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青森(2)

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東北測量分会のたたかい
松尾泰志(青森県本部東北測量分会元書記長)

 東北測量(株)は1954年に、旧陸軍陸地測量部(現国土交通省国土地理院)出身者が設立し、受注の9害以上が国や地方自治体がしめる測量会社です。
 一時は従業員100名を超す東北でもトップクラスで、全国では中堅に位置するまでに発展を遂げていました。しかしその発展の陰では男女を問わず月100時間を超える残業、しかも正規の手当の三分の一の額より支払われず、女子従業員でも徹夜作業をすることもありました。測地課においては年間250から300日の出張はザラで、青森にいるのはわずか数週間。出張現場では昼は山岳作業で、夜は深夜まで計算整理が連日続きました。
 当時測量業界では前近代的な徒弟制的習慣から、先輩の権限が絶対的で休日もプライバシーも先輩次第という実態でした。こういう労働条件でしたので入社後2年余りで8〜9割の仲間が会社から去っていきました。

 1982年、この様な状況を打破しようと、独身寮にいた測地課従業員を中心に組合結成の動きが始まりました。勤務後は連日プレハブ平屋建ての県本部へ大雪をかきわけ集結し、深夜まで学習する毎日が続きました。皮肉なことに仕事で深夜作業に慣れていたので、深夜の1時から2時まで及ぶ学習もみんな平気で、プレハブの中は期待と不安、熱気でつつまれました。
 社会人となると同時に長期にわたり閉鎖的で過酷な労働条件下で働いてきた労働者にとって憲法や労働法とのはじめての出会いでした。
  3月、労働組合結成大会が開かれ、この時から現在まで25年間にわたりだたかいが続いてきました。結成後すぐに組合攻撃が始まりました。独身寮から寮生の追い出し、未経験部門へのいやがらせ配転、会社駐車場からの締め出し、組合機関紙の強制回収、委員長に対する社宅の立ち退き要求、賃金の一方的支払延期、カメラ6台を社内に設置し組合役員を一か所を集めて集中監視、測量無資格者への退職勧誘、元警察署長を労務担当として雇い入れる、非常口封鎖、放水施設の設置、玄関出入り口へのゲート設置、6000万円で出向先をねらった新事務所新築など、中には目的が理解しがたいものまでありました。賃金の支払い延期には組合員全員で社内ストライキで抗議、取引銀行へ要請し撤回させました。また中央本部役員、測量協議会の仲間も加わり、地方労働委員会への斡旋、調停、不当労働行為救済申し立て、労働基準局や県・市役所への要請など速目にわたり事態打開のための行動が取り組まれました。
 

 1986年8月には、「会社側は組合と誠意をもって協議した上でなけなければ、希望退職者の募集及び指名解雇を行ってはならない」などの不当労働行為救済命令が発令されました。
 しかし9月会社は青森地裁へ「不当労働行為救済命令取り消し請求」を申し立てました。「社宅明け渡し裁判」と並行して舞台は青森地裁へと移りました。会社は組合結成以来、組合の要求に対して賃上げ、一時金ゼロ回答を続けてきましたが、87年12月「もち代]と称して一方的に差別支給、組合ではこのことでも地労委へ救済を申し立てました。不当労働行為については、青森地裁、仙台高裁でも勝利し、1994年6月13日最高裁で勝訴が確定しました。
 命令確定後会社は謝罪文の掲示を行いましたが、組合敵視の姿勢は一向に改めることなく不誠実な態度に終始しました。しかし命令確定後に大幅な賃金引き上げや、一時金回答を引き出すなど結果的に結成以来のブランクを取り戻すことができました。
 特に従業員の長期出張がなくなったこと、有給が白由にとれるようになったこと、組合員に間しては残業が全く無いこと、家庭での時間が十分持てることなど大きな前進を勝ち取ることができました。
 
 2005年9月22日に突然会社側から業績悪化を理由とする13名の希望退職募集について組合へ連絡があり、会社側から組合へ団交が申し入れらました。組合三役を官む役員5人が募集対象に含まれる、組合弱体化をねらった露骨な内容のものでした。
 非組合員対象者の8人が泣く泣くたった2ケ月の賃金補償で退職に応じました。中には念願のマイホームを購入した人もいました。組合では会社再建案を示すとともに賃下げの妥協案も提案しましたが、受け入れられず、10月に5人に対して月末をもって解雇することを通告してきました。
 その後、労働委員会へ斡旋を申し込みましたが不調に終わり、5人は解雇され、やむなく青森地裁へ解雇撤回を求め提訴しました。
 会社周辺一周のデモなど市民へのアピール、団体署名への取り組み、労組や民主団体への要請、宣伝カーの運航、「きりたっぷ昆布」の販売など、連日の活動が続きました。
 本裁判では会社の財務資産内容、解雇対象者の選定についての合理性、外注問題などが争点となりました。
 組合結成当時に未経験部門へいやがらせ配輯された組合員は、その後各自の努力により、技術的にその部門の主力となり、なくてはならない存在としてだれもが認めるまでと、なっていました。
 裁判では口頭弁論の後、裁判所が和解案を提示してきました。和解案では会社は解雇撤回したうえで、職場復帰ではなく金銭解決を求めていました。
 5人の中には金銭解決について、あくまで職場復帰で闘うべきだという強い意見もありましたが、2人が退職まで1年の年齢であることや、他の3人についても退職がま近であること、裁判官の和解案を拒否した場合の影響などを考え、和解案に応じることに同意しました。
 職場復帰はできなかったものの、会社が解雇を撤回し和解金を支払うという、組合勝利の和解です。この間、全国の仲間から支援や援助を受け、組合の存在価値を改めて実感しました。
 会社から退職を強要された場合に個々の労働者で対抗することは容易ではありませんし、法廷で争うこともできないのが現状です。全国の仲間のサポートがあって勝ち取ることができた和解でした。
 東北測量分会は組合員は減少したものの、現在も存在価値は大なるものがあります。また、5人は新しい職場や組織でがんばっています。