゲノム編集を行った場合、途中で卵割が起こり、プラスミド(ベクター)が入った細胞と入らない細胞が出来て、成長後の体内でゲノム編集が出来た細胞と出来ない細胞が共存する「モザイク」が生ずる恐れがある。この危険性は2-1)で述べた中国のP. Liangらの論文(2015年)でも指摘されている。植物や動物の培養細胞のゲノム編集では、ゲノム編集出来た細胞と出来なかった細胞を容易に見分けるために、次に述べる発光クラゲの遺伝子や抗生物質耐性遺伝子をCas 9と同時に感染させることが多い。

2-5)不必要な遺伝子の混入
 ゲノム編集に使われるプラスミド(ベクター)には、ガイドRNAやCas 9のDNAの他に、これらの遺伝子の発現に必要なプロモーター(遺伝子発現のスイッチ)として、カリフラワー・モザイク・ウイルスのプロモーター(Ca MV35)や、ゲノム編集が出来た細胞と出来なかった細胞を仕分けするために、ペニシリン耐性やストレプトマイシン耐性などの抗生物質耐性遺伝子が導入されたり、クラゲの発光遺伝子を連結されたりする場合がある。培養細胞のゲノム編集の際には特に多い。この場合、成長したトマト等の食物や動物に本来存在しなかった異種生物の遺伝子が入り込むことになり、従来の遺伝子組換えと変わらないリスクが生ずる。食品の場合、食べた際にこれらのDNAが腸内細菌に取り込まれて腸内細菌が抗生物質耐性になる(遺伝子の水平伝達という)危険性がある。実際、遺伝子組換えの餌を与えられた家畜の肉には高い頻度で抗生物質耐性菌が検出されることが分かっている。

2-6)遺伝子の多機能性とゲノム編集
 真核細胞(動植物)は一個の遺伝子が一個の蛋白質を作るわけではない。ゲノムはエキソンと呼ばれるDNA配列とイントロンと呼ばれる塩基配列が複数個あり、一個の遺伝子の中に交互に並んでいる。蛋白質合成の際にDNAから直接作られるRNAはpre-mRNAと呼ばれ、これをスプライシングという機能で切り取り、必要なエキソン同士をつなぎ合わせて初めて一個の蛋白質に対応するmRNAが出来る。即ち、スプライシングによって一個の遺伝子DNAから複数の蛋白質が造られることが多い。その結果、複数の蛋白質に共通のエキソンのゲノム編集をすれば、複数の蛋白質に影響が及びオフターゲットが起こる。従って、ゲノム編集を行う場合、標的DNAが複数の蛋白質の一部になるエキソンかどうか慎重に見極めなければならない。また、スプライシングで除去されるイントロンには蛋白質合成の調節作用を持つRNAがあるなど、DNAから蛋白質を作る過程は複雑で未だに解明されていない事も多い。一個の遺伝子から一個の蛋白質が出来る、という所謂「セントラル・ドグマ」はバクテリアなど原核生物では当てはまるが、動植物(真核生物)では当てはまらない。

3)ゲノム編集技術の進歩
3-1)非病原性ウイルスAAVを使ったゲノム編集

 ゲノム編集技術は日進月歩の勢いで進化しつつある。その一つがAAVと呼ばれるベクターの利用である。AAVはアデノ・アソシエーテド・ウイルスの略で、日本語ではアデノ随伴ウイルス・ベクターと呼ばれる。AAVは1本鎖DNAウイルスで自身のDNA合成酵素を持たず細胞のDNA合成酵素に依存する。AAVは細胞に感染すると宿主DNAに組み込まれる。AAVは非病原性ウイルスで、現在100種類以上見つかっており、殆どの細胞に内在する。これをゲノム編集に利用するには、このウイルスDNAにガイドRNAのDNAとCRISPR/Cas9のDNAを組み込む。それを人や動物の血管や筋肉など標的器官に注射する。するとAAVは体内を循環し標的細胞に感染してそのDNAに組み込まれ、ガイドRNAとCas 9蛋白質を合成し、その細胞のゲノム編集を行う。
 この技術の利点は標的細胞DNAへのアタックが容易で編集効率が高く、注入量が比較的少なくて済むのでオフターゲット効果が低い事である。最近の研究では犬の突然変異病の筋ジストロフィーを、正常型DNAを作るガイドRNAを組み込んだAAV9と、Cas 9DNAを組み込んだAAV9を同時に筋ジスの犬の静脈や筋肉に注射・治療した成功した例があり、また静脈注射でマウスの肝細胞や心筋細胞、骨格筋細胞を効率よくゲノム編集した例がある。この手法は疾患のある病原個体に直接注入出来る利点があり、細胞培養や受精卵・胚へのゲノム編集よりも容易に遺伝子病の治療に使える可能性が高い、と期待されている。

