教員が集う 中高生のための映像教室 『憲法を観る』
 
 
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中学・高校での憲法教育・主権者育成に期待する
2011年11月28日
森英樹さん(名古屋大学名誉教授)
 

 中学・高校の学校教育では、「民法教育」とか「刑法教育」とかはほとんど話題にならないのに、「憲法教育」は一貫して重視されてきました。それは、この国が、1945年までの歴史を深刻に反省して日本国憲法を制定し、「民主的で文化的な国家を建設」する決意をしたとき、「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべき」と考えたからです(旧教育基本法前文)。天皇から国民への主権の転換、つまりお上が仕切って進める政治から、生身の諸個人が知恵も力も財源も出し合って作り動かしていく政治への転換は、この国がそうした歴史を知らなかっただけに、一朝一夕にはできない大事業でした。
  日本国憲法が公布されたとき、憲政の神様といわれた政治家・尾崎行雄(愕堂)は、新憲法の誕生を歓迎しつつも、「だが一方この憲法を運用する國民はどうであらうか。今日まで千年以上も奴隷的教育を受け、現在なほ奴隷的教育を受けつゝある國民は、この奴隷的頭をすっかり入れかへて、独立の人間の頭に作りかへた上でなければ、この新憲法の運用はとても出來ないと思ふ」と懸念していました。尾崎は「頭をつくりかへることはなかなか難しい」と診断し「本氣になってやっても、三代位はかゝる」と見定めていました(尾崎「新憲法の運用」1946年11月4日朝日新聞)。「三代」はおよそ90年、つまりざっと1世紀をはかかる大仕事と見通していたことになります。
  近代憲法の発祥は西洋近代の市民革命です。そこでは「私たちが主権者だ!」と叫ぶ「市民」たちが闘って主権を手に入れ、国民主権憲法を自ら制定した、という輝かしい歴史がありますが、日本の場合は、敗戦を契機とする複雑な国際関係の下で、多くの国民にとっては「主権者はきみだ!」と突然言われて受け取ったプレゼントという面がありました。もとより国民主権は、人々の幸福のために社会と政治を営んでいく仕組みとして、人類の歴史が生み出した知恵です。ですから日本の場合は、まず国民主権憲法が誕生し、それに導かれて主権者が育っていく、という手順で新しい歴史が作られる、はずでした。しかし尾崎が心配した以上にこの国の戦後史は屈折が続きましたから、憲法を制定し何回か選挙をすればささっと国民主権国家が出来上がるほど簡単な話ではなかったのです。
  国民が主権者だということは、さしあたりは、普通選挙権が保障され、選挙になれば妨害されることなく立候補したり投票したりできれば「実現」したことになる、と言えなくはありません。しかし「独立の人間の頭」で考え行動する主権者でなければ憲法の運用はできない、したがって選挙もまともに運用できない、という視点で点検してみると、政権交代まで至った最近の変化にさえ、「空気」の流れよう、「風」の吹き具合で票が動く面、すなわち、主権者が「独立の人間の頭」できっちり考えた結果とは言いがたい面がある、とは思いませんか?
  日本国憲法は、誕生にまつわる歴史的背景もあって、主権が転換したにもかかわらず旧主権者である天皇の地位と権能のことが憲法の冒頭第1章に置かれ、そのこともあって、戦争犯罪国家であった歴史からきっぱりと決別するために、徹底的な非軍事平和主義を次の第2章に置くという特色を持っています。特に後者の「平和憲法」の面が、周知のように「戦後政治」の経緯の中で荒波にさらされてきました。憲法教育における「平和教育」は特有の意味合いを担って今日に至っています。
  ただ、そうしたシリアスでリアルな憲法問題も、それを主権者として「独立した人間の頭」で受け止め、考え、場合によっては行動することのできる「主体」をどう育てるか、ということこそが「主権者を育てる教育」の核心でしょう。
  「憲法教育」とは、憲法条文や裁判例や関係法令名をやたらと暗記させる「教育」のことではありません。近代を支え、日本国憲法を支えて動かしていく「個人」を育てる教育のことです。「憲法のこころ」を血肉としてわがものにしていく知的成長の場といってもいいでしょう。
  ここにお届けする「映像教材・憲法を観る」は、日々の暮らしの中にある「憲法のこころ」の原石を手にとって観る、それを磨き上げて歴史と社会と世界につなげて観る、そうすることによって、生徒のひとりひとりが「みんな違ってみんないい」関係を取り結びつながっていく道を観る、という構成をとっています。そうすることで、日本国憲法を、紙に書かれた条文を「知る」ことだけではなく、主権者として社会と政治を営む上での導きの糸として体得していくことができるでしょう。

* この文章は中高生向け映像教材「憲法を観る」(2010年4月)のガイドブックに掲載してあるものです。(「憲法を観る」普及事務局)

 
【森英樹(もり ひでき)さんのプロフィール】

名古屋大学理事・副総長・教授、龍谷大学法科大学院教授を歴任。名古屋大学名誉教授。法学館憲法研究所客員研究員。
『新版・主権者はきみだ』(岩波ジュニア新書)、『国際協力と平和を考える50話』(岩波ジュニア新書)、『市民的公共圏形成の可能性』(編著、日本評論社)、『国家と自由』(樋口陽一らと共編著、日本評論社)、『現代憲法における安全』(編著、日本評論社)など、著書多数。