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「個人の尊重」を伝える−「何かを大切に思う気持ちに違いはないこと」(その1)
2010年11月1日
神坪浩喜さん(仙台弁護士会法教育検討特別委員会副委員長)
 

 私は、弁護士として法教育活動に携わるようになってから6年くらいになります。法教育とは、一般市民、特に子どもを対象として、個人の尊重を基底とした法の原理原則(正義、公平、立憲主義、無罪推定原則等)をふまえ、法的なものの見方・考え方ができ、主権者として民主主義社会に参画できるような自立した個人の育成を目指す教育です。私が考える法教育の目標を一言で言えば、憲法が最高の価値をおく「個人の尊重」の理念を子どもたちの心に浸透させていくことです。

 「個人の尊重」とは、一人ひとりをかけがえのない存在として大切にするということです。一人ひとりをかけがえのない存在として大切にするということは、人を人として大切にするということであり、誰もが、国家や力の強い者、多数者から、何かの目的のための道具や手段、モノ扱いをされないということです。

 「一人ひとり」には、他者のみならず、自分も含まれます。だから自分も大切にし、他者も大切にするということです。一人ひとりの人、誰もがこの世に意味があって生まれてきています。ぞんざいに扱われてよい命なんてどこにもありません。どの命も大切な命です。そして、誰もが、一人の人間として、自由に自分の幸せを求めて生きていけることが保障されなければなりません。

 ところが、実際のところ、日本の現代社会においては、自由に自分らしく生きることは、なかなか難しいのではないでしょうか。憲法が保障する「幸福追求権」が、きちんと保障されているとは言い難いのではないでしょうか。競争社会で、いつも人と比べられて、人に勝たなければいけない、人より優位にたたなければいけないと追い立てられているようです。また、多様な価値観を受け入れることがなかなかできずに、自分とは異なる考え方の人や少数派の人々への理解が不足しているように感じます。どこか、多くの人々が自分を守ることで精一杯で余裕がなく、他者に寛容であることが難しい世の中であるような気がしています。

 私は、幸せの前提は、人として大切に扱われることであり、人と争わずに温かくつながることだと思います。その上で、自分が自分らしく自由に生きるということです。きっと誰もが、人として大切に扱われたい、そしてできることならば、人とは争わずに温かくつながりたいと思っているのではないでしょうか。そして、型にはめられた幸せではなく、自分らしく自由に生きてみたいと心の底では誰もが思っているのではないでしょうか。

 私は、仙台弁護士会の人権擁護委員会に所属しているのですが、そこでは、刑務所受刑者からの処遇に関する人権救済申立が多数よせられています。その申立ての背後には、「自分を人として扱ってくれない」というような哀しみをよく感じます。また、弁護士の仕事をして、人と人との紛争の中に身をおいてみると、多くの紛争の背景には、相手が自分を人として大切に扱われなかったことについての相手への怒りや哀しみがあることをよく感じます。

 人は、誰かから、人として大切にされず、モノや何かの道具・手段として軽く扱われたとき、深く心を痛めるものです。また、自分の意見を全く聞いてもらえず、無視され、一方的に何かを押しつけられたとき、哀しみや怒りを感じます。そして、自分をモノとして扱った国家や集団、誰かを恨んだり、反発したり、攻撃したりしてしまいます。そういったことが蔓延するとギスギスした乾いた社会になるでしょう。そうなると攻撃的で、不寛容で、些細なことでお互いに責め合う社会になってしまうのではないでしょうか。

 逆に、誰かから、人として、自分のありのままの存在を大切にされたとき、人は、とても深い喜びを感じますよね。大切にしてくれた人のことは、きっと自分も大切にしようと思いますし、感謝の気持ちを抱き、信頼もするでしょう。お互いがお互いを人として大切にする社会は、信頼を基底にする社会であり、他者という存在は、攻撃したり、利用したりする対象ではなく助け合うもの、支え合う対象として捉えられ、優しく寛容な社会になるのではないでしょうか。

 信頼と寛容をベースにする社会、自分も他者も人として大切にする社会になるためには一体どうすればいいのでしょうか。

 まずは当然のことながら「人を人として大切にする」という意識を一人ひとりに浸透させることが重要です。人を何かの手段や道具にしてはならないことを伝えることが必要です。そしてさらに、それを実践するためには、次の二つのことを押さえておく必要があると思います。

 一つは、人はそれぞれ違っているということです。

 誰もが生まれたときから違っています。誰一人としてこの世に同じ人はいません。誰もが違って、この世に唯一のかけがえのない人なのです。生まれてきた環境、何が好きか、何が得意なのか、何を大切にしているのかは、人それぞれです。みんな違っています。

 それからもう一つは、人は誰もが「自分フィルター」を通して世の中を見ているということです。自分は、どんなに客観的に物事を見ていると思っていても、それはあくまで自分が選んだ情報をもとに、自分の価値観を通して、事実を認識し評価しているのです。あくまで自分個人の「主観的な」ものの見方・考え方であり、自分は「偏っているかもしれない」、「間違っているかも知れない」ということを踏まえておかなければなりません。

 ところが、つい人は、自分が思っているように人も思うべきだ、自分は正しい、間違っているのは相手の方だと思ってしまいがちなのですね。自分中心に物事を考えてしまいがちなのです。

 特に、自分の考え方が多数派である場合には、自分達の考えとは違う少数派の考え方については、「異質だ」「変わっている」「常識ではない」等と思って、なかなか理解できないものです。

 それぞれが「自分が正しい。相手が間違っている。」と一旦思いこんでしまうと、ぶつかりあって、反発し合い、共に同じ社会で暮らしていくことは難しくなってしまうでしょう。

 ですから、「人はそれぞれ違っていること」そして「人は物事を自分フィルターを通して見ていること」この二つのことをまず押さえておかないと「人を人として大切にする」ということは、困難なことではないかなと思っています。

 そして、これは、なかなか普段暮らしていく中では、会得しにくいものです。だからこそ体験的な「教育」によって伝えていく必要があるのです。人を人として大切にするために大切なことは、自分の考えを絶対視せず、他者の意見を鵜呑みにすることなく、常に自分の頭で考え続けるということです。政府や偉い誰か、メディアが、言っているからといって鵜呑みにはしないこと、思考停止しないことです。参考にはしても、自分の頭で「それは本当にそうなのかな?」と考え続けなければ、情報を提供する側が意図するまま、考え方を操作されることにもなりかねないのです。

 他方で、弱い立場の人、少数の人、自分とは正反対の他者の意見や価値観も尊重にするということです。尊重するとは、自分と考え方や価値観の違う誰かの意見を、排斥したり、無視したり自分の考えを押しつけたりすることなく、受けとめるということです。

【つづく】

 
【神坪浩喜(かみつぼ ひろき)さんのプロフィール】

1968年 福岡県北九州市生まれ 東北大学法学部卒
2000年 仙台市で弁護士登録
2005年 あやめ法律事務所開設
仙台弁護士会法教育検討特別委員会副委員長、日弁連市民のための法教育委員会副委員長、仙台簡易裁判所民事調停官
「個人の尊重」を世に広めるべく、法教育活動を実践し、「法と幸せ」をテーマにしたメールマガジンを配信している。