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浦和充子事件
Y.M.記

 日本国憲法62条は、「両議院は、各々国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる」として、衆議院と参議院の「国政調査権」について定めています。「国政調査権」とは、各議院が、自らの権能である法案や予算案の十分かつ実質的な審議を行うために、あるいはまた、行政権に対して実効的な統制を行うために、その前提となる事実について調査を行う権限のことをいいます。
 しかしながら、「国政調査権」も、無限定に行使できるという性質のものではありません。つまり、他の国家機関に憲法で割りふられている権限の行使に対して不当に介入するような「国政調査権」は、権力分立制原則からも認められないことになります。とりわけ、このことは、裁判所の裁判内容や判決との関係で問題になります。この点が争われたのが、1948年に埼玉県で発生した無理心中事件に関する判決を疑問として、参議院法務委員会が「国政調査権」を発動した浦和事件です。

 そもそもこの事件の発端となったのは、1948年4月7日に埼玉県北葛飾郡で母親が3人のわが子を殺害してその後に自殺を試みたものの、死にきれず翌朝越ヶ谷町署に自首したという事件でした。この母親は、自分の夫が同居もせず家のことも顧みず、さらには家屋などを含む全財産を勝手に処分したりするなど夫の素行にかねてから悩まされており、将来を悲観してついに犯行に及んだといいます。同年7月2日、浦和地裁は、犯行動機の情状を酌量してこの母親に対して、懲役3年(執行猶予5年)の判決を下したのでした。

 しかし、この判決に対して思わぬ方向から異議が出されます。1949年3月30日、前年の5月から刑事裁判の運用実態に誤りがないかどうかについて調査してきた参議院法務委員会が、3人もの命が奪われたにもかかわらず温情判決となったこの浦和事件に注目し、犯行を犯した母親を始め担当検事などを証人として召喚したのでした。そして、ここでの調査を踏まえて同委員会は、浦和事件の判決はあまりにも刑が軽過ぎて失当なものである、とする調査結果をまとめ上げたのです。

 ところが、同年5月20日、今度は最高裁から、こうした参議院法務委員会の行為に抗議する声明が出されます。それによれば、裁判を行う司法権は憲法上裁判所に与えられた専権事項であるにもかかわらず、参議院法務委員会が裁判の内容や判決に口を出すような調査を行ったことは、「司法権の独立を侵害し、まさに憲法上国会に許された国政に関する調査(国政調査権)の範囲を逸脱する措置といわねばならない」というのでした。
 そして、その4日後の同年5月24日、参議院法務委員会の方から、この調査は確定判決に関するものであるから司法権の独立を侵害するようなものではないし、逆に訴訟外で最高裁が憲法についての意見表明を行った行為こそが越権行為であるとの応酬がなされたことで、「国政調査権」のあり方がクローズアップされることになったのです。

 この事件は、権力分立制の意義と重要性についても改めて浮き彫りにしました。司法権の独立という観点からみても、やはり国会が裁判所による裁判内容や判決の当否について「国政調査権」に基づき批判を行うことは、やはり望ましくないといえるでしょう。
 これまで「国政調査権」は、政治家などによる贈収賄事件で発動される機会もありましたが、これについては必ずしも期待されるような実績を上げられず、むしろ「国政調査権」が形骸化しているなどとする指摘もなされています。昨年の参議院選挙によっていわゆる「ねじれ国会」が生まれ、本来の民主制に根ざした議会政治が期待されている今だからこそ、政治を明るくする「国政調査権」の適正かつ活発な行使が求められているといえるでしょう。

<コメント>浦和事件をめぐって思いうかぶこと

青木 清(埼玉県在住・法学館憲法研究所賛助会員)

 浦和事件については、清宮先生の「憲法T」を通じて初めて知りました。私の年齢がわかってしまうようで嫌なのですが、学生時代、この本は、宮沢先生の「憲法U」とともに、憲法を学ぶ者の基本書でした。(注)の中で、この事件にふれておられたと記憶しています。
 この事件以後、国政調査権がかかる形で行使されたことはありませんし、学説もおおむね最高裁の立場を支持しているものと思います。今日、司法権の独立については、司法府内での裁判官への干渉の方が問題ではないでしょうか。
 また、参議院が問題にした刑の不均衡については、1969年1月2日の新年参賀の際、「ヤマザキ、天皇を撃て!」と叫びながら、天皇に向かって、パチンコ玉4発を撃った事件で、犯人が1年半の実刑判決をうけ、最高裁でも上告棄却され確定したことが、思い起こされます。神の座から人間に下りた筈の天皇に対する暴行事件にしては、重すぎる。情状としても、ニューギニアに置き去りにされたあげく、餓死したに違いない戦友の無念を晴らすための行為であったというのですから。
 いずれにせよ、司法の独善は困りますが、それを正していくのは、国民の意思しかないのでしょう。アメリカの歴史学者、ハワード・ジンが書いているように、アメリカの最高裁で「分離すれども平等」が違憲と判断されたのは、裁判官があらためてアメリカ憲法を勉強しなおしたからではなく、人間としての尊厳を踏みにじられた黒人をはじめとする、広汎な市民の運動の成果だったのだと考えるのです。
 法、即ち正義、即ち人類の「希望」であるといいかえることが許されるならば、魯迅の次の言葉があてはまると思います。
 「思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道となるのだ」と。