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富山編(2)

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富山冤罪再審事件
Y.M.記

 一般の市民が刑事裁判の審理に参加する2009年からの「裁判員制度」の始動を前にして、「冤罪」をテーマにしたシンポジウムなどが、様々な分野で頻繁に開催されるようになってきました。冤罪に対するこうした市民的な関心の高まりもあり、憲法MAPでもこれまで冤罪事件を多く取り上げてきています。このような事情を推進した背景には、近年頻発した冤罪事件の存在がありました。2007年に鹿児島県の「志布志事件」と並びクローズアップされた富山県冤罪再審事件も、冤罪をめぐる問題に改めて一石を投じた事件です。

 2002年1月と3月、富山県氷見市で婦女暴行事件と同未遂事件が発生しました。そして、同年4月15日、氷見署は、当時タクシー運転手だった柳原浩さんを、3日間任意で朝から晩まで事情聴取した上で逮捕しました。柳原さんは逮捕後一旦容疑を否認しますが、後に再び犯行を認めるようになります。その裏には、後でも述べるように、柳原さんに対する警察の恫喝的で誘導的な取り調べの実態があったのです。
 柳原さんは両事件で起訴され、同年11月27日、富山地裁高岡支部は、柳原さんに対して懲役3年の実刑判決を言い渡しました。柳原さんは控訴せず、これにより有罪判決が確定、以降柳原さんは2005年1月13日に福井刑務所を仮出所するまで服役することになるのです。

 ところが、柳原さんが出所後の2006年11月、別の強制わいせつ事件で鳥取県警に逮捕されていた無職の男が、これらの事件について自供します。これを受けて、2007年1月、富山県警と富山地検が誤認逮捕であったことを認め柳原さんに謝罪、ここにこの事件が柳原さんへの冤罪事件であったことが明るみに出たのです。
 同年2月9日、富山地検高岡支部は、富山地裁高岡支部に対して柳原さんの再審請求を行いました。そして、同年10月10日、富山地裁高岡支部は、柳原さんに対して無罪判決を言い渡します。逮捕から約5年もの時を経て、柳原さんの無実がようやく証明された瞬間でした。

 しかし、柳原さんの無実が証明されたといっても、これですべてが解決したわけではありません。柳原さんが失ったかけがえのない時間が、これによって返ってくるわけではありません。しかも、柳原さんの父親は、柳原さんの無実を知ることもないまま無念のうちに亡くなられています。
 ここでなによりも問題にしなければならないのは、柳原さんに対して自白を強要した捜査の実態です。取り調べを担当した氷見署の刑事は、検事や裁判官の前で容疑を一旦否認した柳原さんを怒鳴りつけた上、白紙に「今後ひっくり返すようなことは一切いいません、氷見警察署長殿」と書かせて署名と拇印を強制しています。また、柳原さんの母親の遺影をもたせて自白を強要したり、柳原さんの家族が「やったに違いない」といっているという作り話を聞かせて柳原さんに精神的な苦痛を与えたりしたことも判ってきています。これは「志布志事件」でとられた捜査手法とうりふたつです。
 さらに、警察による証拠の捏造などの事実も浮き彫りになってきました。実際には、柳原さんが事件発生の時間帯に別の場所にいたことを証明する電話の通話記録や、現場に残された靴の跡が柳原さんのサイズとはまったく違うものであったという明白な証拠が存在していました。それにもかかわらず、警察と検察はそれらの事実を無視して虚偽の事実をでっち上げたのです。そして、これは富山県弁護士会も今年3月28日に出したこの事件の調査報告書の中で認めていることですが、柳原さんが否認から自白に転じた経緯を弁護人が十分に吟味しなかったことも、問題であったといえるでしょう。結果として、今回の悲劇の原因がこれら各者の自白偏重的な姿勢にあったという点は、決して見逃されるべきではありません。

 冤罪は、日常的に誰の身にも降りかかってくる危険性を秘めています。決して「対岸の火事」ではありません。そうした冤罪を根絶するためにも、公権力による捜査のあり方を市民が厳しく監視できるシステム作りが、裁判員制度の始動を前に、今緊急に求められているといえます。

<コメント>富山冤罪事件について思うこと

岩場達夫(司法書士・富山県在住・法学館憲法研究所賛助会員) 

富山の冤罪事件について県弁護士会の調査報告書が3月28日公開され、その内容が新聞で報道されました。それによると冤罪を生んだ問題点として捜査機関による「客観的証拠の無視」や「自白の強要」を挙げ、「取調べは真実の発見がみじんも見られない」と批判。取り調べの全面可視化や検察が持つ証拠の全面開示などを求めています。また、1回しか接見することができない当番弁護士制度の見直しや、柳原さんが否認から自白に転じた経緯を弁護士が確認すべきだったことを指摘しています。但し、弁護士については過失があったとまでは言えないとして処分はしない見解です。

 当時、冤罪であることが明らかになってからは、毎日のように報道されていました。その中で、当初、担当した弁護士は、「接見した時にはすでに自白していた」といっていました(1月20日の読売新聞)が、その後、逮捕直後の接見では柳原さんは弁護士に対して「やっていない」と語っていた(1月23日の朝日新聞)との報道がなされました。弁護士会の報告書で否認が自白に転じた経緯を確認すべきであったと言及していることは、弁護士は柳原さんが否認していたことを認識していたのでしょう。そうであれば弁護士の行為を不問にするのではなく、何らかの処分を課すべきではないでしょうか。弁護士会の決定は甘いといわざるを得ません。

 冤罪が後を絶たないのは、刑事裁判に職業として関わる警察官、検察官、弁護士そして裁判官において「冤罪は絶対にあってはならない」との考えが徹底されていないからではないでしょうか。冤罪の当事者としては、人生が不当に変えられてしまい、最悪では命まで失ってしまうことになります。取り返しのつかないことになるのです。たまたま運が悪かったでは済まされない人権侵害の最たるものです。
 したがって、冤罪を起こさないための制度作り、例えば取り調べの全面可視化などは当然に必要でしょう。しかし、もっと緊急に取り組むべき課題は、刑事裁判に職業として関わる者に対する、冤罪を起こさないための徹底した人権感覚涵養の再教育です。冤罪防止のための制度的担保とそれに関わる人間としての資質の担保の両方が必要ではないでしょうか。

 一方、マスコミなどにおいて逮捕イコール有罪との報道姿勢も問われるでしょう。またテレビドラマなどで取り調べの刑事が被疑者を怒鳴ったり、暴力を振るったりしている場面がよく出ますが、それを日常的に見せられると疑問に思わないようになってきます。たとえ罪を犯したことが明らかな場合であっても、理不尽な暴力を振るわれてよいわけはありません。
 それらマスコミやテレビに影響される一般の国民の感情にも問題があります。
 来年5月21日に実施が決まった裁判員制度において国民が裁判に参加することになります。刑事裁判に職業として関わっている専門職の人権感覚がこの程度のなか、裁判員となる一般の人々が冤罪を防止する機能を果たすことが期待できるか大いに疑問です。裁判員制度は、国民の人権感覚を十分養った上で実施すべきであって、それまでは当分の間延期すべきだと思います。