教員が集う 中高生のための映像教室 『憲法を観る』
 
 
トップページ 憲法教育を考える がっちり正社員になる方法
 
がっちり正社員になる方法 〜進路指導を通しての憲法教育・労働者教育〜
2011年5月23日
 
市川 高士さん(長野県屋代南高等学校教員)
 

1.お粗末な日本の状態
  勤労は国民の権利であり義務であると憲法には書いてある。そのことを理解し、高校生活を普通に送ってきた生徒が就職しようと思ったが就職口がなく、就職できない、というのはどう考えても何かがおかしい。
  それを打開していくための課題はいろいろあるが、今すぐ間に合うような方法はなかなかない。それでも、グローバルな視点からの行動に取り組みつつも、一方で今目の前にいる生徒を救うために何かをしなければならない、そう考えて「がっちり正社員になる方法」という総合的な学習の時間の講座を開くことにした。
  講座では面接を受ける上での身だしなみのような細かいことも扱うが、主眼は学校から仕事の現場に移行するにふさわしいだけの仕事に対するスタンス・勤労観を持ってもらうところにある。
  諸外国並みに18歳で成人とするならばその時点で一定の職業観、勤労観を持ち、自立した職業選択を行ったうえで社会の一員になる、というのが本来あるべき姿だ。欧米ではデュアルシステムやインターンシップなどを長期間体験できたり、そもそも学校の中に美容室があったり、事務所があったりして職業体験をすることが前提となっている学校もある。企業や自治体は若者の職業体験を受け入れることが当然となっていて財政的な保障もある。欧米の若者はそうしたたっぷりの体験を元に自分の職業をじっくり選択することができるようになっている。言い方を変えれば自分の人生は自分でつかみ取ることができるようになっているといえる。
  ところが日本では、そんなことはどっちでも良いからとにかく勉強して国公立をはじめとする大学に送り込むのが親と教師の責任で、そのあとはどうなっても本人の責任だ、という無責任体制である。被害者は若者で、職業についての体験が何もなく、実際の仕事についてのイメージがなかなかわかない中で就職活動を自分で行っていくことになる。何とか就職できたとしてもこんなはずじゃなかった、ということで七五三現象が起きることになる。これでは一人前に育ててもらっていない、と言って過言ではない。そこで、そうならないことを考えて総合的な学習の時間に「がっちり正社員になる方法」という講座を開講し、取り組むことにした。
  1年目は109名に対して総合的な学習8講座を開講し生徒はその中から1講座を選んで受講した。「がっちり」には31名、2年目は170名中72名が希望した。2008年は前期・後期に分けて2講座選択できるようにしたこともあり全体の75%の生徒が受講することになった。
  最初の時間になぜこの講座を選んだか、期待することは、というアンケートをとったところ、やはりいつかは就職するのだし、そのときに役に立つだろう、という感想が多かった。以下、いくつか選んだ理由をピックアップしてみた。

 「なぜこの講座を選んだか」より
「いつかは働く(就職する)と思うし、この講座を選べばきっといつか役に立つときが来るかもしれないと思ったから。全然『社会』とか『就職』とかわかんないから、まだ将来のこととかはっきり決めてないけど、とにかくがんばろうと思った。」
「就職するためには、また、就職してからどうすればいいか詳しく知りたかったから。社会に出たら役立つような経験をしたい。」
「どーいう仕事があるか、とか、自分のやりたい事が見つかればいいなーって思ったから。」

2.実践の核 
NHK
「あしたをつかめ〜平成若者仕事図鑑」

  実践の核をなすのはNHKの「あしたをつかめ〜平成若者仕事図鑑」の視聴と感想記入である。インターンシップなどの職業体験が手軽に行うことができればそれに越したことはない。しかし、やったことのある人はわかると思うが、国全体がそういうシステムになっていない中で行なうのはそう簡単なことではない。そこで、実際の体験に代わるものとして「あしたをつかめ」を視聴することにした。この番組は主人公の青年が困難や失敗にめげずに夢や希望を追い求めながら日々働き、充実感を感じている姿を映し出す番組。本物の体験ではないという弱点は持ちながらも、わずか25分間の中にNHKの製作スタッフが仕事の疑似体験ができるように、よくよく考えて作ってくれている。視聴した生徒からはたとえば次のような感想が寄せられる。

 「桐タンス職人」の感想より
「すごく細かい作業ですごかったです。自分が普段何気なく使っているタンスとかも桐タンスと同様にあんなに大変な作業をして作られていると思ったら感動しました。」
「自分が一生懸命作ったタンスがこの先何十年とか使われることが誇りだと思う。作り終わったときの達成感がやりがいなんだと思う。」
「桐タンス職人という仕事に誇りを持ち、やりがいを感じていて、私もただ職につくのではなく、自分の能力が出せたり、やりがいの感じられる職につけたらいいなと思いました。それと仕事というのは半端な気持ちじゃ絶対ダメなんだと思いました。」