3-2)ナノパーティクルを使ったゲノム編集
 標的遺伝子にCas 9とガイドRNAを届けるためにウイルス等のベクターを使わず、これらの成分を金のナノ粒子にまぶし、それをまとめて生分解性の高分子でくるんで一個の粒子として細胞に打ち込む。これをエレクトロ・ポレーションという。実際に、マウスの筋ジストロフフィー治療に効果があった。ベクター・ウイルスを使わないために副作用が少なく編集効率も良かった、と報告されている。後述のPNA(人工の核酸:ペプチド核酸)を使ったナノパーティクルによるゲノム編集の例もある。

3-3)塩基編集によるゲノム編集
 これもCas9とガイドRNAを使う点では従来の方法と同じだが、DNA切断機能を失わせたCas 9酵素(deadCas9: dCas9)にデアミナーゼ(塩基のシチジンやアデニンからアミノ基を除去する酵素)を結合させ、塩基C(シチジン)をU(ウリジン)にアデニン(A)をI(イノシン)に変える。その後、細胞内のDNA修復酵素がUをT(チミジン)にIをG(グアニン)に変える。結局、突然変異を起こしたDNAのG-CペアをA-Tペアに、A-TペアをG-Cペアに変えることで本来の塩基対を復活させることが出来る。中国の研究者らは実際に先天性異常のマルファン・シンドローム(結合組織が出来ないため、大動脈瘤など様々な病気が起こる)を持つヒトの受精卵をこの塩基編集技術で突然変異のAをGに変えて正常な細胞に修復した。この技術の大きな特徴はDNAを切断しない事で、ゲノム編集に伴う副反応を抑えることが出来る。

3-4)人工PNA(ペプチド核酸)を使ったゲノム編集
 自然の核酸(DNAとRNA)は骨格にリン酸と糖を持ち、それにA,G,C,Tという4種類の塩基が付いているが、PNAは骨格が蛋白質と同じペプチド結合で、それに4種類の塩基をつけた人工的な合成核酸である。PNAはペプチド鎖のため電荷(DNAの場合リン酸)を持たず、2本鎖DNAのようにマイナス電荷同士の反発力がないために、相対する塩基同士の結合力が強く(A:T,G:C)、DNAやRNAに強く結合する性質がある。その為、特定の塩基配列をもったPNAを細胞内に注入すると標的DNAの片方の鎖を押しのけて、DNAと結合し、3重鎖を形成する。その後、細胞のDNA修復酵素が正しい塩基配列に修復する。即ち、3-3)の塩基編集同様、標的DNAを切断せずにゲノム編集ができる。

4)ゲノム編集の安全審査について
 ゲノム編集の安全審査については未だに確かな規定がない。原因の一つは上に述べたように、ゲノム編集技術が早いスピードで進歩し、安全性の定義に関わる技術が絶えず変化しつつある事である。環境省は専門家会議で議論し、カルタヘナ法に抵触するか否かで安全審査の基準とした。①外来遺伝子を挿入しない「ノックアウト」については特別な安全審査の対象としない、とし②外から遺伝子を挿入する「ノックイン」についてはカルタヘナ法に準じて審査が必要、との見解をまとめつつある。しかしこれでは極めて不十分である。既に述べたように、ノックアウトの場合、標的遺伝子以外の遺伝子にもオフターゲット効果で破壊される遺伝子が存在する可能性が高い。勿論、ノックインの場合も同じである。これまでの遺伝子組換え作物の安全審査でとられてきた「実質的同等性」の基準では不十分だったことは明らかである。ゲノム編集の安全審査では「ノックイン」「ノックアウト」に限らず宿主の全ての標的外遺伝子への影響を確認する必要がある。
具体的には:
 (1)標的遺伝子の改変が目標通り確かに行われたかどうか。
 (2)宿主の他の遺伝子の発現に影響がないかどうか
 (3)食用動植物の場合、目的外の成分の増減がないかどうか
 (4)ゲノム編集に使われたDNA分解酵素などにアレルギー作用がないかどうか
 (5)ゲノム編集した動物や植物が環境中に放出された場合、生物多様性に影響を与えないかどうか
等を厳しく検証する必要がある。

