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日本国には憲法があります。あなたの職場にはありますか?
2010年9月13日
橋口昌治さん(関西非正規等労働組合「ユニオンぼちぼち」執行委員長)
 

 2009年の1年間に、東京労働局が申告を受けた未払い賃金の請求額は約110億円でした。ホームページで公開されているグラフを見ると、ここ10年間の平均が70億円くらいだということが分かります。大阪労働局も、10年間で平均して20億円ほど賃金未払いの申告を受けてきています。
  私の勝手な推測ですが、労働基準監督署に賃金未払いの申告をする人は、100人に1人もいないような気がします。ほとんどの人が泣き寝入りをするか、証拠が不十分で申告できないのではないでしょうか。また時効のせいで、未払い賃金の請求は2年分しかできません。もし申告された額の100倍、本当の未払い賃金があるのだとしたら、東京と大阪だけでも毎年9000億円の未払いがあることになります。子ども手当の初年度の財源は2兆2500億円だったそうですが、全国で賃金が全額きちんと支払われれば、毎年子ども手当の額をゆうに超える収入が労働者に入ってくるのではないか、と雑な計算ながら思うのです。
  「いやいや、泣き寝入りした人は額が少ないから申告しなかったんだよ。だから未払い賃金はそんなに多くないよ」と思った人もいるでしょう。確かに、そうかもしれません。しかしちょっと立ち止まって考えてほしいことがあります。財布から毎月万円単位のお金が盗まれていることを知っていながら、警察に行かない人がいるでしょうか?しかし、会社から賃金が支払われない、つまり財布に入る前に盗まれてしまうとき、働く人の動きは鈍くなってしまいます。「しょうがない」と思ってしまいます。社会も「未払い賃金はしょうがない」と甘くなって、企業をかばいがちです。

  法学館憲法研究所から憲法についての執筆の依頼があったとき、当然第27条(勤労の権利・義務)と28条(団結権)のことが頭に浮かびました。それで条文を確認するために憲法をひもといたところ、「第29条 財産権は、これを侵してはならない」という条文が目に入ってきました。普段、個人加盟ユニオンの活動に関わり、賃金未払いなどの相談を受けているものとして、財産権の規定は何だか新鮮な感じがしました。「ああ、そうだったなぁ」と。なぜなら、多くの職場で財産権は保障されていないからです。言わば侵されて、盗まれて当たり前。大まかに言って現在、給料を全額、残業代や有給休暇も含めて支払われることは、権利ではなく恩恵になっています。会社が法律を守る気があって経営状態がよければ払ってもらえますが、そうでなければ「雇ってもらっているのだからしょうがない」ということになります。道ばたでは当たり前のことが、会社ではそうではない。止むに止まれず、おにぎりを盗んで刑務所に入る人もいるのに、「法律を守っていたら会社がつぶれる」と言い放って豪邸に住んでいる社長がいます。会社の中で王様のように振る舞い、「独立して会社を立ち上げたときに、日本からも独立してしまったのではないか」と思うような社長もいます。悪い例ばかり見ているせいか、会社というところは本当に怖いところだという印象があり、そこに適応していくことを強調する「キャリア教育」に疑問を持っていました(もちろん若い人を育てていくために学校と企業、行政がきちんと連携している場合もありますし、逆に多少労働条件が悪くても「就職のためならしょうがない」という学校現場の現実もあるでしょう)。
  今回私は、『反貧困学習』を出版した西成高校の肥下彰男さんと、『貧困と学力』などの著書がある伊田広行さんと一緒に、『<働く>ときの完全装備??15歳から学ぶ労働者の権利』という本を出すことになりました(解放出版社。1680円。9月半ばから本屋さんに並ぶ予定です)。内容は中高生に労働者の権利を教えるための教材集で、労働法カードやロールプレイなどによって権利を実践的に学べるように工夫されています。「実践的」というのは、様々な矛盾の中で権利を実際に使えるかどうかということです。単に権利を教えるだけでなく、実際に使う状況の練習をロールプレイによってできること、そのときに感じた疑問や不安を出し合い議論することを重視しました。教員用の解説もあるので、労働法に詳しくない先生でも使ってもらえると思います。
  何より、私たちが訴えたいことは単純です。
  「約束を破ってはいけないように、労働契約も守りましょう」
  「物を盗んではいけないように、賃金は全額支払いましょう」
  「人を殺してはいけないように、生活を破壊するような解雇・雇い止めもやめましょう」
  単純ですが、実社会では本当に難しいことも知っています。例えば、自分の子どもに「嘘をついてはいけない」と言って聞かせる「いいお父さん・お母さん」が、「家族を守らないといけない」という思いから職場で嘘をついたり人を傷つけたりしているということが少なくありません。会社と交渉をしながら、「この憎たらしい課長も家ではいい父親なんだろうな」と思うことがあります。そういう矛盾の連鎖を断ち切りたいという思いも、この教材には込められています。すべての人が「自分は憲法によって守られている」と実感しながら、他人の権利を侵害するような仕事や命令を拒否できる日が来ることを諦めないことが大切だと思います。

 
【橋口昌治(はしぐちしょうじ)さんのプロフィール】

関西非正規等労働組合「ユニオンぼちぼち」執行委員長