 年間で35〜36本視聴した年もあった。それだけたくさん見てくるとおよそ仕事というものがどんなものなのか、ということがわかってくる。主人公たちはそれぞれ期待・ねらい・夢を持っていて、それが実現したかどうかで一喜一憂している。そんな主人公たちを見ているうちに自分も仕事をするんだったら期待・ねらい・夢をもって、人の役に立つ仕事をしたい、というように、本来の自分に気づいていく。だいたい20本も見ればそんな感じになってくる。9月に就職の履歴書を書く段階で同じ自分のクラスの生徒でも「がっちり」受講者とそうでない生徒では志望動機に書く内容ははっきりとした違いがでてくる。受講者は人の役に立ちたいんだ、というスタンスで志望動機を書いてくるのだが、そうでない生徒たちはその会社が自分にとって何かと都合のいい会社なんだ、というスタンスで書いてくる。これでは採用されそうもないので、その時点で個別に呼んで話をして何回か書き直させる。最終的にはそれなりの志望動機になるのだが、面接練習をやってみると本当に大丈夫だろうか、と心配がぬぐえないこともある。「がっちり」受講者は本心から書いているので面接に安心して送り出せる感じがする。実際、過去3年間での「がっちり」受講者の9月の高卒採用状況は21勝6敗に対して、その他の講座を受講した生徒は34勝25敗であった。

3.したたかに生きる術も
  「がっちり」の授業の中では「あしたをつかめ」の効果が最も大きい。しかし、それだけではこの格差・ワーキングプアを内包した今の社会に船出するにはあまりにも無防備だ。人をむちゃくちゃ働かせて使い捨てにしてフリーターへと追い込むようなところもある。そのような場合でもしぶとくしたたかに生きていってほしい。「フツーを生きぬく進路術 17歳編」という優れた本には、たとえフリーターになったとしても使える制度は何でも使い、もらえるお金はもらえるだけしっかりもらってしぶとくしたたかに生きるしかない、と書いてある。そうした生きる術は、社会のセーフティーネットに穴が開いている以上必修項目である。
  授業では求人表の見方について詳しく触れることでそんな生きる術についても触れる。その際、制度だけでなく、具体的にどれだけの金額になるのかについても詳しく触れる。電気・水道・光熱費がいくらぐらいで、年金・健康保険制度にいくらとられ、とおよそで良いから計算できないと、アパートを追われてネットカフェ難民からホームレスということも現実問題だ。
  制度としては確立している「はず」なのだが、現実には力関係で決まることも身の回りの実例を紹介してあらかじめ覚悟させておく。「先生たちだって労基法の適用を受けなければならないのだが、土日部活指導をやったって・・・いくら残業をしても・・・」など。そういう場合はどうしたら良いかも身の回りの実例を紹介する。「今年は組合の役が回ってきて・・・地区労連の大会に行ってみたら・・・」など。このような現実のことを教えておかないと憲法も、それを受けて作られた法もほとんど意味をなさない。

4.普遍的な教材をめざして
  自分もかつてそうだったが、新卒の若い先生も数学Tの教科書を使うことで数学Tを教えることができ、先生と呼ばれる。それと同じようにキャリア教育についても定番と呼ばれる授業展開があって、それにしたがって授業を行えば新卒1年目の先生でもそれなりにキャリア教育ができる、という実践例のようなものがあってしかるべきだ。「がっちり正社員になる方法」はそういう典型的な実践を念頭において作ってきた。インターンシップを受け入れてくれる企業を一人で発掘するなどということはよほどのスーパーマンでない限りできない。しかし、「あしたをつかめ」のDVDと、私の作った求人票についての説明などのスライドショーがあればほとんど誰にでも実践することができる。
  「がっちり」は1年目は単独の講座で実施したが、2年目からは受講希望者が40人を超えたので、2講座展開で実施した。人数を半分に分け、同じ時間にもう一人の先生に同じ事をやってもらった。同じスライドショーを説明し、同じ番組を見て感想を書くという展開だ。平等になるように毎週生徒(担当者)を入れ替えて実施した。また、出張や休みで学校にいないときには自習にせず、代理で他の先生に授業をやってもらっている。だから実際誰にでも実践できる。
  使用したスライドショーの教材、生徒の感想などは次のサイトから入手することができる。
http://w1.avis.ne.jp/~t-1kawa/rpt/index.htm 

※本稿は、長野県高等学校教育文化会議発行の教文ブックレットNo.7「"改憲"YESorNO 高校生の選択 〜高校生の憲法意識調査と憲法の教育〜」(2009年2月発刊)に掲載された原稿を長野県高等学校教育文化会議のご了解の下、転載したものです。