教員が集う 中高生のための映像教室 『憲法を観る』
 
 
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「法教育のすすめ」
2012年1月9日
森香苗さん(司法書士)
 

− 全日制進学高校Aの場合 −
 3年生全員約480名が講堂に集まった。この日、法律教室をするために高校に伺った司法書士は3名。テーマは、契約の基礎知識と、悪質商法や多重債務問題に関する話で、消費者としてトラブルに遭わないよう賢く生きるために必須な知識についてであった。かわいいイラスト入りのパワーポイント教材を使用しての講演形式で約1時間。寝ている生徒もほとんどおらず、静かに聞いてくれた。後日、実施したアンケートを集計したところ、今回のテーマには教科書に載っている内容も含まれていたが、多くの生徒は初めて聞いたという。(なお中学校で聞いたことがあるという生徒もいた。)我々司法書士としては、この日話をした内容は、今後生きていくうえで最低限持っていてもらいたい基本的な知識に関するものばかりだっただけに、この機会を設け我々を呼んでくださって有り難かったね、と話をした。

− 定時制高校Bの場合 −
 生徒約20名が視聴覚室に集まった。伺った司法書士は4名。テーマは、なぜ司法書士になったのかという自身の体験談と、アルバイトに関する労働の知識、インターネットや携帯トラブルについての話であった。生徒の多くは一度ドロップアウトをした生徒であり、ほぼ全員が昼間アルバイトをしている。体験談以外は3択クイズ形式で行い、途中休憩をはさんで2時間の、聞いているような聞いていないような騒がしさの中での法律教室であった。事後アンケートを見ると、概ね体験談が好評で(司法書士は、一度社会に出た後に一念発起して目指した者が多いためかもしれない。)、アルバイトの知識は多少ある生徒とほとんどない生徒が混在し、昼間の切実なアルバイト現場の実態についてつづった相談めいた感想も見られた。

 私たち司法書士は、日々の業務はそれぞれの事務所で行っているが、その全員が必ず都道府県各地にある司法書士会に所属することとなっており、私は“東京司法書士会”に所属している。東京司法書士会(以下、東京会という。)では、その公益事業の一環として、司法書士を学校や市民団体(以下、学校等という。)のもとに無料で派遣し法律教室を行っている。毎年多くの学校等から申込みをいただき、概ね好評をいただいている。法律教室のテーマ・内容は、東京会で選任したその学校等を担当する司法書士が、事前に学校等の担当者と打ち合わせをして決定する。
 ところで、この打合せの際に学校等から我々司法書士が受ける質問の一つに、「なぜ無料でこのような法律教室をしているのか」というものがある。この質問の答えを端的にいうと、「それは司法書士の使命だから」である。何か大仰な感じもするが、これは司法書士という職業の本質からいってそうなのだ。司法書士の使命は、「国民の権利の擁護と公正な社会の実現」にある。この使命の実現のために、「司法書士は、公益的な活動に努め、公共の利益の実現、社会秩序の維持及び法制度の改善に貢献する」ことを、職業倫理の一つとして規律している。法律教室の開催は、まさにこの使命の実現のための活動にほかならない。

 ところで、法律教室の開催は、『法教育』の活動の一環とも位置付けられる。私は常々、市民に対する法教育は非常に重要であると考えている。そう考えるにいたった経緯には、これまで出会った、さまざまな困難な状況におかれた人々がいたからだ。

 例えば、ある20代の母と子のケース。その母は1年前に離婚をした。離婚の際、夫から財産分与で当時住んでいたマンションをもらい、母子はそのままこのマンションに住んでいた。ところが離婚をした翌年、突然マンションが差押えられ、競売にかけられることになった。なぜか。それは元夫が組んだマンションの住宅ローンについて、元夫が支払いを滞納したからだ。手放したマンションの住宅ローンを別れた元妻のために払い続ける元夫がこの世にどれだけいるであろうか。それは期待できないのが現実であろう。そうであるならば元妻は、財産分与をする際に、この住宅ローンの問題が解決できないのであれば単純にマンションをもらうという方法ではない別の方法を考えなければならなかったのだ。しかし、元妻はそれに気付くことができなかった。でも漠然とした不安はたくさんあったので、どこかに相談しようとは考えたのだが、どこに相談していいかが分らなかった。結局そのままどこに相談することもなく財産分与を行い、競売の現実を受け入れざるを得ない状況に陥ってしまった。その20代の母は乳飲み子を抱えて、マンションを出ていかなければならなかった。

 例えば、ある40代の男性のケース。彼はある世話になった人(以下、Aさんという。)のために、自分がサラ金5社から借金をし、お金は全部Aさんにあげた。月々の返済はAさんが男性の代わりにする約束だったが、半年後、Aさんは借金残高200万円を残して行方不明になった。当然に、サラ金業者から男性に対して返済を求める電話が入る。男性は、自分の借りたお金ではないのになぜ自分が返さなければならないのかと憤って訴えたが、あくまでも借金の債務者は男性である。男性は借金の返済をしなければならなかった。しばらくの間男性は家計をやりくりして返済を続けていたものの、心労で体調を崩したことをきっかけに失業してしまい、返済はおろか自分の生活も立ち行かなくなってしまった。

 私たちは毎日のように契約をして生活している。コンビニでおにぎりを買うのは売買契約である。DVDを借りるのは賃貸借契約である。しかし、契約とは何かについて、きちんと理解している者はどれほどいるであろうか? 契約から生じるトラブルにどう対処するか分かっている者はどれほどいるであろうか?
 さまざまなトラブルは、予防できればそれが一番である。しかし、交通事故と同じで、自分が気をつけていても巻き込まれることもある。しかも、それは突然やってくる。何もあらゆる問題について知識をもたなくてはならないわけではない。それは専門家の仕事である。大切なことは、「問題に気が付くことのできる力・何かおかしいのではないかと感じることができる力」と、「適切なところに相談できる力」である。自分にふりかかるトラブルを最小限におさえることができるためのこうした力の涵養を目指すのが、我々司法書士が今最も多く行っている法律教室のテーマである。

 一人ひとり個人として尊重され、幸せに生きる権利がある。これは「人権」という憲法の骨格をなす理念でありすべての人に保障されている。いじめ、セクシャルハラスメント、モラルハラスメント、夫婦間のDVや恋人間でのデートDV(高校生や大学生のカップルでも見られる)、インターネットの掲示板での誹謗中傷、高齢者虐待、児童虐待…そのすべてが人権問題に関わっていることを理解している人はどれほどいるであろうか? 自分の人権を侵害されないためだけでなく、自分が(知らず知らずのうちにでも)他人の人権を侵害するということのないように、この憲法で保障されている「人権」の意義について考え、議論し、人権を尊重するということはどういうことか、人権と人権が衝突したときはどう解決していくかということなどについて、主体的に考え、身につけていくことが、社会の一員として生きていくうえで必須なことであろう。こうした資質の涵養も、まさに法教育(とくに憲法をテーマにした法教育)によって涵養されるものと考えている。そして、このテーマに基づく法律教室の依頼も年々増えつつある。

 
【森香苗(もり かなえ)さんのプロフィール】

司法書士  東京司法書士会 法教育委員会所属  日本司法書士会連合会 法教育推進委員会所属
伊藤塾講師