教員が集う 中高生のための映像教室 『憲法を観る』
 
 
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ノーベル経済学賞受賞者も惑わす十七条「憲法」
―KenpoとConstitutionの関係―
2011年6月13日
斎藤一久さん(東京学芸大学准教授)
 

 昨年の秋に、研究滞在先であるフランクフルト大学(ゲーテ大学フランクフルト・アム・マイン)の講演会に参加しました。講演者は1998年にノーベル経済学賞を受賞し、公民の教科書にも人間の安全保障の提唱者として掲載されているアマルティア・セン(ハーバード大学教授)でした。当日は地元の社会哲学者ユルゲン・ハーバーマスを凌ぐほどの人気で、大学で最も大きな講堂が満席になり、急遽、隣の教室にライブ中継されるほどでした。
  センの講演題目は「正義とグローバルな世界」でしたが、その中でなんと十七条憲法についての言及があったのです。日本人の私としては大変喜ばしいことではあったのですが、講演内容を聞く限り、その紹介の仕方は残念ながら彼の誤解であることが分かりました。もっともセンのような誤解は日本人の中でもよくあることですので、今回をこれはネタにして、憲法教育について言及したいと思います。
  講演の中で、センは民主主義が世界各国で各々の歴史を背負った形で、多様な形で存在するという文脈で、604年に聖徳太子により定められた十七条憲法を紹介し、1215年のマグナカルタ(大憲章)よりも古い!との指摘をしたのです。皆さんはこのセンの見解をどう考えるでしょうか。
  憲法学からすれば、マグナカルタと十七条憲法を比較すること自体が間違いであると言わざるを得ません。周知の通り、マグナカルタは国王の権限を制限したものであり、十七条憲法は役人の心得に過ぎません。センの誤解は十七憲法の「憲法」を英語でConstitutionと訳していることから生じているものと思われます。西欧社会においてConstitutionとは国民と国家の間の社会契約として、国家機関の創設ないしその権限の制限を自ずと内包する言葉と捉えられており、それゆえセンがKenpo ではなく、Constitutionという言葉のイメージから、十七条憲法とマグナカルタを混同したこと自体は非難できないでしょう。寿司がSushiとして外国でも定着しているように、十七条憲法もKenpoとして広まっていれば、誤解の可能性はなかったかもしれません(もっとも「拳法」の方がすでに圧倒的に有名ですが)

ドイツ・フランクフルトのレーマー広場
正義の女神の像

  ところで、我々日本人の中には、センとは全く正反対の誤解をしている人々が多いのではないかと私は考えています。私の勤務する大学は小中高の教員養成大学ですが、担当する日本国憲法の履修条件として課した学生のレポートでは「社会に出たら憲法を守らないといけないんだ。学校のルールを守るのはその練習なんだよ」と教壇に立ったらぜひ教えたいという記述がありました。これは法律と同じように、国民は憲法を守らなければならないという発想ですが、道徳規範としての十七条憲法の世界にはあっても、国家権力の制限を目的とするConstitutionの世界にはない発想です。
  学生を弁護するわけではありませんが、この種の誤解は私の学生だけに限りません。民主党や自民党の憲法改正案においても、国民が従うべき規範としての憲法といった表現として現れています。また国民の間で行われる差別、いじめ、セクシャル・ハラスメント、そしてアルコール・ハラスメント、ストーカー行為も人権問題、そして憲法問題であると考える傾向(憲法学では、私人同士の問題は一先ず憲法の問題ではないと考えます)は、憲法が守るべき存在であり、その規範からの逸脱を非難する発想から生じていると言えるでしょう。
  誤解の原因の一つは、小学校で日本国憲法(Constitution)よりも先に十七条憲法(Kenpo)を学び、十七条憲法的発想で日本国憲法を捉えてしまっているからかもしれません。より実質的に考察すれば、日本人の法感覚として、法なるものついては強制、権力、権威といった一面的な理解しかない中、憲法についても法律と同じように「守らなければならない」と素朴に理解してしまっているということもあるでしょう。実際、小学校の教科書において、(発達段階に合わせた書き方なのかもしれませんが)日本国憲法を最高の「法律」と表現したり、「わたしたちは、憲法の定める権利を正しく行使し、義務を果たして、おたがいの権利を尊重する態度を身につけるよう努力しなければなりません」といったように、憲法・法・道徳の関係を誤解させるような記述も散見されます。さらに戦後憲法が「憲法を暮らしの中に」や「職場に憲法を」といったスローガンに象徴されるように、日常生活をめぐるあらゆる抑圧への抵抗の根拠として把握されることによって、国民に定着したという日本独特の憲法文化の影響も大きいものと考えます。
  以上のような日本人の憲法理解は、とりわけ憲法学から見れば明らかな誤りです。したがってグローバルスタンダードとしてのConstitution、すなわち立憲主義的な観点からの憲法の捉え方の共有が学校教育でも求められるべきでしょう。もっともすでに広範に広まっている誤解を解くのは意外に長く険しい道のりかもしれません。

 なお私の憲法教育論の詳細については、「法教育における憲法教育と憲法学―憲法学は非常識か?」法学セミナー662号(日本評論社、2010年)29頁、「法教育と規範意識」日本教育法学会年報39号(有斐閣、2010年)135頁を合わせてご参照頂ければ幸いです。またセンの講演は、フランクフルト大学のエクセレントクラスター(ドイツ版COE)「規範的秩序の形成」を参照ください。

 
【斎藤一久(さいとう かずひさ)さんのプロフィール】
東京学芸大学准教授(憲法学)
早稲田大学法学研究科博士後期課程退学。早稲田大学助手、日本学術振興会特別研究員を経て、2004年より現職。フランクフルト大学法学部客員研究員(2010-2011年)。
著書:工藤達朗編『よくわかる憲法』(ミネルヴァ書房、2006年)、大沢秀介他編『憲法.com』(成文堂、2010年)、姉崎洋一他編著『ガイドブック教育法』(三省堂、2009年)
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