教員が集う 中高生のための映像教室 『憲法を観る』
 
 
トップページ憲法教育を考える Constitutional law in context
―憲法学習における具象と抽象
 
Constitutional law in context―憲法学習における具象と抽象
2012年2月6日
玉蟲由樹さん(福岡大学法学部教授)
 
 本欄でもたびたび紹介されている,新井誠・小谷順子・横大道聡編著『地域に学ぶ憲法演習』(日本評論社,2011年)に執筆者の一人として参加させていただきました。私は,福岡編を担当し,北九州市で2007年に起きた元生活保護受給者の餓死事件をきっかけとした生活保護行政の見直しについて,生存権の実現という観点から議論をしています。本書は,地域的コンテクストのなかで憲法を見るというユニークな視点でまとめられており,私自身,他の執筆者の論攷から多くの学問的刺激を受けました。
 また,本書への参加をきっかけとして,大学での講義やゼミにできるだけ地域に関連する事例・テーマを取り上げるようにしています。始めてみると,博多駅テレビフィルム提出命令事件や南九州税理士会事件はいうにおよばず,熊本丸刈り訴訟,熊本ハンセン病訴訟,志布志事件,さらには諫早湾干拓問題など,九州や福岡に関係する憲法問題というのは結構多くあり,テーマ選びに困ることはありません。学生も,自分の地元だったり,親戚がいたりと何かと縁が深く,状況や背景がイメージしやすいらしく,評判は上々です。
 憲法の授業というのはとかく抽象的なものになりがちです。国民主権原理や違憲審査制度,さらには個別的な人権についても,理念や憲法の条文をスタート地点として説明しようとすると,どうしても具体的なイメージがつかみにくいものです。また,判例という具象を取り扱う場合でも,ともすれば「宴のあと事件では,憲法13条を根拠にプライバシー権が認められた」というようなことに目が行ってしまい,その背景にどのような主張や対立があったのかということを切り捨ててしまいがちです。
 このような状況で「抽象的な議論から具象をイメージする」というのは,学生にとってかなり難しい作業だと思います。抽象的な議論といくつかの紹介された具象(判例)という組み合わせは,学生の想像力を限定し,憲法問題の広がりを理解してもらうにはかえって不適切なのではないかと思うくらいです。かつて私もこのような講義をしていたことがありますが,その時には,学生に「『生存権を侵害している』といえるケースにはどのようなものがありうるか」と問いかけても,出てくるのは朝日訴訟や堀木訴訟のケースばかりでした。
 これに対して,「具象から抽象的な議論へと進む」という方法は,憲法空間の広がりを感じてもらうのに有効です。たとえば,先に挙げた北九州市の餓死事件の事例では,「この人にはどのような保護が必要だったのか」,「それはどのような主体によって担われるべきなのか」,「その際に障壁となる要素は何なのか」を問いながら,最低限度の生活の保障,担い手としての国家,さらには保障の実現と国家財政との間での調整の必要性などを論じることができます。しかも,このプロセスのなかで,「この人に小さな子どもがいた場合,保護のあり方に違いがあるか」や「この人から消費税をとることに問題はないのか」といった疑問が学生から出ることもあります。
 憲法や法の条文というのは,一般的・普遍的な規範を示すために抽象化されたかたちで存在しています。しかし,これらの規範も最初から抽象的だったわけではなく,もともとは具体的な事象をともなっていたはずです。人々の具体的な欲求や主張がなければ,法や権利が生じることはないでしょう。法とは,常に特定の時代的・状況的コンテクストのなかに生きるものだといえます(law in context)。その意味で「具象→抽象」という議論の立て方は,規範の構造やその成立・発展の背景などを追体験しながら学べるという意味ももつのではないでしょうか。
 これが自分の関係する地域についての具象であると,なおさら学生は想像力をかきたてられるようです。具象がさらに具体的なイメージとともに理解されるのでしょう。志布志事件をゼミで取り扱ったときなどは,ある女子学生が「私のおばあちゃんが近くに住んでいるけど,おばあちゃんならこんな取調べをされたら絶対ありもしない供述しちゃいます」といいながら,精神的圧力を用いた取調べの不当性を力説していました。地域的コンテクストの強みは,本人がそのコンテクストのなかに入りやすいということでしょう。
 「地域的な具象→普遍的な抽象」という,地域的コンテクストを出発点とした憲法の学び方は,「具象から抽象へ」という意味でも,また「地域的関心から普遍的・全国的な関心へ」という意味でも,生きた憲法を学ぶ有効な方法ではないかと思っています。
 
【玉蟲由樹(たまむし ゆうき)さんのプロフィール】

1970年生まれ。上智大学大学院法学研究科法律学専攻博士後期課程単位取得退学。仙台白百合女子大学を経て,現在,福岡大学法学部教授。共著に『地域に学ぶ憲法演習』(日本評論社,2011年),『ガイドブック憲法(第2版)』(嵯峨野書院,2009年)など,論文に「人間の尊厳の客観法的保護」福岡大学法学論叢56巻2・3号(2011年)など。