II ゲノム編集(2) 環境や人間社会に及ぼす影響について — 生命倫理の側面から

1)ゲノム編集の目的
 ゲノム編集の目標は、既存の動植物の遺伝子DNAを編集することで、農作物や畜産・漁業など食品に関わる生物の生産量を上げたり、環境変化に適応する動植物を作り、あるいは病虫害に対する抵抗性を上げる、など本来の生物が持つ性質を変更することで人間社会のニーズに応える事である。しかし、自然界は複雑で人間にとっては害虫でも自然生態系のサイクルには必要だったりする。従って、ゲノム編集を行った生物が自然界でどのような適応をするか、生態系を破壊しないか、など難しい判断が求められる。
 更に、ゲノム編集の大きな目標の一つが人間の遺伝子疾患の治療である。これには、現存の病気を持つ人体に対するゲノム編集と、生まれてくる赤ん坊が先天性の病気を持つ場合に受精卵または胎児に対するゲノム編集がある。また、親のどちらかが疾患遺伝子を持つ場合、卵子や精子の段階でのゲノム編集もありうる。
 現在、出生前診断はごく普通に行われるようになっているが、胎児に問題があると分かった場合に出産するか否かは親の判断に依拠しており、親にとっては大きな悩みの種となっている。胎児のゲノム編集が可能となればそれを希望する親も出る可能性はある。このように生殖細胞や受精卵や胎児のゲノム編集は、その時の社会のありように大きく左右され、容易に優性思想につながる恐れがある。

2)ゲノム編集と差別・格差の拡大
 また、遺伝性疾患に関わる生殖細胞や胎児のゲノム編集は社会的差別につながる恐れもある。現在も遺伝病の患者は社会的差別を受けることが多く、それ自体が問題だが生殖細胞のゲノム編集で遺伝病が治るとなれば、当然、社会の中で富裕層が高額な医療費を払いゲノム編集を受けるチャンスが増えるが、高額な医療費を払えない人々との間に社会的格差が広がる。そうした差別を起こさないためにどのような社会的システムを作るかが大きな問題である。
 また、スポーツ選手などの場合、筋肉の増強を図るためにミオスタチン遺伝子(筋肉の過剰な発達を抑制する遺伝子)をノックアウトする等(遺伝子ドーピング)も考えられるため、国際オリンピック委員会は2003年に遺伝子ドーピング禁止を表明し、WADA(世界アンチ・ドーピング機構)は2004年に遺伝子ドーピング専門部会を設置し、具体的な対策を検討している。将来的には期待通りの子孫を作る「デザイナー・ベビー」の可能性さえ想定されている。

3)生命倫理の観点から
 こうした様々な可能性を含むゲノム編集技術を、社会はどのように受け入れるべきか、又は受け入れてはならないか、を判断しなければならない局面に我々は立たされている。これまでも、生殖補助医療としての体外受精や代理母の問題、他人の精子による人工授精など生命倫理に関わる課題があったが、社会は不妊治療という目的でそれを認めてきた。また、1997年には議員立法で臓器移植法案がだされ、その可是非をめぐって大きな論争になった。この場合は「脳死」は人の死かどうかをめぐって激しい議論が戦わされたが、結局、臓器提供者が生前に臓器提供を認めていたかどうか(子どもの場合は親の判断)が判断基準として現在は実施されている。しかし現実には臓器を提供する人は少なく、技術的は可能でも社会の受け入れは必ずしも万全ではない。このように生命倫理の問題は「生命とは何か」という根本的認識に関わっており、規制や法律を作る際にはその時の社会的受容環境によって大きく左右される、というきわどさを内包している。最近問題になっている旧優生保護法による"障害者"の強制的不妊手術はまさに「当時の社会が求める」人間像に即した制度によるものであって、生命倫理の観点からは到底容認できないものだが、「生命のあり方を社会が決める」危うさを示している。
 ゲノム編集に関しては、これまでの流れは卵子や精子、受精卵など、これから生まれてくる赤ん坊の未来を左右する生殖細胞のゲノム編集は禁止する、というのが欧米や日本の政府、学会のスタンスである。しかし、先に述べたように出生前診断などで先天異常の子どもが生まれる事が事前に分かった場合、あるいは親が癌になりやすい遺伝子を持つことが分かった場合、等に子孫の安全を望む親の願いを認めるか否かを誰がどのように判断するのかは極めて難しいと思われる。生命倫理の視点も又、社会が変われば変わる可能性がある事を深く自覚しなければならない。

