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映画『アミスタッド Amistad』 

志田陽子さん(武蔵野美術大教授)
                                                           


「彼らの物語は?」アダムズ議員は尋ねる。
「彼らは黒人たちです」黒人運動家ジョッドソンは答える。
「違うよ、彼らの物語を聞きたいんだよ。たとえば君は、黒人解放に生涯を捧げた元黒人奴隷。そうだろう?」。
 映画「アミスタッド」に登場するアダムズ議員は、裁判で裁判官を説得する過程もそうなのだと、黒人運動家ジョッドソンにヒントを与える。このヒントを境に、《所有者不明の黒人たち》が、ここに辿り着くまでの長い物語を背負った《人間たち》として立ち現われてくる。

 映画「アミスタッド」は、アメリカ南北戦争(1861-65)の20年前にあたる1839年から1841年まで、実際にあった「アミスタッド号事件」を題材とした作品である。
 航行中の奴隷船「アミスタッド号」が積荷である黒人たちによってシージャックされ、アメリカに漂着した。途中で白人が数名、この黒人たちによって殺されていた。アメリカでは当初、この黒人たちを持ち主不明の奴隷(財産)として扱う。裁判ではスペインの奴隷商人が船荷の持ち主として名乗り出た上に、スペイン女王からも判決に介入しようとする書簡が届く。若き弁護士ボールドウィンも、この事件は船荷の所有権のケースだと見た上で、この《荷物》がどこから来たのかを確定しようとする。すると、この《荷物》は、アメリカが奴隷貿易を認めている地域よりもずっと遠くのアフリカから来たものであることがわかってくる。

 この時期、ヨーロッパ世界ではすでにイギリスをはじめとして多くの国が奴隷制を廃止し、奴隷貿易を違法としていた(イギリス議会で奴隷制が廃止され違法化される経緯は、映画「アメイジング・グレイス」に描かれている)。スペインとアメリカだけがまだ奴隷制も奴隷貿易も続けていたが、アメリカ国内では北部で奴隷制廃止を求める声が強まっていた。このスペインとアメリカの領域内で生まれた黒人であれば、これらの国の制度に従って《奴隷》として扱われることになるが、それ以外の外国で生まれた黒人であれば、彼らにはアメリカ・スペインの奴隷制度のルールが及ばない、自由人ということになる。そして、領土外の外国で人間を拉致して奴隷とすることは、このときすでに違法行為として禁じられていた。

 船荷の所有権の問題として扱えば手堅く勝てると考えていたボールドウィンは、コミュニケーションの大変さと、次第に明らかになってくる事実に戸惑いながら、黒人たちからの事情聴取を積み重ねていく。ボールドウィンは、黒人側の若き族長シンケから聞き取った《物語》を法廷に示す。
「奴隷売買はイギリスでは違法です。イギリス海軍は奴隷船の摘発を任務としています。」
「シンケの話のように、イギリス領で拉致される黒人が?」
「残念ながら大勢います。」
「大勢の奴隷が殺された話は?」
「奴隷業者は監視船に見つかると、犯罪行為の証拠隠滅のために奴隷を海に捨てるのです。」
 それは、画像として再構成してみると、人間を人間として認識しないことがどれほどの残酷さを生み出すかを伝えるに十分な内容である。裁判はここでクライマックスを迎えるかに見える。

 しかしこの裁判は、法的推論だけでは解決できない暗礁に乗り上げる。背後では奴隷制廃止の世論を恐れる南部議員の圧力が働いていた。この裁判が、黒人を人間として認め、奴隷制や奴隷貿易の反倫理性を浮き彫りにするような判決で終結すれば、アメリカ国内で奴隷制廃止の議論が勢いづくだろう、それはアメリカに混乱を引き起こすことになるから困る、という考え方が優勢になってきたのである。議員たちは《内戦》の可能性について考え、怖れていた。そして大統領は、そのことで次期大統領選での票を失うことを怖れていた。

 このような背景を抱えた連邦最高裁で弁論を引き受けることとなったアダムズ議員は、最高裁判事たちに向かって語り始める。
「単純な所有権争いの裁判がなぜこれほどの意味を持ち最高裁で裁かれることに? 内戦というものに我々が抱く恐怖心のために、明白な事実が見えなくなってしまったのか。本件が問いかけている本質は《人間とは何か》だ。人間が自然に求めるものは自由であり、自由を奪われた人間はそれを取り戻すための行動をとる。建国の父たちの思想に立って考えよう…」

