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映画『顔のないヒトラーたち』(原題:Im Labyrinth des Schweigens[沈黙の迷宮の中で])


花崎 哲さん(憲法を考える映画の会)
                                                           

「ドイツは教育、政治、司法、そして民間の場で、第二次世界大戦前に政治を主導したナチスを一掃し、戦後、戦争責任に取り組んできた。それは戦後すぐ始まり徹底したものがある」と思い込んでいました。しかしそのドイツでさえ、そうした動きが明確になったのは1960年代からで、それまでの間、旧ナチスの人間が政治や行政の要職にとどまり、ナチズム時代、ファシズム時代のことは「忘れよう、なかったことにしよう」という意識が国民の大半を占めていて、戦争責任やその犯罪性を明らかにしていなかったということを、この映画によって知って驚きました。

そうした戦争犯罪を見直し、過去の歴史に向き合うようになった動きをつくり出したのがこの映画の主人公である「フランクフルト・アウシュビッツ裁判」のフリッツ・バウアーたち検察官でした。
映画はその裁判までの過程を、1930年生まれの(ナチスに染まっていない)若い検察官ヨハン・ラドマンの目からその苦悩も含めてドラマの形で描こうとしています。
つまりナチの犯罪を知り(自分がそれまで知らないでいたことに驚き)、ホロコーストというナチの犯罪の被害者と犯罪を犯した親衛隊兵士らを探し出し、ひとつひとつの犯罪の証拠を調査し、「おまえは自分の親の世代を犯罪者として告訴するのか」という反感や妨害を受けながらも、それでも正義を貫くことを選んで裁判に挑むところまでを描いています。特に自分たちの上の世代の人間がすべて、亡くなった父親も含め、ナチスに関わり加害者であったということが大きな衝撃と挫折として描かれます。

このフランクフルト・アウシュビッツ裁判をきっかけに、ナチの戦争犯罪がドイツ国民の意識に明確なものになり、国を挙げて過去の歴史に向き合う姿勢が確立される大きな動きになったと聞きました。ナチスの否定、被害者への謝罪は、教育、政治、司法の場で制度化され、いわば国是として取り組むようになったということです。

ドラマの描き方は、端正な熱血検事の活躍と挫折というややパターン化された演出・演技で、やや「きれいごと」のように感じるところもありますが、娯楽作品としての側面からの配慮もあることなのでしょう。2014年に作られたこの映画を、その戦争責任問題の教育を受けてきたドイツ国民、とくに若い世代がどのように見たのだろうかということは興味深いところです。

そしてどうしてもこの映画を見ながら「日本の戦後の戦争責任認識はどうだったのか」、「今の政治状況の中での右傾化」の問題と引き比べて考えてしまいます。
「日本は侵略などしていない」「日本だけが悪かったわけではない」「被害が誇大に伝えられている」「南京大虐殺などなかった」…。それらは戦後の政治権力をもったものが、一貫して戦争責任の問題をごまかし、加害者としての過去の歴史に向き合うことをしないまま避けてきたことです。さらにそうした事実をも覆い隠そうとする教育や、それに同調するメディアによって、国民の意識はじわじわと変えられ、国際的な「歴史の常識」が国内的には「疑惑」になり、今の政治・社会状況になっていると思います。

ドイツもまた、1990年の東西ドイツ統一によって、旧東ドイツの若者の貧困の問題などから右傾化、新ナチ勢力の政党の台頭が問題になりました。また中東難民受け入れに対して批判的なナショナリズム勢力から、負債ともいえる過去の歴史を曖昧にしようとする動きもあると聞きます。

この映画を見ていて、ドイツの戦争責任への再認識が、司法からの動きであったことに新鮮なものを感じました。今、我が国でも安保法制の違憲訴訟や辺野古をめぐる沖縄県と政府の訴訟など政治で解決できない問題を裁判の場に持ち込んで解決を図ろう、あるいは運動として持続させようという動きが多くなっています。そうした司法の役割と可能性を見直す意味でも、この映画は役に立つものになるのではないでしょうか。

また、この「フランクフルト・アウシュビッツ裁判」の後にあったアイヒマン裁判を描いた「スペシャリスト」「ハンナ・アーレント」など戦争責任の問題を考えさせる映画も多数あります。それらの中では「兵士として命令に従っただけだ」「役人として仕事をしただけだ」という個人の責任の問題を取りあげられ、より深く私たち個人の自身の問題として問いかけられ、考えさせられるものになっています。

私たちはこの映画を、次々回(来年1月)の「憲法を考える映画の会」で上映していく計画を立てています。そして、ここに描かれた裁判の後、ドイツはどのように政治、司法、教育、あるいは市民運動の中で過去の歴史に向き合い、戦争をとらえてきたか、それを今の日本の政治、社会状況の中で活かして、歴史に向き合っていく活動を作れるかについて考えていきたいと思います。

 

映画情報
監督:ジュリオ・リッチャレッリ 
脚本:エリザベト・バルテル、ジュリオ・リッチャレッリ 
製作:ヤコブ・クラウセン、ウリ・プッツ 
撮影:マルティン・ランガー、ロマン・オーシン
音楽:ニキ・ライザー、セバスチャン・ピレ
出演:アレクサンダー・フェーリング(ヨハン・ラドマン=検事)、
フリーデリーケ・ベヒト(マレーネ)、
アンドレ・シマンスキ(トーマス・グニルカ=記者)、
ゲルト・フォス(フリッツ・バウアー=検事総長) ほか。

2014年/ドイツ/123分/シネマスコープ
提供・配給:アットエンタテインメント  
公式サイト:http://kaononai.com/



 
                                                           


<「シネマDE憲法」関連情報>

「憲法を知ることは、リアルと普遍の間を何度でも行き来すること——『映画で学ぶ憲法』」志田陽子さん(武蔵野美術大学造形学部教授)



 

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