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社会・政治を憲法13条「個人の尊重」原理から見る −『憲法時評2009〜2011』に反響

2011年12月19日

 法学館憲法研究所HP「今週の一言」のページで「憲法の心を歌った"幻の国歌"」(2005年9月12日)と語っていただいた生井弘明さん(『われら愛す』著者)から浦部法穂著『憲法時評2009〜2011』(HuRP出版)の感想が寄せられましたのでご紹介します。

 浦部法穂著『憲法時評2009〜2011』(HuRP出版)を読んだ。

 この本は、「はしがき」にもあるように「2009年4月から、基本的に2週間ごとに、時々の政治や社会の動き、人々の関心事について、憲法の視点からの論評」をまとめたものである。本の題名が単に「時事評論」などではなく「憲法時評」と名付けられているのも、全部で58ある主題がすべて「憲法の視点」に立った論評であるところに特色を持っている。
 これら58の主題はそれぞれ関連するものを集めて「東日本大震災」「平和主義」「自由・人権」「刑事手続き」「政治・政権交代」「社会政策・制度」「司法」「税制・国家政策」「地方自治」「国際社会と外交」の10項目に分類され、私たち読者に分かりやすい配列がなされている。
 これらの項目すべてを「憲法の視点」で見た場合、その基本的な立ち位置を「憲法13条」の「個人の尊重」にあると考え、それを前提に読んでみた。著者も「東日本大震災」論評のはじめに「私は、憲法研究者として、何ごとも『"個人の尊重"原理』に立ち返って考えることを心がけてきた」と書いており、そして「個人の尊重」とは「一人ひとりを大事にする」ことであり、「一人ひとりがかけがえない存在」としてとらえられていると述べている。そしてこの「個人の尊重」は単に日本人のみでなく、外国人にもあてはまることは、後述する通りである。
 つまりこの「憲法時評」全体を貫くバックボーンは「個人の尊重」であり、対極にある国家との関係も、あくまで個人を主体にして判断していかなければならないという思想が構造体として、この本の中身を形作っている。
 さらに「個人の尊重」という文言が表面には出ていなくても、それを文章の中で通奏低音のように響かせ、主題を引き立たせる役割を果たしているものもある。
 「個人の尊重」をはっきり表現したものとして、1995年の阪神淡路大震災のとき、その地にあって大震災の被害と復興支援を目の当たりにした著者は、国の復興支援が「もっぱらインフラや制度・システムの復旧・復興に重点が置かれ、個人の生活再建への支援は、(いろいろな理由をつけて)ことごとく否定されてきた」ため、3,11の大震災については、生活基盤を失った個人が自立して生活できるようにすることが何よりも大切で、これを保障することが「政府の最低限の責任」と主張している。「一人ひとりを大事にする」という憲法13条の精神は、具体的にこのような場で発揮されるべきというのが著者の基本的立ち位置であろう。(「復興に向けての原理原則」)
 「武器輸出三原則」の見直しも平和憲法の理念に反して、日本の「防衛産業の育成・生き残りやコスト減といった、もっぱら経済的・財政的観点からのみ」の「見直し」であって、「平和のうちに生存する権利を有する」全世界の国民一人ひとりの権利は完全に忘れ去られていると主張する。(「武器輸出三原則」)
 「日の丸」「君が代」強制問題は、国家と国民が最も尖鋭な形で対決を余儀なくされている問題の一つである。国はこれらが「国旗」・「国歌」である故をもって、国民への強制は当然であると主張している。しかし著者によれば、これらは「国家の権力に服属する人々にその一員であるという意識を植え込み、人々を『国民』として国家のもとに統合するという機能をもつ。」しかもこの問題は個人の「アイデンティティ」に属するものであり、その基礎は「自分の自律」に求められるべきで、強制にはなじまないとする。
 過去の一時期「天皇陛下をいただく日本に生まれたことは、たいへんしあわせに思わなければなりません」という押し付けがましい趣旨の教育を受けて来た私には、再び「日の丸」「君が代」を通して、過去の天皇制軍国主義国家に逆戻りする恐れを感じている。国のため天皇陛下のためには、命を捧げて悔いなしという国家あっての国民という考え方には、決して同調できない。
 著者も「そういう国を、私たちは、『全体主義国家』と呼んで、民主主義の『敵』とみなしてきた」と厳しいのは当然である。(「国旗・国歌強制のほんとうの問題」)
 戦前の裁判が天皇の名によって行われた権威主義的なものであったことは、年配の人なら誰でも知っている。戦後もその考えを引きずって、市民の裁判批判を「雑音」といって片付けた最高裁長官もいた。2009年にスタートした裁判員制度は,その様な権威主義的な裁判制度を否定して、市民の常識的な価値判断を裁判の中に入れようという趣旨から制度化したものと思っている。つまり著者のいう「裁判の民主化」である。
