教員が集う 中高生のための映像教室 『憲法を観る』
 
 
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◎歴史を学び、「どこから来たか」を考えること
中学・高校でのメディアリテラシー教育 −憲法理念を踏まえて
2011年5月2日
丸山重威さん(関東学院大学教授)
 

 新入生を対象にした授業をしながら、痛切に思うのは、いま大学生になってくる学生が、日本の近現代史についての知識や感覚が恐ろしく乏しいということだ。
  明治維新の中で近代化した日本は、アジアの権益をめぐって日清、日露の戦争を戦い、台湾や朝鮮を植民地にし、大日本帝国憲法を決めて「富国強兵」に走った。昭和になって、柳条湖事件(満州事変)を経て本格的に中国に進出し、真珠湾を攻撃して太平洋戦争を戦った。大空襲や沖縄の占領、広島、長崎への原爆投下の結果、日本は無条件降伏し、新しい日本が生まれた。国民主権、基本的人権の尊重、戦争放棄の平和主義という日本国憲法の精神は、その歴史的経験から、日本の在り方を考えて決められたことなんだよ…。
  年表を見せながら、そんな話をしても、この流れ自体がよくつかめず、12月8日と8月15日を混同したりする。戦後の東西対立とか、朝鮮戦争、ベトナム戦争となると、その問題がいつごろのことで、どの辺に位置づけられるのかはわからない。
  もちろん、ことし入ってきた学生でいえば、生まれは既に1990年代。イラクのクウェート侵攻(1990年)や湾岸戦争(1991年)のときに、生まれていたかいないか、という世代だから、同世代を生きてきた私たちと違うことは当然だが、いま世の中で起きていることを理解し、憲法理念に沿ってこれからの日本をどうしていくかを考えさせようとするとき、この歴史的感覚のなさは、決定的なように思う。
  つまり、どんなものごとにも、依って来たる歴史があり周囲の環境があって、事件が起きたり新しい状況が生まれる、という「事実」がある。そして私たち自身、長い人類の歴史の中で、日本という小さな島国に生まれ、生活し、文化をつくり、それを、後世につないでいく存在なのだ、という「事実」がある。
  そんなことを確認し、自分の存在を自覚することが、学問や社会的活動の基礎に必要だと思うのだが、どうも中学、高校でそんなことを考えた学生は多くはないらしいのだ。

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  「メディアリテラシー」というと、新聞や放送のニュースをよく読み、よく聞いて、批判的に読み解き、理解し、行動のための材料にするための情報処理能力、情報識別テクニックのように受け取られている。しかし、これも難しいことではなく、実は何かの情報を受け取ったとき、「ほんとかな?」「どういうことかな?」とちょっと首をかしげる一種の生活感覚と、それ以前に持っている基礎的知識に負うことが多いのではないだろうか。
そして、まず要求されるのは、そのための社会的訓練、つまり、新聞を読み、テレビのニュースやドキュメンタリーで、世界の動き、社会の動きに関心を持つ姿勢だ。大学の授業にしても、その授業の意味を理解できなかったら、どうにもならないだろう。
  「北朝鮮なんかおかしいんだから、やっつけちゃえばいい」「原発やめるなんて無理なんでしょう? そんなこと言い続けるのはKYですよ」「マスコミって広告に支配されてるからウソを平気で書くんですね」…。
  「ワン・フレーズ・ポリティクス」の時代を過ぎ、「ツイッター」が「世論」をつくっていきかねない時代になって、少なくとも「事実」に基づいて、問題を筋道に沿ってそれなりに論理的に考えるという、基礎的な思考を避ける傾向が強まっていると感じている。
  メディアの情報を、批判的に読んで考えるどころではない。あまり論理的でもない世の中の「空気」を受け止め、その乱暴な主張にそのまま乗って、思考停止してしまう。自分の感覚と違う「異論」を受け入れる「場」を持たず、どう説明しても受け入れようとしない。憲法でいえば、「どうせ先生は護憲派なんでしょう?」と片づけ、「憲法って、みんな変えた方がいいって言ってるじゃないですか」と反論する。
  そんな学生もいつの間にか生まれているらしいのだが、悩ましいのは、恐らく彼らを落第させて済む話ではない、ということである。

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  いま、改めて取り戻さなければならないのは、問題を筋道を立てて、ひとつひとつ突き詰めて考える姿勢であり、全ての問題に「どこから来たか」を探求しようとする姿勢ではないだろうか。
  日本国憲法の諸原則も、地震・津波でも、原発でも、あるいはアラブの革命でも、具体的な出来事を拾っていけば、いくつでも具体的に教え、考えさせることができるはずだ。うるさいくらい繰り返して、「どこから来たか」を考えさせ、「憲法で考える姿勢」をたたき込むしかない。
  「大学全入時代」といわれる現在、大学教育はまずここから始めないといけないだろう。同時に、中学・高校時代から、常に「どこから来たか」を考える姿勢を育むこと。歴史の中で、世界の中で自分を考える。いま、求められているのは、そのことではないだろうか。

 
【丸山重威(まるやま しげたけ)さんのプロフィール】
関東学院大学教授・ 日本ジャーナリスト会議、ジャーナリズム論など。
主な編著 『新聞は憲法を捨てていいのか』 (新日本出版社、2006年)、『民主党政権下の日米安保』(花伝社、2011年)ほか。