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映画『あの日の声を探して』

志田陽子さん(武蔵野美術大教授)
                                                           


 武力紛争で孤児になった9歳の少年と、彼をとりあえず部屋に預かった女性の物語。広告を見てどれだけメロウな仕立ての映画だろうかと思っていたが、その予期は裏切られた。これは憲法について考えている人にぜひ見てほしい、硬派な映画だ。
 
 ロシアに侵攻された1999年のチェチェン。両親を目の前で殺され声を失った少年ハジと、混迷する状況に対して無力感を募らせている欧州人権委員会(EU)職員キャロル。そしてロシア軍に強制入隊させられた青年コーリャが交互に映し出される。やがてこの3名がひとつの線上に交差することになるのだが、その交差のあり方は、作品の最後に明らかになる。

 ロシア軍から逃げ、ひとり街へたどり着いたハジは、フランスから調査に来たEU職員のキャロルに拾われる。キャロルは、武力衝突と難民の現実を前にして無力感にさいなまれながらも、調査やスピーチの仕事を続けている…。
ストーリーそのものにはこれ以上は立ち入らないことにして、いくつか、憲法研究者の視点から気づいたことを点描してみたい。

 多くの論評は、(仕事一辺倒だった)キャロルが幼い子どもを助けることで(小さな幸福の大切さに気づき)、自分自身が救われていく、というふうにこの人間ドラマを筋立てている。キャロルがハジとの交流から得たものがいかに大きいかは、この映画の大切なコンセプトだから異論はない。しかし、とくにこれを日本人の私たちが見るときには、注意が必要だ。間違った方向で奮闘していた女性が正しい母性に目覚めた、というふうに女性性をステレオタイプ化し、さらにそこに日本的な「母性」イメージを重ねる見方をしてしまうと、この映画のメッセージを見誤ることになると思われるからである。

 この映画の世界の中で、キャロルは「母」になろうとは、最初からしていない。その感覚は、むしろルームメイトという感じだ。日本で里親制度が進展しないことの理由のひとつに、育児専念条件がある。シングル女性でグローバルに活動するハードワーカーが、養子や里子を引き取って育てることは、事実上、できないのである。これに対してキャロルは、ハードワーカーのままでハジと同居をはじめる。「書類の山を作るばかり」の職務への苛立ちと、「子どもを引き取って育てる」ことの価値とは、言葉の上では「どちらが本当に価値があるのか」という悩みとして語られても、「子どもを引き取りたければ職を辞さねばならない」といった二者択一は、この作品には存在しない。これは日本でこの映画の価値が語られるときに、ぜひとも留意しておきたいことである。

 次に、9歳のハジの《生きる意志》の描き方に注目したい。この作品の中で、ハジは、天使のような一方的被害者として理想化されているのではない。彼は物語の冒頭、《一人で》街にたどり着くまでの間に、二度、赤ん坊(弟)を手放す。あの状況で幼い子どもが一人で生き延びるためには仕方のないことなのだが、その決断は、仕方のない偶発として起きているのではなく、ぎりぎりの状況の中でハジ自身が《決断》しているのである。幼児ではあっても、生死の境界でただ翻弄されている可哀相な子ども(同情の客体)としてではなく、生への欲望の主体として、ハジは描かれている。そして、判断の主体であったがゆえに苦しむのである。9歳の幼児が人道の苦悩の主体として描かれていること、これがこの作品を《硬派な》作品にしている重大な点である。
 
 そして、この作品がごく普通の青年コーリャを通じて徴兵・戦闘の一断面を抉り出しているところも重要だ。大麻かなにかの容疑を一方的にかけられたコーリャは、刑事告訴を免れたければ軍に入隊するようにと促され、ほとんど強制的に入隊志願をさせられることになる。そしてベルトコンベアに乗せられたように、紛争の前線へと送られる。

 この映画で白眉と思われるのは、この兵士の描き方である。ごく普通の人間が、とりあえず生き延びるためには、軍隊内のいじめにも加担する。前線では、人影があれば、とりあえず発砲する。その一瞬には、考えている暇などないのである。誤射で人を死なせた初心者に仲間は言う、「彼らは全員が自爆テロリストなんだ、それでいいんだ」と。

 おそらく、ベトナム戦争も、それ以前のさまざまな戦争も、そうであっただろう。ごく普通の若者が、ただ自分が生き延びるためには、そのように、殺戮を正当化し自らの倫理観を麻痺させる精神のベルトコンベアに乗せられていく。この作品世界で彼が果たした役割は、ある意味、衝撃であり、哀切である。それは、人道メロドラマとはかけ離れたところにある戦争のリアルな哀切であり、勝った側の国の人間たちも逃れることのできない《損失》の一断面であり、だからこそ、私たちすべてが知るべき哀切である。

 もうひとつ。これはキャスティングの段階で意図されたことなのかどうなのか、筆者にはわからないのだが、孤児となった9歳のハジと、ロシアの兵士となったコーリャとは、顔立ちが似ている。ハジが成長して20歳になったときの顔立ちは、こんな感じではないか、と思えるのである。そう、ハジのような子どもが艱難を乗り越えて生き延びて成長することができたとき、そこに待っている未来もまた、このようなものかもしれないとしたら、どうだろう。戦争・紛争というのは、どちらの陣営でも、同じ状況に人間を囲い込むものである。愛らしいハジの顔にそんな想像を重ねて震撼する思いを感じた者にとっては、これは真の意味で《泣ける》映画になると思う。

監督&脚本:ミシェル・アザナヴィシウス
出演:ベレニス・ベジョ、アネット・ベニング、アブドゥル・カリム・ママツイエフ
2014年・フランス=グルジア
上映時間:2時間15分
公式ホームページ


 
                                                           


<「シネマDE憲法」関連情報>

「憲法を知ることは、リアルと普遍の間を何度でも行き来すること——『映画で学ぶ憲法』」志田陽子さん(武蔵野美術大学造形学部教授)



 

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