 そうである以上、著者が述べているように、「一般市民の感覚をとり入れた結果として示された判決には国は従うことを原則にすべき」である。ここにも、裁判という国家の権威に風穴を開けた市民(個人)参加の民主主義が制度化されている。(「裁判員裁判と検察官上訴」)
 選挙権を持っている国民(日本人)を地球にたとえ、持っていない外国人を他の天体にたとえて、外国人にも選挙権を持たせるべきという地動説を主張している著者の考え方はユニークである。税金を払っているのに、選挙権はないというのは素人目にもおかしい。「仲間はずし」である。著者によると、この「仲間はずし」は選挙権だけではなく、官・民を問わずいろいろな職種で行われており、外国人に対する差別につながっている。憲法の基本的人権の保障は、「国民」と「何人」と分けて記述しているが、その違いはあまり問題にならず、すべて「個人」に置き換えてもいいくらいである。そして当然外国人も「個人」として、条件をつけても基本的人権を享受すべきであると思っている。(「外国人参政権問題」)
 今憲法9条を中心に、「普通の国」にするための憲法改定議論が盛んであり、3,11の大災害で一時とん挫した気配もあるが、再び頭をもたげようとしている。しかし著者も述べているように「国民の側から」憲法改定の声が高まってきた時、「それを受けて国会議員たちが改正原案を議論するのが、本来の筋である。」ここにも著者が国権の最高機関である国会よりも、一人ひとりの人間(個人)を大切に考える原則が表れているのではないか。(「憲法改正の『作法』」)
 また通奏低音の役割をもった文章としては、「脱・原発」について電力会社や政府の一方的な情報や「脅し」に流されることなく、主体的にこの問題に立ち向かう姿勢こそ自立した個人としての責任ではないだろうか」との問いかけは、やはり「個人の尊重」の精神に基づいた発言であろう。(「脱・原発」・「電力使用制限令」) 
 沖縄普天間基地移転の問題をみると、沖縄県民をはじめ国内の多くの人々の反対にもかかわらず、政府は日米地位協定に基づいて米軍普天間基地の辺野古移転はやむを得ないとの認識に立ち、政策を進めている。ここにも知事を先頭に基地の県外移転を求める大多数の沖縄県民の平和で安全な生活を無視し、日米安保条約を今後も継続させる外交姿勢に固執する日本政府と「地域の平和と安定」という沖縄県民一人ひとりのかけがえのない存在との対決構図を明らかにしている。(「普天間移設問題」・「結局、辺野古」・「野田内閣と普天間問題」)
 消費税の逆進性を指摘し、「金持ちや企業の負担を減らした分を消費税でまかなう」ことや「低所得者ほど消費税の所得に対する負担割合が大きくなる」と述べて、「少数者や弱者」の立場を擁護しているのは、やはりその背後に「個人」としての人々の生活を考え、その人たちの安心・安全に配慮した発言と思うのである。(「消費税」・「財政再建・増税?」)
 また「地方自治」の項目では住民の多数(民意)よって選ばれた首長が必ずしも民主的な行政をやるとは限らないことを、ナチスドイツのヒトラーを例にとって説明し、民主主義と独裁が必ずしも無縁でないことを、大阪府知事選挙を例に挙げ、住民一人ひとりが候補者を見る目をもっと鋭く研ぎ澄まさないと、人々の意思に反する行政が行われる恐れがあると警告している。この場合も「個人の尊重」を通奏低音のように響かせて、その自覚を呼び起こしている。(「地方自治と首長」・「民主主義と独裁」)
 最後にサッカー女子ワールドカップで優勝した「なでしこジャパン」の快挙に日本国中が沸き立った話題をとりあげ、「選手や監督とはまったくの『赤の他人』」であるにもかかわらず、この優勝に歓喜するのは、同じ日本人だから、日本が勝ったからというだけに過ぎない。このことはいやが上にも日本という共同体を意識せざるを得ず、「愛国心」を強調し、最後には国の為には命を投げ出しても惜しくないという「戦争遂行の大きな力」になり、「国民を戦争にかり出すための装置として機能」する役割を果たすと警告している。
 「個人の尊重」という文言はないが、その底に「国家のための個人」ではなく「個人のための国家」をもう一度真剣に考える契機にしたいという著者の思いが通奏低音として流れていると考えられる。(「なでしこジャパン」)
 全体を通して私の読後感は憲法13条の「個人の尊重」を核と認識して読むと、理解が深まるという印象を持った。また、ここ2、3年前の忘れかけていた政治、経済、社会の重要な出来事を再認識するための手立てとしても、コンパクトで面白い著書である。

* 生井さんには以前、法学館憲法研究所双書『世界史の中の憲法』(浦部法穂著)の感想も寄せてくださいましたので、ご紹介します。こちら
* 『憲法時評2009〜2011』については発売早々から多くの反響が寄せられています。こちら。また、当サイト「今週の一言」のページに信州大学・田中祥貴さんが書評を寄せてくださっています。




 

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