教員が集う 中高生のための映像教室 『憲法を観る』
 
 
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梓川高校 「総合学習」の中での平和教育
2011年4月25日
 
上條 晋さん(長野県梓川高校教員)
 

1.総合学習と文化祭について
  「総合的な学習の時間」を教育課程の中に、どう位置付けるか、多くの学校が様々な工夫をしていることと思う。梓川高校では、時間割の中に1時間を確保して3年間を通しての取り組みとして行っており、各年度の前半の総合学習の取り組みを文化祭で表現する(展示・発表)という形で行われている点に大きな特徴があると言える。具体的に言えば、「総合的な学習の時間」は、時間割の中で金曜日の第6時限に設定され、各学年とも4月から8月までの前半で取り組まれる総合学習の成果は、夏休み明けの文化祭(梓水祭)に展示・発表される。その中で、2年生は、修学旅行の事前学習に取り組み、それを発表する形が定着している。
  この原稿を書くにあたって校内の資料を調べて見たところ、1982年から文化祭でクラス発表が行われるようになったようだ。2年生では、高校生活や非行に関するテーマでクラス展示を行った年もあるが、修学旅行の事前学習を中心にクラス展示が行われている。1984年から3年間は、京都・広島修学旅行の事前研究発表をクラスの枠を超えた班編成をして発表している。その後は、修学旅行の目的地が長崎、沖縄と変わっていくが、クラスごとに展示・発表が行われていた。2002年は、沖縄について調査研究を発表しているが、2年2組の5人グループが「沖縄の交通について」調べ、それを生徒会誌7ページに及ぶ大作にまとめているのが目を引く。
  このようなクラスごとの展示から、1984年から3年間行われた、クラスを越えた生徒を集めたゼミ・講座方式が2006年から復活して行われるようになった。以下、2006年以降のことを述べてみたい。

2.2006年の取り組み
  この年から、クラスの枠を取り払い、学年全体で希望者からなるゼミ(講座)を作り、展示発表を行うようになった。この年は、「沖縄ミュージアム」として8ゼミを実施した。
@エイサーを踊ろう→開祭式・野外ステージで発表
A米軍基地問題
B首里城と世界遺産
C食文化比較と物産展(沖縄そばの販売)
D信州と沖縄の方言比較
Eなぜ沖縄にミュージシャンが多いのか
Fガマを再現する
G23万人の犠牲者の可視化(23万本の楊枝アート)
  この年の目玉の展示となったのは、「23万本の楊枝アート」であった(下の写真)。この作品は、現在も梓川高校の生徒昇降口に設置してあるので、見ることができる。

「シーサーは見ていた」(23万本の楊枝アート)

3.2007年の取り組み
  この年は、「沖縄展」として7講座を実施した。
@沖縄の食文化に触れてみよう(沖縄そば販売)
A「沖縄戦の図」と基地問題を調べよう
B「平和の礎」って何だ?!
C ウチナーグチ(琉球方言)に挑戦
D 教室を美ら海にしちゃおう
E 美ら島〜沖縄〜の自然を調べよう
F 沖縄の染物〜琉球紅型〜に挑戦
  この年の目玉の展示となったのは「沖縄戦の図」の模写であった(下の写真)。この取り組みは、12月の沖縄修学旅行での佐喜眞美術館で本物と対面、佐喜眞道夫館長との話につながり、さらに翌年の波田町平和祈念式典での実践発表につながった。

「沖縄戦の図」(模写)(縦2.8m、横6m)
<実物は、縦4m、横8.5mの大きさ>

4.2008年の取り組み
  この年は、「ハブとマングース 〜平和的共存をめざして〜」として5講座を実施した。
@地図で遊ぼう 沖縄の現在・過去・未来
A再現・体感! 沖縄の自然
B沖縄で暮らす
C学年みんなで大きな絵を作っちゃお!
Dエイサーを踊ろう!三線を弾こう!
  この年の目玉の展示となったのは、「モザイクアート」であった(下の写真)。当初は、縦6m、横9mの巨大なモザイクアートを作ることも検討されたが、縦3m、横4.5mのものを4枚(さとうきび畑、ハイビスカス、戦争中の様子、海)作成することになった。ところが、制作に予想以上に時間がかかり、さとうきび畑、戦争中の様子、ハイビスカスの半分までで文化祭当日を迎えてしまった。しかし、モザイクアートの大きさとできばえの素晴らしさは注目を浴びていた。

