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石川

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住基ネット差し止め訴訟
Y.M.記

 2003年8月25日から、住民基本台帳ネットワーク、いわゆる「住基ネット」の本格稼働が開始されました。住基ネットとは、住民基本台帳に記録されている国民ひとりひとりに11桁の数字からなる「住民票コード」という番号をつけて、地方自治体と行政機関がその個人を特定する情報を共有し、一元的に管理するシステムです。具体的には、市町村、都道府県、総務大臣が指定した財団法人である地方自治情報センター、そして国の行政機関のコンピューターを電気通信回線で相互に結び、個人の本人確認情報(住民票コード、氏名、生年月日、性別、住所)や本人確認情報の変更履歴を、それぞれが共有して利用しようというものです。一見すると、この制度には、例えば個人が転出や転入手続を効率よく行うことができたり、また一般的な行政事務も円滑かつ迅速に進むといったメリットがあるようにも思われます。しかしながら、より重要なこととして、そこには個人のプライバシー権がこれまで以上に侵害される契機が潜んでいる点を見逃してはなりません。垣根なく公権力に共有されるようになった個人情報は、これまでよりもはるかに流出の危険性が高まり、また「防衛庁リスト事件」(憲法MAP新潟県を参照)でみられたように、不透明な行政機関内部において悪用される可能性だって出てくるのです。

 プライバシー権は、古くは「ひとりで放っておいてもらう権利」などといわれてきました。日本の憲法学でも、憲法上には明記されていないこのプライバシー権を、日本国憲法13条の「幸福追求権」に含まれるものとして捉え、具体的には「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」という判例上の定義づけがしばしば援用されてきました。
 しかし、高度情報化社会が進んだ現在では、プライバシー権を、これまでの議論に加えて、個人が自分自身の個人情報について主体的に公開・非公開の決定を行う権利をもつという、いわゆる「自己情報コントロール権」として捉える考え方が有力となってきています。つまり、こうしたプライバシー権の捉え方からすれば、住基ネットは、まさに「自己情報コントロール権」を侵害する疑いが濃厚になるわけです。

 この点がまさに争われたのが、石川県の住人28名が、住基ネットの違憲性を訴えて国、石川県、地方自治情報センターに対して損害賠償を求めた裁判でした。原告の住民らは、住基ネットが、原告らのプライバシー権としての自己情報コントロール権を侵害しているだけではなく新たに侵害する危険性をもち、また原告の氏名権や「公権力による包括的管理からの自由」をも侵害しており、そしてこれらの権利は憲法13条によって保障されることから、原告らの住基ネットからの離脱及び本人確認情報提供の差し止めと、原告ひとりにつき22万円の損害賠償を求めたのです。
 2005年5月30日、金沢地裁は、損害賠償の訴えは退けたものの、住基ネットの対象とする本人確認情報が自己情報コントロール権の及ぶものと認め、司法判断としては初めて、住基ネットから原告らの個人情報を削除するよう命じる画期的な判断を行ったのです。しかし、2006年12月11日、名古屋高裁金沢支部は、自己情報コントロール権の存在は認定しつつも、公権力が正当な理由に基づき、本人確認情報を収集、管理、利用することは「公共の福祉」による制限として許されるとして、1審金沢地裁判決を取り消し、住民側の訴えを棄却したのでした。

 住基ネットの差し止めを求める訴訟は、これまで全国で10を超える件数にのぼっています。2006年11月30日には大阪高裁が、金沢地裁判決に続いて住基ネットに関する限定的な違憲判断を行っています。しかし、住基ネットに関する司法判断は、全体的にまだまだ錯綜している状態にあるといえるでしょう。高度情報化社会におけるプライバシー権については、市民の側でも敏感な感覚と理解を深めていくことが、今後の課題となっていくように思われます。

<寄稿> 問われる司法の憲法感覚

岩淵正明(石川県在住・住基ネット差止め金沢訴訟弁護団)

 住基ネットのシステムを自己情報コントロール権侵害として訴えている住基ネット差止め訴訟は、13地裁(15訴訟)で449名の原告により起こされていた。金沢地裁判決は、そのトップを切った判決であった。
 金沢地裁判決には、憲法感覚に富んだ判断が多々ある。
 一つは、自己情報コントロール権を初めて明文で認めた点である。
 又、一般的には公開されることが多い氏名・住所などを含めて、本人確認情報が自己情報コントロール権の対象となるとした点や、住民票コードは単なる番号ではなくデータマッチング・名寄せのマスターキーとなるとして重視している点もすぐれた判断であった。
 更に、プライバシーの権利よりも行政の便益の方が価値が高いとする行政の論理で、住基ネットを住民に押し付けることはできないとし、行政の効率化より、憲法上のプライバシー権を重視した判断も特質すべき点である。
 しかし、金沢地裁判決の核心をなす判断は、人格的自律についての判断である。
 判決は、住民票コードをマスターキーとしてデータマッチング・名寄せがなされると、住民個々人の多面的な情報が瞬時に集められ、比喩的に言えば、住民個々人が「行政機関の前で丸裸にされるがごとき状態」になる。そうなると、住民一人一人に萎縮効果が働き、個人の人格的自律が脅かされるとしている。この判断は、住基ネットの本質的危険性を正確に指摘したものであり、かつ憲法上の判断としては、自己決定の側面を強調しており、高く評価できる点であった。
 金沢地裁判決の翌日、名古屋地裁は、愛知県在住の住民らによる同種の訴訟で、原告らの請求を棄却する判決を言渡した。
 この2つの判決を比較して、全国28の新聞が社説を掲載したが、金沢地裁判決を肯定的に評価した社は、朝日・毎日・東京等25社で、否定的な評価を明確にしたのは、読売、産経、北國(石川県)などごくわずかにとどまった。金沢地裁判決は、世論により、圧倒的に支持されたのである。
 その後、控訴審である名古屋高裁金沢支部判決は、原告逆転敗訴としたが、金沢地裁が認めた本人確認情報を使用したデータマッチングについては、職員が法律の定めを遵守する限りはあり得ないとして、データマッチングの危険性を否定した。この点は、誠に形式的な判断であった。
 名古屋高裁金沢支部判決の直前に大阪高裁が違憲判決(この判決は、金沢地裁判決の論理を踏襲している。)を出していた。
 これらの3つの判決を比較すると、担当した裁判官の憲法感覚の鋭さ、にぶさがそのまま判決にあらわれているといえる。我々は上告し、現在最高裁での審理を続けているが、最高裁の憲法感覚が問われるところである。