教員が集う 中高生のための映像教室 『憲法を観る』
 
 
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憲法教育は国家観教育である
2011年10月31日
成嶋 隆さん(新潟大学大学院実務法学研究科教授)
 

  憲法教育において教えられるべき内容が、特定の国家における所与の憲法典(日本でいえば現行日本国憲法)についての知識などではなく、それらの実定憲法の根底にある〈立憲主義〉という観念であることについては、おおかたの了解が得られています。そして、〈立憲主義〉とは、憲法により国家権力を拘束し、国民の権利・自由を保障するというコンセプトであることについても共通理解があります。〈立憲主義〉の観念が、〈民主主義〉の観念と親和的な関係に立つとする理解がある一方、両者は原理的に一定の緊張関係にあるとの指摘もあります。後者の見解は、いわゆる多数決民主主義のもとでの少数者の権利・自由の侵害という事態に着目し、多数者の意思によっても凌駕されるべきでない価値があることを主張するものです。いずれにせよ、憲法教育の究極目的は、学習者に〈立憲主義〉の観念を的確に習得させることにあるといってよいでしょう。
  上述のように〈立憲主義〉とは〈憲法による権力拘束〉を意味しますが、憲法教育においてこの観念の意義を教える際、私たちは一定の困難に直面します。それは、〈立憲主義〉の意味を〈憲法による権力拘束〉として理解させることにあるのではありません。このこと自体、つまり〈立憲主義〉の意味については比較的容易に説明することができます。問題はその先にあります。それは、なぜ(国家)権力は拘束されねばならないのか、についての説明の困難さです。
  現在の日本社会において、憲法教育の中心的な受け手である中高生は〈国家〉をどのようにとらえているでしょうか。かれらが〈日本国〉を意識するのは、たとえばオリンピックにおける日本選手のパフォーマンスや、マスコミ報道により伝えられる領土問題をめぐる〈日本国〉の対応などをとおしてです。これらの場面では、〈日本国〉はかれらにとって肯定的な存在であり、決して否定的・対立的な存在ではありません。とりわけ、東日本大震災後の日本社会を席捲する「日本は一つ」というキャンペーンは、中高生をして〈日本国〉はみずから積極的にコミットしていくべき存在としてイメージさせるに十分な効果を発揮しています。また、学校現場における「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱をめぐる紛争も、おおかたの中高生の眼には、〈社会通念〉をわきまえない一部教員の突飛な行動によるものと映じているかもしれません。このようなメンタリティが支配するなかで、憲法による国家権力拘束というコンセプトを理解させるのは至難の技です。現在の中高生にとって、〈国家〉は必ずしも〈拘束〉すべき存在ではないからです。
  憲法による権力拘束の必要性という〈立憲主義〉のレゾン・デートル(=存在理由)にかかわる事柄を正しく理解させるには、どのような教育のありかたが望ましいでしょうか。ポイントは、〈国民にとって国家は他者である〉ということを理解させることにあるように思われます。そして、このことを理解させるには、以前、本欄で山形大学の今野健一氏が指摘していたように、歴史的視点に立つことが決定的に重要となります。つまり、過去の歴史(世界史および日本史の双方)において、国家と国民とが基本的には対立関係にあったこと、そして、国家は時として誤った行動をとることを、具体的な史実に即して明らかにする必要があります。
  このことは、憲法教育に限らず、歴史教育・政治教育などの分野においても重要な視点です。なぜなら、これらの教育分野においては、侵略戦争や植民地支配という〈国家の過ち〉がメイン・テーマの一つとなっており、これらの歴史的事実の学習をとおして、〈国家〉の本質への理解が得られるからです。
  具体例を挙げましょう。一つは沖縄戦です。アジア・太平洋戦争のなかでも最も悲惨な戦闘であった沖縄戦は、帝国軍隊にとっては本土決戦を回避するための〈捨て石〉作戦でした。また、同戦闘において沖縄住民の4分の1が犠牲となったことや、軍の強制により〈集団自決〉が行われ、後にこの悲劇が不当に美化されたことなどは、今や常識に属しますが、これらの史実の学習をとおして、〈国家〉なるものの存在に対する冷徹な認識が獲得されうると思います。
  もう一つは、さきにも触れた「日の丸・君が代」です。これらの国家シンボルが過去の歴史において果たした役割や、それらが発するメッセージの意味などについて、今の学校ではまともな知識伝達がほとんどなされていません。たとえば、中国戦線におけるいわゆる「白兵戦」の場面で、帝国陸軍司令部が「日の丸」の小旗を銃剣の筒先に付けさせ、兵士たちにある種のマインド・コントロールをかけたという事実は、この旗がまさしく〈侵略の尖兵〉としての役割を果たしたことを伝えています。また、「国歌・君が代」については、その歌詞が明らかに天皇制の永続を祈願するという内容であり、国民主権を基本原理とする日本国憲法とは相容れないものであることも、きちんと教えられていません。この問題では、周知のように東京都における強制が最も突出しており、極めて深刻な問題状況を呈しています。いま東京では、多くの良心的な教師たちが、「日の丸・君が代」をめぐる上述のような〈負の側面〉がきちんと教えられないまま掲揚や斉唱が強制されていること、あるいは「日の丸・君が代」の強制により生徒参加の自主的・創造的な卒業式が不可能となったことに異議を唱え、数多くの裁判が提起されています。中高生がこうした教師たちの行動の意味を的確に理解しうるならば、かれらは「日の丸・君が代」というシンボルの意味、そしてこれらのシンボルの背後にある統治権力としての〈国家〉の本質を理解することができるはずです。そして、「日の丸・君が代」問題に象徴される〈国家〉の暴走に対し、憲法によって歯止めをかけることの必要性をも理解しうるでしょう。〈立憲主義〉の意義を的確に理解するためには、上述のようなプロセスをとおして、的確な〈国家観〉を確立することが必要です。その意味で、憲法教育とは国家観教育であり、「日の丸・君が代」問題はその格好の素材の一つといえるでしょう。

 
【成嶋 隆(なるしま たかし)さんのプロフィール】
1948年生まれ。一橋大学大学院法学研究科博士課程を修了し、1978年に新潟大学に赴任。現在、同大学大学院実務法学研究科教授。憲法・教育法専攻。著書(共著)に『教科書裁判と憲法学』(学陽書房・1990年)、『教育法学と子どもの人権』(三省堂・1998年)、『教育基本法改正批判』(日本評論社・2004年)など。