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憲法教育の“悩み”と“痛み”を越えて
2012年2月27日
植松健一さん(島根大学法文学部准教授)
 
はじめに
 「なぜ、憲法教育が重要か?」について、このサイトに寄稿している研究者や実務家の方々が語っているような思いを、私も共有しているはずである。
 しかし、「では、どのような教育をすべきか?」という問いに答えようとすると、筋道が見えてこないのが正直なところである。大学の教壇に立ち10年。教研集会などに呼ばれ中高の教員の方々と意見を交わす機会もあるし、高校での出張講義も経験したが、なかなか答えは見つからない。
 以下に書くことは、そのような「迷い」を抱えた未熟な憲法教員の大学における講義経験の紹介であるが、中高生の対象とする憲法教育を考える上でも、なにかしらのヒントになると思い、話題の提供をさせていただきたい。

当事者の“痛み”を「追体験」させる
 多くの憲法教員が心がけていることだろうが、私も(とくに教養科目としての憲法の)授業では、憲法が自分たちの生活の身近な問題に直結していることを強調する。そのために、具体的な事案を素材にして、事件当事者(例えば、朝日生存権訴訟における朝日茂さん)の置かれた状況や心情(とくに痛みや怒り)を、事件の社会的背景も含めて、学生に共有させる。そして事件当事者(田中伸尚氏のすぐれたルポの書名を借りるなら「憲法を獲得する人びと」)が裁判や立法運動を通じて「憲法の力」を借りて、自らが置かれた苦境や不条理に立ち向かっていったかを受講生に「追体験」させる。その「追体験」のための具体的な資料と話の提供に工夫をこらす(私も分担執筆している、小沢隆一編『クローズアップ憲法』〔法律文化社〕は、このようなコンセプトに基づく憲法テキストである)。この場合、当事者の一方の側だけに寄り添うのでは駄目で、対立する相手方や第三者の考えや立場にも、目配せをさせることも重要である。
 このような方針に基づき採り上げられる事案では、例えば、公務就任を阻まれた在日コリアン、生活保護申請を拒否されたホームレス、国歌の起立斉唱を拒否して処分を受けた教員、公共施設の使用を拒否された同性愛者団体など、様々なレベルにおけるマイノリティが当事者であり、あるいは、児童虐待や冤罪逮捕などの過酷なケースが素材となる傾向がある。
 条文解釈のテクニックや憲法の歴史は「教」わって「育」むものかもしれないが、「人権感覚」や「民主主義の精神」などの、「憲法のセンス」に属するものは、本来的にいえば、自分の人生の中において自ら「体得」するしかないと私は思っている。そして、程度の差はあれ、実はほとんどの人が、「憲法の力」を借りたい不条理な経験しているはずである(結婚で姓の変更を余儀なくされたり、不合理な選挙区割りのせいで自分の一票の投票価値が低く見積もられたり、等々)。講義で採用している「憲法を獲得する人びと」の記録の「追体験」は、そうした、誰もが抱える不条理を再認識させ、その克服の拠り所としての憲法の重要性を発見させるはずである。

「追体験」メソッドの落とし穴(?)
 そのようなポリシーで、事案の事実経緯や社会的背景の説明に軸足を置いた講義スタイルを続けてきた。ところが、ある時、毎回の授業アンケートの記載内容から、一つの「発見」をすることになる。それは、学生自身が、まさに「憲法の力」を借りるべき苦境や不条理な状況に陥っていることである。アンケートへの記述には、散発的ではあるが、しかし毎年(求めているのは授業に対する意見や感想であり、個人的な事柄の記述を強いているわけでは、もちろんないのに)自分の過去や現在の苦境の吐露が書かれている。
 彼・彼女らは自らを語る。保護者が生活保護を受けている学生、性同一性障がいでカウンセリングを受けている学生、高校時代に出産したシングルマザーの学生、深刻な「いじめ」を受けてきた学生、性的被害にあった経験がある学生、「通称」と本名のどちらを使うべきか悩む特別永住外国人の学生。……。出欠確認を兼ねているので記名なのだが、私の授業内容に後押しされてカミングアウトをしたくなったのだろうか。人生経験拙く、カウンセリングのスキルもない私が受けとめるには、どれも重い話ではあるが。
 それにしても、一方で、「憲法の力」を必要とする経験は誰でも持っていると書きながら、他方で、学生たちの告白に戸惑っているのは、私自身の想像力の欠如にほかならない。大講義では200〜300人の受講生は珍しくない。「大学生」という一定の学力とある程度の経済的余裕を必要とする特殊条件があるとはいえ、社会の統計比率がかなりの程度で反映されているはずであろう。したがって、さまざまな統計上の数字(例えば、性的虐待経験のある児童の割合、生活保護受給世帯数、自殺遺児の数、国内に住む外国人の数など)を単純に当てはめれば、300人の学生のうちに、そうした境遇の者を発見することは考えてみれば簡単である。だとすれば、「経験の少ない学生に、“憲法を獲得する人びと”の生きざまを『追体験』させる」というコンセプトに甘さがあったのではないか。いじめや性犯罪や虐待を実際に経験した学生に、机上の「追体験」を強いることに何の意味があるのか。そのような事案(例えば、刑法の尊属殺重罰規定を最高裁が違憲と判断した刑事事件の背景にある性虐待)を聴かされること自体、サバイバーである彼・彼女にとって苦痛ではないのか。在日コリアンの学生に向けて、日本国籍を持つ私が「在日が受けている差別」を語ったとて、そこにリアリティはあるのか。
 このような葛藤と自己批判から講義で語るべき言葉を見失う時も、正直あった。それでも、けっきょくは現在の講義スタイルを続けている。それが正しい選択なのかは分からないが、「憲法センス」を「体得」するという作業において伴う宿命だと思うからである。学生には、私の発言への批判や違和感をできるだけ、アンケートで書いてもらうようにしている。
 「あなたの心が受けた傷を憲法は癒すことはできないけれども、あなたが現に陥っている深い“穴ぼこ”からあなたを引っ張りあげ、穴を埋める力が憲法にはあるはずだよ」。そういうことも伝えている。

おわりに
 中高生も、様々な家庭環境を背景に、それぞれが様々な困難を抱えている。とくに近年の貧困世帯の増加は、教育格差を生み、また児童虐待の一因ともなっている。こうした中高生に、いかなる言葉で「憲法」を語るのか。「誰だって『健康で文化的な生活を営む権利』があるんだよ」、「成人になったら、主権者として政治参加して、世の中の仕組みを変えたらいい」といった言葉が、「大人のきれいごと」としてではなく、中高生の心に届くかどうか。憲法教育にとって越えるべき壁は低くはないが、それでも「憲法の力」を中高生に伝えたという熱意の力も、私は信じていたい。
 
【植松健一(うえまつ けんいち)さんのプロフィール】

1971年長野県生まれ。名古屋大学法学研究科博士後期課程中退後、2002年より島根大学法文学部に赴任。2012年4月からは立命館大学法学部准教授。共著に『地域で学ぶ憲法演習』(日本評論社、2011年)、『クローズアップ憲法(第2版)』(法律文化社、2012)