教員が集う 中高生のための映像教室 『憲法を観る』
 
 
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「大震災と憲法」に憲法教育はどう向き合うべきか
2011年5月30日
前原清隆さん(日本福祉大学教授)
 

 子ども発達学部所属ということもあり、ゴールデンウィーク前の授業では、5月5日(こどもの日)の社説に注目するよう学生に注文した。「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかる」とされる日にあたって、このたびの東日本大震災によって命を落とした子どもたちや、親、兄弟、友だちを失った子どもたち、さらに原発災害によって学びと育ちの空間も時間も仲間も奪われた子どもたちに各紙とも思いを寄せずにはいないであろう(さらに今年は1951年5月5日に児童憲章が制定されてから60周年の節目でもあったこともある)からである。
  当日の各紙のうちとくに注目したのは、「新しい文明を渡したい」というタイトルの毎日新聞の社説である。「こどもたちの未来について考える時、文明のあり方に思いを抱かざるをえない。東日本大震災とそれに続く原発事故によって、私たちの文明は根っこから揺さぶられているように思えるからだ。・・・・・築いてきた価値観も、見直すことが必要な時期かもしれない。今、新しい文明のあり方を構想することが求められており・・・・・」などと主張されていた。
  同様の指摘を雑誌『世界』6月号の編集後記もしていた。「ここで原発とはっきり訣別しなければ、私たちは世界の人びとと日本の若い世代、次の世代に申し訳が立たない。・・・いまにいたっても、原発を止めるのは非現実的という意見が跡を絶たない。福島の無人地帯を見、青空の下で子どもたちが遊べない現実を知って、なおかつそうなのか。この犠牲を払わせて成立する産業や生活とは何か。正気に戻ろう。」
  憲法教育はこうした問題提起にどのように向き合うべきであろうか。5月3日憲法記念日の社説の一部には、「大震災と憲法」について憲法改正による非常事態規定の創設や基本法の制定を主張するものもあったことは周知のとおりである。筆者にはしかしながら、そうした主張が「こどもたちの未来」や「新しい文明」という課題にこたえる方向とは思えない。
  ここで想起されるのが日本国憲法97条である。「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
  私たち現在の国民の人権が、過去および将来の国民との間の信託関係に位置づけられていることに注目したい。現在と過去との間の信託関係については多くを語るまでもないであろう。ここで強調したいのは、現在と将来との間の信託関係である。つまり私たち現在の世代による人権の享受は、将来の世代もまた人権を享受することを可能とするようなものでなくてはならないことを、憲法は求めているのではないだろうか。
  憲法25条の健康で文化的な「最低限度」の生活保障から、「仮にできるとしても、それ以上はみんなが慎まなければいけない資源の浪費をどう考えるのか。そういう文脈で・・・25条が発しているメッセージを、受け止めなおす必要」(樋口陽一)を示唆する見解もつとに提起されていた。
  原発に再び依存してまばゆい夜の街をとりもどすのか。それとも私たちのライフスタイルを見直すことで、未来の世代に負の遺産(「100,000年後の安全」!)をおしつける道に訣別して、外で遊び回る子どもたちの声をとりもどすのか。3.11大震災後の今、憲法教育が向き合うべきはこのことではないのだろうか?

 
【前原清隆(まえはら きよたか)さんのプロフィール】
日本福祉大学教授

著書・論文など
『憲法とそれぞれの人権』法律文化社、2010 年
『現代憲法における安全−比較憲法的研究をふまえて』日本評論社、2009年
『それぞれの人権(第3版)』法律文化社、2006年
『平和憲法を守ろう−講演会の記録』昭和堂印刷、2006年
『平和憲法を守ろう−被爆地市民の熱い思い』昭和堂印刷、2005年
「ドイツにおけるエコロジー憲法構想」『法律時報』2001年5月号
「資料で読む非核オーストリア憲法」『平和文化研究』第23集(2000年)
「未来の世代と憲法」長崎総合科学大学長崎平和文化研究所編『ナガサキの平和学』八朔社、1996年