教員が集う 中高生のための映像教室 『憲法を観る』
 
 
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憲法の精神を理解させるひとつの試み
2011年2月7日
諸根貞夫さん(龍谷大学法科大学院教授)
 

 現在、私は法科大学院で憲法を教えていますが、かつて大学に教養部があった頃、18、9歳の学生たちに法学を教えていたことがあります。
  学生との演習の時間に、「君たちは、今まで高校や中学で学校の校則というものに接してきたと思うが、校則とはどんなものだと感じてきたの」という質問をしたことを覚えています。答えを聞いていると、多くの学生にとって、校則とは彼らを「拘束」するものであるという印象が一般的のようでした。そこで、演習では、ルールとは何か、何のために必要か等について考えてみようということにしました。以下、演習で私が喋ったことや討論の内容を簡潔に記してみたいと思います。
  世の中にはいろいろな人がいて、いろんな主張をするから、いろんなもめ事が起こる。もめ事のない社会は、聖人君子が住む社会か、あるいはごく少数の人がすべてを取り仕切る社会だろう。前者は理想郷かもしれないがおよそ現実的でないだろうし、後者は息苦しい自由のない社会であろう。むしろ、もめ事のある社会の方が健全だと考えるべきではないか。重要なのは、そのもめ事の合理的な解決方法を見出すことではないか。
  そして討論を促すため、次のような例をあげました。ここに子どもたちが自由に遊べる児童公園がある。その一角にブランコがあり、今、太郎君がそれにのっている。そこに花子ちゃんが来て、太郎君に「ブランコにのせて」と言った。太郎君が譲ればもめ事は生じない。ところが太郎君が花子ちゃんの言うことを聞かないと、そこにもめ事が生じる。この場合、どのような解決方法が考えられるか、と学生に問いかけました。
  いろいろとおもしろい意見が出ましたが、それらの意見を私は次のように要約しました。
  (1)お互いが力ずくで決着をつければ良い(これももめ事を「解決」する方法でしょう)。(2)公園に来ている大人に訴えて太郎君を説得してもらう。(3)公園で遊ぶ子どもたちが前もってブランコについての約束事をみんなで決めておく。
  そのうえで、それぞれのメリットとデメリットを話しあいました。その結果、さまざまな見解が示されました。(1)の方法は手っ取り早い解決方法だが、それぞれの力の強弱によって結果が左右されてしまい、それぞれの主張の妥当性について何ら考慮されない欠点がある。弱肉強食の論理である。(2)の方法では、一応利害関係人にその主張を表明する機会は与えられており(1)のような欠点はカバーされるが、その大人が一方に肩入れした判断をしてしまうと、公平公正な結果が得られない欠点がある。(3)の方法は、一定の約束事(ルール)に従ってブランコにのる順番を決めるということであれば、その限りではブランコを、力の強い一人の者に独占させない合理的な方法である。しかし、その約束事が一部の者の意見しか反映していないものであると、かえってその者たちの言い分を正当化するために使われる危険がある(支配の正当化)。
  ところで、人類の歴史が、(1)から(3)の方向で展開してきたとは必ずしも言えません。しかし、少なくとも(3)の方法が、相対的に合理的な解決方法であることは経験上も明らかでしょう。この演習の最終獲得目標は、法の支配(rule of law)や近代立憲主義が力の強い者(権力者)を拘束して弱い者(市民)を擁護するという本質を考えさせることにありました。学生たちは、ルールの本質(あるべき姿)が弱い者を守るためにあるということを理解したはずです。みんなが参加して決めた納得のいくルールがあれば、力の弱い花子ちゃん(今ここで、女性を力の弱い者という形で想定することの是非は問わないで下さい)は、太郎君の横暴を押さえてブランコにのる順番を主張できるのですから。ルールを持つことの意味、さらには憲法を持つことの意味を「論理的に」考える手掛かりになれば、演習の成果はあったと考えています。そして演習では、このことを「歴史的に」考えることを次の課題にして、市民革命などの意義について学習することにしました。
  以上は私のささやかな経験の紹介です。憲法が、権力者を縛り市民を擁護するものであるという至極単純ではあるが重要なことを、粘り強くかつ分かりやすく教えていく営みの必要性がますます大事になっているように思います。

 
【諸根貞夫(もろね さだお)さんのプロフィール】
1950年2月生まれ。早稲田大学大学院法学研究科公法学専攻博士課程を修了後、愛媛大学教授等を経て、現在、龍谷大学法科大学院教授。