教員が集う 中高生のための映像教室 『憲法を観る』
 
 
トップページ 憲法教育を考える 社会の主人公として生きるために=市民性の教育と憲法教育
 
社会の主人公として生きるために=市民性の教育と憲法教育
2011年2月28日
佐藤学さん(東京大学大学院教育学研究科教授)
 

 世界各国で「市民性(シティズンシップ)の教育」が、学校教育の中心目的の一つになっています。「市民性の教育」とは何かということに答えるのは簡単ではないのですが、私は「主権者の教育」と「公共倫理の教育」と「葛藤(紛争)解決の教育」の三つの柱で「市民性の教育」を提唱しています。
  「市民性の教育」は、現在、どの国もカリキュラムの中心に位置づけています。グローバル化が進行する現代において、民主的な市民社会を建設すること、公共的なモラルや倫理を確立すること、そして戦争や暴力のない社会をつくることは、どの国においても人々が幸福な人生を生きる上で最も重要な事柄です。しかし、残念なことに、日本の学習指導要領には未だに「市民性の教育」が導入されていません。「国際理解」や「愛国心」は記されていますが、「多文化教育」も「格差リスク社会の教育」も「市民性の教育」と同様、カリキュラムの中に正統に位置づいてないのが現状です。もちろん、日本だけが国際的な動向から孤立することは考えられないでしょうから、次の学習指導要領では確実にこれらの文言が盛り込まれることになるでしょう。私たちは、しかし10年間も足踏み状態を続けるわけにはいきません。「市民性の教育」をできるところから実践してゆく必要があります。
  世界各国の「市民性の教育」の内容を調査すると、どの国もその中心に「立憲主義の教育」を掲げています。「立憲主義の教育」というのは、わかりやすく言うと、憲法教育であり、憲法の根本原理の教育を意味しています。憲法は、市民の人権を国家と社会が保障するという「社会契約」によって成り立っています。その「社会契約」のことを「立憲主義」と呼んでいます。つまり、憲法は、人々が暴力や抑圧や差別や貧困から解放されて自由に幸福に生きる権利を保障するために、国家権力に縛りをかけ権力を統制する「社会契約」として成立しています。一人ひとりが「主人公」になることの国家との「社会契約」なのです。国家と社会は、この約束をはたす責任をおっているのです。
  憲法の精神を教育に生かすために、2年前に呼びかけ人となって「教育子育て九条の会」を組織し、活動を展開してきました。目的は「一人残らず子どもの学ぶ権利を保障すること」「幼稚園や学校を民主的な組織に改革すること」そして「平和と民主主義を確立する教育を推進すること」です。憲法は第26条に「教育を受ける権利」を掲げています。人は誰もが学ぶ権利を持っています。その自由を侵害することは許されません。この学ぶ権利は、第25条の「健康で文化的な生活」を保障する生存権と一緒に憲法草案に盛り込まれました。さらにこの教育権(学習権)と生存権は、第13条の「幸福追求の権利」と結びついて理解される必要があります。この第13条と第25条と第26条のつながりを私は、こう解釈しています。教育の目的は人々の幸福の追求にあり、この目的を達成するためには生存権の一部としての学習する権利が、どの国民にも等しく保障されなければならないと。この「社会契約」を国家と社会が十全にはたすことを私たちは要求する必要があるのです。権利は天から与えられたものではありません。権利は人々の努力と闘いによって獲得するものです。この努力と闘いがなければ、民主主義の社会も平和な世界も築くことは不可能です。「立憲主義」は、そのことを私たちに示しています。
  ひるがえって、日本の教育の現状はどうでしょうか。日本社会は経済格差が拡大し、今や学齢児童の17%が貧困家庭で育っています。この現状は先進諸国の中でアメリカと並んで最悪の状態です。しかも日本の教育費の負担は世界一高くなっています。多くの中学生や高校生が上級の学校に進学するのを断念するか、あるいは経済的事情によって中途退学しています。若い人々の就職難も深刻です。高校を卒業し大学を卒業しても多くの若者が社会参加を拒まれ、非正規雇用という恐ろしく不安定で低賃金の条件で働かされています。学校も厳しい状態です。ますます教師の仕事の負担は増え、給与は削られ、教師が専門家として学び成長する条件も劣悪化しています。子どもも教師も校長も点数や数値目標の達成度でランキングされる「査定社会」のなかで競争に駆り立てられ、息苦しい日々をおくっています。「民主主義の社会」の建設を使命としている学校が、民主主義からもっとも隔たった管理組織へと転落しています。こういう状態が続けば、ますます人々は社会と政治と教育に不信を抱き、ますます衆愚政治の混沌とした野蛮な社会になるだけでしょう。
  もし、中学生、高校生のみなさんが、自分の人生をより幸福なものとし、この社会をよりまっとうな社会にし、一人残らず幸福追求の権利と健康で文化的な生活を営む権利と学び続ける権利を実現する社会を望むならば、どうか憲法の「立憲主義」の精神を学び、そして「市民性の教育」を自らの学びにしていただきたいと思います。私たちは、教師や市民と連帯して、そのような子どもたちや生徒たちの学びを支援し続けて行きます。

 
【佐藤 学(さとう まなぶ)さんのプロフィール】
東京大学大学院教育学研究科教授、日本学術会議会員、日本教育学会前会長 教育子育て9条の会事務局長 主な著書『教育改革をデザインする』(岩波書店)『学校の挑戦―学びの共同体を創る』(小学館)『教師花伝書』(小学館)など。