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教科書では分からない公害根絶の闘い 〜イタイイタイ病闘争の歴史と未来
2010年12月27日
坂本 義夫さん(弁護士・イタイイタイ病弁護団)
 

はじめに

 日本の義務教育では,全国どこでも間違いなく,イタイイタイ病を生徒に教えている。イタイイタイ病は,富山県の神通川流域で発生した骨が柔らかくなって折れてしまう病気であり,患者が「いたい,いたい」と言って死んでいくことから,その名がつけられた。原因物質は,神通川上流の神岡鉱山(三井金属)から流出したカドミウムである。水俣病,新潟水俣病,四日市ぜんそくと並ぶ4大公害病の一つであり,1971年6月30日,4大公害訴訟の中で最初に原告勝訴を勝ち取ったのはイタイイタイ病訴訟であった。以上が,学校の教科書や参考書に書かれるイタイイタイ病の概要である。
  しかし,これだけでは,イタイイタイ病の実態やこれを克服してきた住民らの闘いの歴史は,99%分からない。確かに,訴訟に勝利したことは画期であり,これなくして公害克服の歴史はなかったであろう。しかし,訴訟に勝利するまでの挫折を含む闘いの歴史と,勝訴判決後の闘いの経験こそ,知ってもらいたいと思う。
  私の所属するイタイイタイ病弁護団では,2003年から2004年にかけて,イタイイタイ病闘争の中心メンバーである元原告らから,過去の闘いの歴史を聞き取り,その証言集の出版を準備している。本稿では,公害に関する教育の一助になればとの思いから,聴き取った話の一端をご紹介したい。

イタイイタイ病の病態

 イタイイタイ病の最初の発生は大正時代であると言われている。昭和初期には多数の患者が発生しており,専ら中高年女性に発症することや骨がもろくなること等,類例を見ない病であり,治療方法もなかったため,「業病」だと恐れられた。イタイイタイ病で母を亡くした元原告は,幼少の頃から隣近所で発生する患者を見て,人はみな骨が折れて歩けなくなり寝たきりとなって死んでいくものなのだと思っていたと,証言している。
  患者の中には,全身72カ所を骨折し,大腿骨や下腿骨があらぬ方向にグニャグニャと折れ曲がった女性もいた。息をすれば肋骨が痛み,布団の重さで痛みを感じるため,こたつのようにやぐらを組んで布団を直接体に乗せないようにしていた患者もあった。このような悲惨な病気が,原因不明の「業病」だとされて救済の手立てもなく発生から40年間にわたり放置された。

闘いの相手は三井金属だけではなかった

 戦後,地元の開業医が,多発するこの病気について他の研究者と共同で調査・研究を行い,1961年ようやくカドミウムが原因の病気であることが突き止められた。「業病」の原因を知った住民らは,敗訴すれば戸籍をたたんで地元を去る覚悟で,「天下の三井」と闘うことを決意した。
  被告は三井金属鉱業株式会社である。しかし,この闘いの相手は,三井だけではなかった。
  まず,地元住民との闘いがあった。訴訟を提起することはすなわち,神通川流域の米がカドミウムに汚染されていることを原告自らが宣言するようなものである。そのため地元では訴訟推進派と否定派とが対立し,その克服が課題となった。
  また,行政特に富山県との闘いも必要であった。県は終始イタイイタイ病救済に後ろ向きであった。例えば県は,地元婦中町が被害住民団体への財政的支援を打ち出した際、これを違法な支出であると述べて横やりを入れたり,環境庁がイタイイタイ病の原因をカドミウムであると発表した後もなお原因ははっきりしないとの立場をとったりした。

勝訴判決後の40年にわたる闘い

 数多ある公害闘争の中でイタイイタイ病闘争が突出しているのは,判決後の闘いである。
  1972年8月9日控訴審で完全勝訴判決を勝ち取るや,原告団,弁護団,支援団体は,その翌日,三井金属本社において11時間に及ぶ直接交渉を行い,その後の運動の基礎となる誓約書と協定書を取り交わした。第1はイタイイタイ病認定患者に対する慰謝料や治療費等の支払いに関する誓約書,第2は汚染土壌の復元に関する誓約書,第3は被害住民らによるカドミウム発生源(神岡鉱山)への立入調査を認める協定書である。
  その後40年間,被害地域住民は,イタイイタイ病患者救済,汚染土壌復元,発生源対策事業のために奔走してきたが,特に述べておきたいのは,発生源対策事業である。
  イタイイタイ病の被害地域住民は,毎年1回,弁護団や協力科学者らとともに100人以上の規模で,神岡鉱業(神岡鉱山)に立入調査を行っている。同調査では,亜鉛や鉛の製造工程を実際に見て公害防止対策を監視し,最後の総括質疑において住民側の要求を突きつけ回答を求めている。このような発生源監視活動が40年にわたって継続されているのである。
  住民側と神岡鉱業側との間では,行政が定める環境基準をクリアするかどうかというレベルの話はとうの昔に克服され,今では「無公害企業」を目指すことで目標が一致している。これにより神岡鉱業からのカドミウム排出量は激減し,今や,神通川下流域(富山市)のカドミウム濃度は,自然界値とほぼ同等にまで改善されている。

残された課題

 しかし,課題はまだ残されている。
  神岡鉱業の工場敷地地下には,かつての操業で染み込んだカドミウムが80トンも存在すると試算されている。廃さいを捨ててきた堆積場にも,莫大な量のカドミウムが堆積している。また,神通川に3つあるダムの底にも,大量のカドミウムを含む土砂・ヘドロが堆積している。このほか,廃坑後の坑道をどう管理するのかといった問題も残っており,発生源対策事業に終わりはまだ見えない。

解決までに多大な労力と時間がかかる公害問題

 2011年,ようやく汚染土壌復元が完了する。カドミウム濃度がほぼ自然界値にまで戻ったためイタイイタイ病患者の発生も今後10年程度だと見込まれる。
  しかし,発生源対策事業は今後も続く。
  イタイイタイ病の発生から原因究明までに40年,原因究明から汚染土壌復元までに50年を要した。上流にカドミウムがある限り,今後,数十年あるいは100年のスパンで監視を続けなければならないであろう。イタイイタイ病は,被害地域住民にも,加害企業にも,長期にわたる重い課題と責任を負わせているのである。

 
【坂本義夫(さかもとよしお)さんのプロフィール】
弁護士。イタイイタイ病弁護団。イタイイタイ病の証言集作りや出し平ダム訴訟など、環境問題や補償問題に取り組んでいる。