教員が集う 中高生のための映像教室 『憲法を観る』
 
 
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磯津環境学校(いそかん)をやりながら
2012年4月23日
萩森 繁樹さん(いそかん共同代表)
 
はじめに
 磯津環境学校というのは四日市公害の一番激しかった地域「漁村・磯津」(今はもう漁村の風景をそう多くは残していません)で、青年や子ども・若いお母さん/お父さんと地域の自然・環境・歴史・文化・産業・生活・人・今を学ぶ月一回の学校として立ち上げたものです。この4月で3年目に入ります。

1.  動機
 退職を数年後に控えた頃、私はリタイア後の時間をどう過ごすか考えました。趣味やジムも考えなかったわけではありません。カンボジアに教え子たちの集めた募金を持って毎年通っています(今年で8回目)ので、いっそカンボジアでリタイア後をとまじめに考えた時期もあります。しかし、私には「技術」(土木・織物・日本文化の伝承などというもの)がありません。語学力も。それに、つれあいがいますので、いくら日本での生活を精算して、海外で「新しい出発を」と思い描いてもかなり無理があったのです。
 いろいろ考えあぐねた上行き着いたのが、お世話になったり、少々深く関わったりしたことを続けやり遂げる、と考えて脳裏に去来した「四日市公害資料館」です。それは「磯津」しかない!
 そう考えたら、私の場合行動は単純です。磯津のある中学校に転勤する。(この思い切りのよさが特技なのかもと思っています。)しかし、中学校社会科教師としての席はなく、23年ぶりの小学校教師として、楠という磯津校区のとなりの大きな小学校に退職前の3年間お世話になりました。(ここでの小学校5年生、4年生、3年生の担任としての子どもたちとの出会いは、間に合わないじいさん先生として格闘の日々でしたが、結果的には大変楽しい3年間にしてもらいました。)
 3年間毎日、校舎の窓から煙を吐く煙突と巨大な原油タンクを見て過ごしたのです。

2.  この2年で何ができたか
 3月に退職して、すぐ2010年4月20日、磯津通信第一号(p16)を出しました。
 構成は考えていました。「磯津に今、新しい陽が昇る」と主張を掲げて、公害関係の聞き取り、公害で小5で命をなくした服部吉秀君のこと、吉崎の昔の自然・写真、現代の海岸埋め立ての問題点告発、四日市市長への教育関係の要請文、第一回いそかん(磯津環境学校の愛称)案内、子どもたちの様子を伝えるページ、「アジアから世界から」のページ、そして英文で世界発信するページと満を持して、素人新聞記者気取りで、華々しく転身?スタートしたのです。A3が印刷できる印刷機も中古を退職金で惜しげもなく買いました。
 毎年、学級通信や社会科通信…などと私の教師生活は通信人生(笑)でしたから、新聞をつくるのはこれも特技というか趣味の一種であまり苦痛はありません。しかし、毎月20ページ立ての新聞を750部つくり、発送・配達するのはしんどいです。(暇はなくていいのですが、結構追われる感じもあって)
 それに、この2年間、折れそうになったり、なんでこんなこと格好つけて始めたんだろうと後悔じみたことを思ったり…。でも前向きに振り返ると
○ 磯津でたったひとりしかいなかった知り合い・仲良しが50人を越えました。
○ そのひとつひとつの出会いが励みになり、発見であり、学びになり、次の勇気になってきました。
○ 磯津に要るのは資料館というよりはむしろ町おこしだと言うことが見えてきました。
○ 大変な時間を要する通信発送作業を支えてくれる青年たち(教え子たち)がいます。(右写真、陸前高田でのボランティアにて)彼らにも力をもらっています。
○ 通信を財政的に応援して下さる方々もたくさんのカンパを振り込んで下さいます。
○ HP・ブログも開設し、今月から「磯津通信電子版」で購読?して下さる方が相当数、名乗り出てくださって年間通信費44万円を縮減することに協力してくださっています。
の辺りですかね。

3.  ブレずに、初心にかえって
 四日市市が公害資料館を建てると言い出しました。それは、ひとまず歓迎すべきことです。(4月現在どこにするか場所は決まっていません。それに、開館は2014年春の予定ですから、まだ、もの申していかねばなりません。)しかし、その資料館の場所が市内のどこになろうと、私は、この磯津の意味は変わることはないと思っています。
 磯津という公害で苦しめられ、町じゅうをとりわけ補償金などで分断され、コンビナートと関わって仕事や意識でも分けられ、漁業という生業を奪われ、「鯨船」というすばらしい伝統行事なども消えざるを得なかった町。ここに、若者と子どもの声を取り戻すための作業を何かしらお手伝いしたい。私のある意味、後半人生を賭けると決めたこの町、磯津。
 私は鈴鹿市民です。四日市で長く教師をしたとはいえ、磯津では全くの「よそ者」です。
 しかし、この町を活動のフィールドにさせて頂く誇りと嬉しさ。この町で声をかけて下さり、物心両面で励まして下さる方々と、一歩、一歩進んでいきたいと思っています。
 
【萩森 繁樹(はぎもり しげき)さんのプロフィール】

三重県四日市の小中学校の教員を定年退職。現在、磯津環境学校(いそかん)の共同代表。歴史教育者協議会会員。
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