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『大人問題』から子どもの権利を学ぶ …五感の憲法実践
2010年10月25日
佐々木光明さん(神戸学院大学法学部教授/刑事法・少年司法)
 
 「小学生のうちの子、思うようにならないと、え〜ん、えん、って子どもみたいに泣くんです。そんなんでいいんでしょうか。」ラジオの相談番組でお母さんが深刻そうでした。回答者、お母さんはどうするんですか、そんなとき?「きちんと、いってやってます。子どもみたいに泣くんじゃありません。我慢しなさいって。でも、泣きやまないんです。」これでいんでしょうかって、こうした質問、結構受けたことがあってとても気になりました。
絵本作家の五味太郎さんが、同じことを言っているのをみつけ、我が意を得たりです(『大人問題』講談社)。ファミコンばっかりやってるんですが、これでいいんでしょうか。カッコばっかりつけて全然勉強しないんですが、…。異性にばっかり興味もっちゃって、…。鏡ばっかりみてるんですが、…。かくして問題は、「これで、それでいいんでしょうか?」というところです。五味さんは、愉快に話してくれながら、「なにが、どこに対して、どういう具合にそれでいいのか悪いのか、本当に分かりにくい質問だ」と痛快です。それは、大人(社会)は、許可、承認、承諾が大好きだからだそうです。お墨付きがあると安心し、自信が持てる。承諾・許可社会ってやつです。許可をもらうとそうでないときよりいろんなところで得がありますものね。できたら許可する側になりたいと思ってる大人は、けっこういるかもしれません。子どものことにしても何にしても、してはいけないことが原則いっぱいあって、許可・承諾で安心して動き、動かす、おうかがい社会。
  それにしても、先のお母さんやオトウサン、子どもに聞いてくれない。聞いても、「友達が持ってるからって、あんたに関係ないでしょ!」とかなんとか、話しても言下に否定するから、聞かれても話す気がなくなってしまう。これ、「子ども問題」なのだろうか…。
  赤ちゃんのように泣く子どもと、話すきっかけを作ったり、「じゃあ、お父さんの意見も聞いてみようよ」とか、子どもも要求を訴える相手を新たに考えてみようとか、子どもと向き合う場面を作ることが、親って苦手なのだと思います。でも、子どもはそうしたことを通じて、自分を見つめる機会を作ります。
  実はこれって、子どもの権利の実質を考えることでもあります。大人と子どもの関わりのあり方は、成長の過程によってみな違います。これまで成長・発達権を内容としていた子どもの権利は、いま、様々な人との関わりをもてることを保障することへと権利の内容を深めています(子どもの権利条約)。憲法の権利は、日常や生活の中でどんなふうに活きているのかまた活かされるものか、子ども期の中でしっかり考える機会が必要と思います。
  近所の会館に集まってる4、5人の子どもたちのしばしの会話、聞くともなしに聞こえてき。うちの親、てんでオレの言うこと聞いてねえんだよなぁ。ウチもそうだよ。オレッチだってちゃんと考えてんだからさぁ、聞けってんだよ。親って、そんなもんさ…。「大人問題」をシビアに見つめる子どもが、声を出しはじめると何かが変わりはじめそうな気もします。教育として、学校でこうした声をひろいつつ、考えあうことがいま重要に思います。

 なんだかんだといって、子どもを試したがる大人や義務や服従が好きな大人たち、世間を気にする大人たち。子どもからすると困ったものかもしれません。
  困った大人社会を考える機会は、子どもが自由に大人を見つめられること。つまり、大人社会を肌で感じることです。身近な大人は、まずは親や先生や近所のおっちゃんおばちゃん。大人と子どもが平らな関係になって、ひらたいあいだがらから考えはじめる子どもは、大人社会を見つめながら、意外に自分のことや他の人間のことも考えるようになるんです。そんな機会と力を信じながら、学校はもっと子どもをサポートしてほしいものです。
  「先生は、君のことを思って言ってるんだ」、自分のことを職業名を主語にしで呼ぶのは、何だかやっぱりえらそうである。あと、「お母さんはね、…」「オトウサンも…」とか言うあたりは、似たような「仕事」をしてるからかもしれませんね。

 急にナンですが、「権利」ということばは、Righitsの翻訳で、意外に歴史は浅いんです。Righitsの語源のひとつはsure、うん、うん、そうですねぇ、といった相づちや承認のたぐいです。それは、相手と対等な関係を基礎にしたものですし、そうしたことで成り立つ概念と考えることもできます。
  権利を言う人間にあまりいい人はいなさそうだってイメージがありますが、生活や人間性、あるいは子ども期でも、何かしらそうしたものを奪われる者の抵抗の根拠となる一面もあります。だから、「はなしあい」が大切になります。もともと、権利はお互いを人として尊重し合うことからはじまる、シンプルなものともいえます。
  子どもの権利の核心の一つに、子どもの権利条約の3条「子どもの最善の利益の保障」があります。そのthe best interest of childという原文の訳について、あるとき中学生が自分が勉強したinterestの知識を使って「いちばん興味、関心のあること」としました。教育学者の大田暁先生も、その子その子にとっていちばんのことを大切にするとしています。その子は、学校で学んだ知識を活かしつつ、条約の核心に迫ったことになります。子どもの権利の学びは、身近なことから可能なのです。
  国際条約、憲法、その基本的権利保障のあり方をどう学ぶか、知恵を出し合うのは大人の問題かもしれません。

 たとえば、「子供」か「子ども」か?「こども」?はたまた「児童」かとか、自分たちの呼称が国会で議論されたこと等を知ることで、子どもの自身の議論が社会と密接なものになります。1994年、国連子どもの権利条約を日本が批准する時でした。子どもは「保護の客体」という従前の子ども観を示した「子供」という言葉に対し、「権利の主体」としての新たな意味を吹き込みたいとして「子ども」という表現で条約の批准運動が行われていました。政府は、法律用語としては「児童」だとして「児童の権利に関する条約」にすべきと譲りません。でも、休日法の5月5日にちゃんと法の用語としてありました。「こどもの日」と。でも、戦後すぐに成立した休日法、子供の日でなく、なぜ「こどもの日」としたのでしょうね。戦争という歴史を背景にしていることを学べます。

 子どもは敏感です。子どもたちは、五感を端緒に「大人問題」から子どもの権利を学ぶ機会があればしっかり悩み、考え込むことでしょう。権利の根源としての「いのち」「生きる」、それは平和と幸福の基礎ですし、憲法の求めるところと思います。子どもの権利に関する学びは、憲法実践とも言えます。
  権利の学びは、自分を見つめる機会であり、他者を考える機会でもあります。大人と子どもが互いの関わりのなかで積み重ねる、子どもの権利の学びの実践は、自分たちが生きる未来社会の構想(おとなと子どもの関係のあり方や、人と社会の関わりのあり方等)を立てることにもつながるでしょう。子どもの権利にかかわる学びのトレーニング、いま教育(学校)、大人が試されているのです。
 
【佐々木光明(ささきみつあき)さんのプロフィール】

神戸学院大学法学部教授 刑事法・少年司法