   *   *

 「アミスタッド」の中で憲法問題として面白いのは、政治的問題と司法の独立の問題との絡み合いだろう。政治の都合によって、現実の人間たちの、今・ここで侵害されている人権の問題が救済されず、曲げられていく。法廷での勝利が彼らの解放を意味しないという現実に、シンケは激怒する。
 「どういう国なんだ?ほとんどの場合、法が正しい国?(俺たちは法で勝っても例外?)そんな国でよく暮らせるもんだ!」
 シンケの怒りは、まったく正しい。「司法の独立」とは、本来、こういう場面で、あるべき法的判断があるべき貫通力をもつことを言うはずである。日本でも、「司法の独立」が国家の都合で曲げられてしまう事態がいくつか起きているが、その最たるものが「砂川事件」最高裁判決だろう。「アミスタッド」のアダムズ議員の最高裁での弁論は、こうした「司法の独立」の問題を論じている。

 その後、アメリカは内戦に突入し、北軍による奴隷解放が進められていく。そして、同じスピルバーグ監督による「リンカーン」では、奴隷制廃止を定める憲法改正を実現するまでの大統領リンカーンとその家族と議員たちが描かれる。先に触れた「アメイジング・グレイス」と「アミスタッド」と「リンカーン」を合わせて見ると、奴隷制廃止をめぐる政治と憲法が、かなりリアルに見えてくるのではないだろうか。

 もう一つ、映画ならではの表現方法にも注目しておきたい。
 冒頭、真っ暗な夜の海の船上で、黒い肌をした何者かが白人の腹に刃物を突き刺し引き抜く映像は、じつに不気味である。白人が漠然と抱いてきた《得体の知れぬ、人間的ではないもの》=《他者としての黒人》のイメージそのものではないかと思う。
 そして次に、自分たちの身に起きていることに自分たちの力で対処しようのない、鎖につながれている《同情すべき人々》=《客体としての黒人》のイメージが続く。
 しかし映画の中盤、この二つのイメージを一変させるエピソードが起きる。それは、埋葬を巡って言い争いが起きるシーンである。仲間の中から死者がでたとき、シンケたちは、自分らの風習にのっとって埋葬の儀式を行わせてほしいと訴える。このときの彼らの訴えは、懇願といったトーンではない。埋葬(死をめぐる祭司)は、宗教においても民俗文化においても中心的な事項で、これをめぐって自文化尊重の訴えを激しく叫ブシンケたちは、画面いっぱいに、多文化世界における《主体》として現れてくる。
 その《主体としての現れ》は、やがて裁判でシンケが白人側の裁判ルールを破って発する言葉に結実していく。――Give us free!
 彼らが救済されるべき道理は、下位の法ルールに優位する根源的で普遍的な道理だ。この瞬間、シンケは、立憲主義の思想そのものを体現している。

 こうしたエピソードと、アダムズ議員の語った《物語》の視点を経るにつれ、この映画の中のシンケたちの描かれ方は、《この物語の主体》にふさわしいものになっていく。最初、それはシンケの着衣が次第に白人的になっていくためかと思って見ていたが、そうではなく、光の使い方、表情のとらえ方、セリフの《間》を映し出す描き方のためにそうなっているのである。シンケの描き方は後半に行くほどに、言葉を探して眉を動かす微細な表情までを緻密にとらえる描き方になっていく。これは、《尊重すべき主役》だけに与えられる描き方である。
 その《写し方》のコンセプトは、同じスピルバーグの「シンドラーのリスト」(1993年)のラストを思い浮かべてみると理解できる。ナチスによって収容されたユダヤ人は、徹底的に脱個性化・脱人間化させられ、人間として尊敬(同情)すべきものとして認識されない存在へと貶められた。「シンドラーのリスト」の最後の数分間の映像は、そのことを映像によって贖罪するかのように、生存者たちの現在の顔を一人一人、価値ある肖像として大写しにしていく。「アミスタッド」の中では、この視点がもっと黙示的に、映像表現の根底に埋め込まれている。私たちは、1939年から1941年の間のドラマを見る行為の中で、《アミスタッド号の漂着者たち》を見る自分自身の視点をシフトしていくように導かれ、自身の内で150年分の歴史を《見る》ことのできる椅子に座っていることになる。
 アダムズ議員の言う《物語》を知る作業、想像する作業を、映画という表現の中に結実させた、見事な名作だと思う。

                  了

【映画情報】
監督:スティーヴン・スピルバーグ
公開年:1997年、アメリカ
上映時間:154分
出演:ジャイモン・フンスー、マシュー・マコノヒー、アンソニー・ホプキンス、モーガン・フリーマン


 
                                                           


<「シネマDE憲法」関連情報>

「憲法を知ることは、リアルと普遍の間を何度でも行き来すること——『映画で学ぶ憲法』」志田陽子さん(武蔵野美術大学造形学部教授)



 

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