「さとうきび畑」「戦争中の様子」
「ハイビスカス」(の半分)(モザイクアート)

5.2学年の悩み
  クラスの枠を取り払い、学年全体で希望者からなるゼミ(講座)を作り、展示発表を行うようになって3年が経過した。3〜5月、2学年に所属することになった教師は、文化祭に向けて何をやるか、考えなければならない。それも沖縄に関するものである。でも昨年と同じものでもよい。沖縄の自然に関する調査・研究と言っても、扱う内容は様々なことが考えられるから、重複しなければ、さほど問題はない。そういう意味では、あまり大きな負担にならないかもしれない。自分の知っていることを中心に取り上げるのもよし、よく知らないが、興味を持っていることを生徒と調べていくのもよし。
  修学旅行に向けて、絶好の事前学習になると言える。とは言え、その年の目玉の展示となると、やはり気にしなければならない。以前と同じ二番煎じは避けたいし、それなりに見栄えの良いものを作り上げたい。これが2学年の悩みである。

6.「沖縄戦の図」から、波田町平和祈念式典へ
  2006年と2008年の目玉の展示となった作品は、学年全体で制作したものである。中心になって企画・制作したゼミ(講座)はあったが、制作途中で学年全員が、何本かの楊枝を刺したり台紙に何枚かの細かな色紙を貼ってモザイクアートを作ったりしている。それに対して、2007年の「沖縄戦の図」の模写は、たった5人の生徒による制作であった。たった5人による制作であるが、たった5人でも、これだけのことができるという取り組みでもあると言える。
  2007年の暑い夏、「沖縄戦の図」の模写に一生懸命に取り組んだ生徒たちは12月に修学旅行に出かけ、佐喜眞美術館で本物の「沖縄戦の図」に対面した。模写を通じて感じていたものを上回る本物の持つ大きな力に圧倒されつつも、佐喜眞道夫館長との話から、自分たちの制作した模写・そこから感じた沖縄戦のことなど、改めて学ぶことができた。5人の生徒にとって、この修学旅行の持つ意味は本当に大きなものだったと言える。
  翌2008年8月に梓川高校のある波田町で第1回平和祈念式典が行われることになった。これは、波田町が昭和63年(1988年)6月28日に「非核・平和の町宣言」をしており、20年の節目にあたることから、第1回の平和祈念式典を行うことになったものである。この中で、式典の第2部として、学習発表を行うことになり、梓川高校からは、2年次に総合的な学習で取り組んできた平和学習について、2年間の取り組みを発表した。発表したのは、2006年文化祭で展示した「23万本の楊枝アート」と2007年文化祭で展示した「沖縄戦の図」の模写である。
  平和祈念式典では、「沖縄戦の図」の模写の展示とパワーポイントによるプレゼンテーションを行った。終了後、模写に近づいて見る人、写真に撮る人、発表した高校生に質問に来る人など、この発表は、静かな反響を呼んだ。平和祈念式典が終了したら、取り外す予定だった模写もしばらく展示させておいて欲しいという申し出があり、10日あまり中央公民館に展示されていた。また、11月に行われる波田町文化祭にも展示をしたいという公民館の要望で展示された。
  実際に模写を行ったのは、1年前のことであり、生徒たちには「今さら」という気持ちもあったと思うが、平和祈念式典に参加したことで、自分たちの取り組みが学校から社会に出て、波田町の平和に関わる事業につながったことを実感できたようである。

※本稿は、長野県高等学校教育文化会議発行の教文ブックレットNo.7「"改憲"YESorNO 高校生の選択 〜高校生の憲法意識調査と憲法の教育〜」(2009年2月発刊)に掲載された原稿を長野県高等学校教育文化会議のご了解の下、転載したものです。