4)最近、生命倫理に関連する更に踏み込んだ研究が発表された
 その1)京都大学の研究者らがヒト由来のips細胞から卵原細胞を作った、という論文(Science 2018/9/20)である。研究チームはヒトの血液細胞をips細胞(人工多能性細胞)に転換し、これまでそれを「始原生殖細胞」に転換することには成功していた。今回、それを更に卵原細胞(卵細胞の一歩手前)に分化させることに成功した。5千個のips細胞を使い、11週間後には500個の卵原細胞が出来た。分析の結果、この卵原細胞はヒト胎児(妊娠9〜11週目)と同じ遺伝子を持っていた。今後はこれを実際の卵細胞に分化させる研究を行う。
 この研究の意味するところは、誰かの皮膚の細胞や血液の細胞をips細胞に脱分化させ、それを卵細胞に変換出来れば、同一人物の遺伝子を持つ卵子をいくつでも作ることが出来、体外受精させて子宮に戻せば、同一人物の遺伝子を持つ子孫を好きな数だけ誕生させる事が出来る、という事になる。技術的には可能なこの研究の実用化を我々は受け入れることが出来るのか?
 ips細胞の作製は京都大学の山中伸也教授が2012年にノーベル賞をもらった研究で、皮膚や肝臓など分化した動物の細胞に特定の遺伝子(3〜4個)を載せたレトロウイルスを感染させ、その遺伝子が発現すると未分化の卵細胞と同じ機能を持つips細胞が出来る。これに様々な薬品や血漿などの環境を与えると、皮膚や血液、心臓など特定の細胞に分化させることが出来る、という技術である。一部は既に実用化され、国の認可の基に目の難病患者にips細胞から作った人工網膜を移植する治療実験などが行われており、最近ではips細胞から作った血小板を難病の貧血患者に輸血する実験を厚労省が認可(2018年9月21日)する等、今後多くの難病治療に役立つと期待されている。これ自体、遺伝子組換え技術であり、いわゆるゲノム編集のように特定遺伝子の構造を変えるものではないが、分化した細胞の中で眠っている未分化遺伝子を活性化させる、という意味ではゲノム編集技術である。

 その2)最近、盛んにゲノム編集に使われるようになったKRISPR/Cas9の技術を使い、マラリア蚊を絶滅させることができた、という研究(Nature Biotechnology: 2018/09/24)が発表された。 マラリア蚊は雄になる遺伝子と雌になる遺伝子の両方を持つ。この性の分化を支配する遺伝子をゲノム編集し、オスになる遺伝子には影響ないがメスなる遺伝子は破壊し生殖細胞を作れなくした。 籠に300匹の野生の雌と150匹の野生の雄、それに雌になる遺伝子をゲノム編集で壊した雄150匹を入れて9世代〜11世代経過すると、雌は100%居なくなり蚊の繁殖は止まった、という。これを野外で行えば自然界のマラリア蚊を絶滅させることが可能になる。こうした研究は「遺伝子ドライブ」と呼ばれる。マラリアは人間にとっては怖い病気で、マラリア蚊の撲滅は昔から望まれてきた。しかし、この蚊が絶滅すると生態系にどのような影響があるのか、影響がないのかは分かっていない。人間の欲求が自然生態系の循環に優先するのか。これもまさに生命倫理のテーマである。こうした遺伝子ドライブと呼ばれる研究は既にいくつも公表されている。

5)最後に
 ゲノム編集の実用化は目前に迫っており、早急な対応策を考えなければならない。その為には専門家だけでなく一般の人々もこの事実を知り、我々がゲノム編集に関わる基準を作らなければならない。その為に何が必要か必要でないか、を議論する必要がある。

● ゲノム編集は自然(Nature), 文明(Culture), 未来(Future)に 何を残すか・・・

◆河田昌東(かわた まさはる)さんのプロフィール

1940年  秋田県生まれ
2004年 名古屋大学理学部定年退職
現在   NPO法人チェルノブイリ救援・中部 理事
     遺伝子組換え食品を考える中部の会 代表
専門   分子生物学、環境科学

活動暦
1969年〜1982年 四日市公害裁判支援運動に参加。
1980年〜1990年 東南アジアでの公害調査。三重県芦浜原発建設反対運動に参加。
1990年〜   チェルノブイリ原発事故被災者の救援活動に参加、現在に至る。
1995年〜    遺伝子組換え問題に関わり現在に至る。
2011年4月〜   福島原発事故被災者の救援運動。
                

訳書:J.ワトソン著「遺伝子の分子生物学」第1版
著書「チェルノブイリと福島」
共著「チェルノブイリの菜の花畑から」






 
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