教員が集う 中高生のための映像教室 『憲法を観る』
 
 
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条文の外に(も)ある憲法の世界
2011年7月4日
井口秀作さん(大東文化大学大学院法務研究科教授)
 

「憲法について知っていること」

 数年前の話であるが、ある大学で非常勤講師として憲法の集中講義をやることになり、その冒頭に15分ほど時間をとって、「何でもいいので日本の憲法について知っていることを書いて下さい」という自由記述のアンケートを実施したことがある。これに対して、圧倒的多数の回答は、「何も知らない」、「よくわからない」というものであった。この種のアンケートの回答は、学生の勉学意欲の強弱とも関連するので、これらの回答は、「まじめに答えていない」という程度に当時としては受け取った。実際、そういう側面があることは否定できないだろうが、改めて考え直すと、もう少し別の意味のあったようにも思われる。
  上記のアンケートに「まじめに」回答したものも少なからずあった。代表的なのは、「9条が戦争を放棄している」、「天皇は象徴である」という類のものである。これらは、要するに「憲法の条文に何が書かれているか」ということについて「知っていること」が書かれているのである。高校時代の政治・経済のテストや大学入試で、「『天皇は、日本国の(A)であり日本国民統合の(A)あった、この地位は(B)の存する日本国民の総意に基づく』の空欄(A)(B)に当てはまる語句を答えよ」という類の問題を解く訓練をしてきた学生たちからすれば、憲法の条文に書かれていることを、「憲法について知っていること」として回答することは、何の違和感もないであろう。他方で、試験のために覚えたものは試験が終わったら忘れてしまうということも、やむを得ない側面もある(自分のことを振り返っても)。大学に入学して、上記のようなテスト問題と悪戦苦闘することから解放された大学生が、入試のために覚えた憲法の条文など、きれいさっぱり忘れてしまうということは、それほどおかしなことではない。とすれば、上記の「何も知らない」、「よくわからない」というのは、そのことを指しており、その意味では、「まじめな回答」だったとも考えることができる。
  要するに、憲法の話は、憲法の条文で始まり、条文とともに消え去るのである(筆者は近年大学院の専任教員として学部の教育に携わっていないが、大学院に入学してくる、いわゆる「法学未修者」についても同じ傾向を感じている)。

条文の外にある憲法の世界

 日本国憲法の条文は103条まである。民法などに比べれば条文の数はずっと少ない。しかし、法学部の卒業生でも、相当勉強していないと知らない憲法の条文はいくらでもある。例えば、裁判官の受け取る「報酬は、在任中、これを減額することができない」(79条6項後段・80条2項後段)とする条文がある。この条文の文言だけに着目すれば、「ボーナスカットやリストラがある世の中で、こんな条文はおかしいだろう」とする反応が相当の割合で出てくることは、大凡想像がつく。ここに決定的に欠けているのは、なぜ、このような条文が存在するのかということを探求する精神である。この条文の存在理由を理解したときには、果たして簡単にこれを不合理な規定とすることができるであろうか。とすれば、そのような条文の背景を無視して、条文だけを学ぶということは、無意味なだけでなく、有害ですらある。実は、現に国会の審議の中でさえ、上記の裁判官の報酬に関する憲法規定は、不合理な規定として憲法改正が必要であることを論証する「証拠」とされているのである。
  日本国憲法には「職業選択の自由」を保障している条文がある(22条1項)。これも当たり前のことが書かれているようにも思えるが、それが当たり前ではないから、このような条文が存在するのである。まさに、親の職業によって子供の職業が決まるという社会が、日本でも相当長く存在した。つまり、職業が自由に選択できない社会である。生まれながらにして職業が決まっているとは、生まれながらにして人生が決まっているようなものである。そのような社会においては、子供に向かって「将来何になりたい?」と問うという、今では普通になされる質問が意味をなさないのである。そうだとすれば、職業選択の自由が保障されていることの意義がわかろう。他方で、それが条文として書かれただけでは意味がないことも容易に想像がつく。紙に条文として書いただけで、簡単に保障されるようなものであれば、条文として書く意味を少ないはずである。
  憲法はその条文を眺めて覚えるだけでは意味がない。条文の外にある憲法の世界にも目を向ける必要がある。

結局は、憲法の意味を問うこと

 条文の外にある憲法の世界に目を向けるということは、結局は、憲法の意味を問うことにつながる。憲法で規定されている条文が、なぜ、通常の法律ではなく憲法という形で存在するのか、ということが理解できなければ、憲法を学ぶ意義も半減するであろう。条文は重要である。しかし、条文の外にも学ぶべき憲法の世界があるのだということを理解してほしい。

 
【井口秀作(いぐち しゅうさく)さんのプロフィール】
1964年新潟県生まれ
一橋大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。大東文化大学大学院法務研究科教授。
  共著書『いまなぜ憲法改正国民投票法なのか』、論文「フランス型『立憲主義と民主主義』論の一側面」、「『国民投票法案』の批判的検討」、「『民主過程』をめぐる憲法学説」、「諮問的レファレンダムの可能性」等。