法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp


 

茨城(2)

一覧表へ>>
布川事件
Y.M.記

 昨年(2007年)だけでも、2002年4月に富山で発生した婦女暴行事件で服役した男性が出所した後に真犯人がみつかったり、また以前ここでも取り上げた鹿児島県の志布志事件で無罪判決が出るなど、依然として冤罪事件は後を絶ちません。そして、中には有罪判決が確定してからもなお、再審請求を行って自らの冤罪を晴らそうと日々奮闘している方々もあります。今から41年前に茨城県で発生した布川事件も、そのような事件のひとつです。

 1967年8月30日、茨城県北相馬郡利根町の布川という場所で、男性が自宅で死んでいるのが発見されました。男性は残忍な方法で殺害されており、室内には物色した痕跡も残されておりました。目撃者もなく茨城県警の捜査は難航しましたが、前科のある者や素行不良者を中心に捜査を重ねていくうちに、桜井昌司さんと杉山卓男さんが捜査線に浮上、2人をそれぞれこの事件とは別の容疑で10月中旬に逮捕しました。2人は当初、容疑を否認しましたが、警察の過酷な取り調べによってついには「自白」をしてしまいます。そして、同年12月28日、2人は強盗殺人の罪で起訴されたのです。

 奇妙な話ですが、2人が犯人との決め手になる物証がないこの事件においては、ここで得られた「自白調書」こそが直接の証拠とされ、そして後にその任意性が大きな争点となりました。しかしながら、2人の「自白」の内容にはしばしば食い違う点なども多く、しかも現場の客観的な状況との整合性を欠くところが多いものでした。
 例えば、犯行時に桜井さんは被害者宅の勝手口の扉を開けた際、奥の部屋から被害者が顔を出したのがみえたとされていますが、そもそもこの扉の内側には食器棚がありこちらの扉側からは開けても部屋の中をみることはできないこと、被害者が普段もっていた白い財布を盗んだとされていますが、当初は杉山さんが盗んで橋の上から川に投げ捨てたとしていたところ、次は桜井さんが盗んで川に捨てた、そして最終的には財布は盗んでいないというように供述がかなり二転三転していること、さらには、現場からは43もの指紋が採取されているにもかかわらず、その中には桜井さんと杉山さんの指紋はひとつもなかったこと、などが挙げられます。いずれにせよ、これが本当に犯行を犯した人物が自ら供述した事実であるとすれば、あまりにも矛盾に満ちており、また犯行状況ともかけ離れているものであったことは間違いありません。

 けれども、1970年10月6日、第1審水戸地裁土浦支部は、以上のような桜井さんと杉山さんの「自白」は強制的になされたものとは認められず、信頼性のおけるものであるとして、2人に無期懲役の判決を下しました。また、1973年12月20日、第2審東京高裁もこれを支持し、1978年7月3日に最高裁が上告を棄却することによって、2人に対する無期懲役の判決が確定することになったのです。

 しかし、桜井さんと杉山さんは、このような司法判断に屈することはありませんでした。1983年12月23日、桜井さんと杉山さんは、水戸地裁土浦支部に対して裁判のやり直しを求める第1次再審請求を行います。この再審請求は、1992年9月9日に最高裁によって棄却されましたが、2人は諦めることなく、1996年11月に仮出所してから5年後の2001年12月6日、第2次再審請求を水戸地裁土浦支部に申し立てたのです。そして、2005年9月21日、同支部が再審の開始を決定し、ようやく真相究明に向けた2人の新たな戦いが始まることになりました。

 なお、再審開始決定が出されてから5日後の9月26日には、検察側がこの決定に対する即時抗告を行い、現在、東京高裁での審理が継続中です。しかしながら、事件発生時に犯行現場で8本の毛髪が遺留品として採取され、それが桜井さんと杉山さんのものではないという鑑定結果が出ていたにもかかわらず、検察側は2005年になるまでこの決定的な証拠を隠蔽してきたことなどからすれば、検察による抗告は、極めて問題であるといわざるをえません。今後の動向が注目されます。

 この事件については、桜井さんと杉山さんの支援者らによる「ざ・布川事件」というHPが開設されています。また、当研究所HPでも、2005年6月20日の「今週の一言」では、桜井さんのお話(「憲法の刑事手続きを守り、無実の人は無罪に!」)、また「憲法関連裁判情報」では、布川事件弁護団の福富美穂子弁護士による「布川事件再審開始決定」を取り上げております。併せてご参照下さい。

<コメント>高裁での決定は間近です
    
桜井 昌司(布川事件再審請求人)

 再審開始決定に検察の抗告がなされて3年目、高裁での事実調べが終わって、いよいよ夏ころには判断が示されそうです。

大体、決定に異義を唱えた側が新しい証拠を提出して「ゆえに決定は間違っている」と闘われるのが高裁、即時抗告審なのですが、布川事件では、全く検察から証拠が出されませんでした。勝った弁護側が一方的に無実の証拠を提出するばかりでした。その最たる物が自白テープの編集痕を指摘した解析鑑定でした。
 私たちを犯人とする証拠は「自白」だけです。多分、信用性と任意性の担保にする目的で作ったのでしょうが、私はウソの自白をして、その作り話を記憶した後、録音テープに「自白」を吹き込まされました。でも、そのテープだと提出された物を聞いてみますと、全く自分の記憶とは違いました。それで音響専門家に鑑定して貰いましたらば、記録された録音時間より短い上、13ヶ所に編集、改竄痕があると判ったのです。

これだけではありません。捜査報告書にも疑惑が発見されています。日付を偽った物、後日作成した物、色々とありますが、私が「自白」をした1967年10月15日付けは、何と作成者の割印に不正がありました。中味を差し替えたことが判ったのです。
検察は、私のアリバイを裏付ける書面を隠し、私たちが物理的に事件現場に到着出来ない前に二人の男を見たと証言する婦人の調書を隠して来ました。これで負けるはずはないと、私は勝利に確信を深めています。

私たちの有罪が最高裁で確定されたとき、読売新聞は社説で「布川事件も、えん罪事件の定型的な要素を含んでいる」と批判しました。「事実関係、アリバイ、目撃証言、物証、供述など、疑問に満ち満ちている」と言っています。
あれから30年、読売新聞社説が指摘した疑問は、総て正しいことが証明されました。更に、今や疑惑は膨らんで捜査官による証拠の捏造が行われたことを示す数々の事実が発見されているのです。

 先日、宇都宮地裁で足利事件の再審請求が棄却されました。報道された通り、DNA鑑定に誤りがあるから再鑑定して欲しいという願いは、全く無視されました。それだけではありません。弁護団が刑務所から請求人の髪の毛を得て、DNA鑑定の誤りを指摘した意見は、「請求人のものか疑問があるから判断する必要はない」と門前払いでした。冤罪に対する裁判所の姿勢、裁判官の感覚の鈍さ、ここに日本の冤罪の元凶を見る思いでいます。

この夏ころにも高裁での判断が示されそうな布川事件ですが、真実に対して愚鈍な裁判所が相手では勝利も容易ではないと思います。しかし、どのような判断が示されたとしても、私は、警察と検察による犯罪行為の責任を取らせるまで闘い続けるつもりでいます。