法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

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大津事件
Y.M.記

 日本国憲法76条3項は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定しています。さらに、日本国憲法は、最高裁判所の規則制定権(77条1項)、行政機関による裁判官の懲戒処分の禁止(78条後段)、最高裁判所による下級裁判所裁判官の指名(80条1項)などにみられるように、裁判所という機関を他の国家機関から徹底的に分離し、独立したものとして構成する仕組みをとっています。これが「司法権の独立」と呼ばれる法原則です。
 では、なぜこのような法原則が採用されるに至ったのでしょう。それは、いうまでもなく、裁判官が時の政府や国会などから簡単に圧力や干渉を受けてしまうような立場にあるとすれば、公正な裁判などは望むべくもないものになってしまうからです。また、裁判所がひとつの機関として独立した組織構成をとることができないとすれば、政治が裁判所の人事行政などを通じて裁判に介入してくるのを可能としてしまうことにつながり、やはり公正な裁判は覚束ないものとなってしまうといえるでしょう。つまり、法に従った公正な裁判の確保にとって、「司法権の独立」は、いわば必然的な絶対条件であるということになるのです。

 このように、日本国憲法では、徹底した「司法権の独立」がはかられています。しかし、日本国憲法成立からさかのぼること55年も前、日本ではまだ「司法権の独立」という考えがそれほど明確ではなかった明治憲法の時代にあって、裁判官が政府の裁判干渉から「司法権の独立」を守り抜いた注目すべき事件がすでにあったのです。その裁判官の名は児島惟謙(こじま・いけん)。そして、その事件は、発生地にちなんで「大津事件」と呼ばれています。

 事件の発端は、1891年5月11日、滋賀県大津市で、来日中であったロシア帝国のニコライ皇太子が、警備にあたっていた津田三蔵巡査にサーベルで斬りつけられ負傷したことに始まります。事は深刻な外交問題へと発展する様相を呈し、当時の列強であったロシアの報復を恐れた日本政府は、津田巡査を死刑に処することで問題の解決を図ろうとしました。けれども、ここでまず問題となったのが、津田巡査を死刑にするために政府が適用を検討した旧刑法116条です。この規定は、大逆罪と呼ばれていたもので、日本の天皇や皇族に対して危害を加えたりそれを計画した者を死刑とするという内容になっていました。つまり、大逆罪は、あくまでも日本の天皇や皇族を対象としたもので、当然のことながら、この事件でのように他国の皇太子に対する危害までをも射程に入れたものではなかったのです。しかし、当時の政府内では、この規定に従って(あるいは最悪の場合、法に基づかなくとも)津田巡査を死刑にせよ、という声が圧倒的でした。

 こうした政府による強硬な主張や要求を敢然とはねのけ、後に「護法の神」とまで呼ばれるようになったのが、今の最高裁判所長官にあたる時の大審院長・児島惟謙です。児島院長は、津田巡査の死刑を求める政府の声を司法に対する不当な干渉であると非難し、旧刑法116条は外国皇族についての規定ではないからこれを適用することはできないとして、一般人に対する殺人未遂罪にあたる旧刑法292条の謀殺罪の未遂罪(112条)を適用すべきであると主張したのでした。当時の大審院には大逆罪を審理するための特別裁判部(1審にして終審)という部署がありましたが、そこで政府は、この事件を大逆罪が適用される犯罪事件ということにして審理するよう大審院特別裁判部の裁判官を説得する方策に出て、大審院特別裁判部は起訴受理決定を行います。しかしながら、これを知った児島院長は、この行為は「司法権の独立」を破壊するものであると激しく非難し、大審院特別裁判部が開かれることになっていた大津地方裁判所を自ら訪れます。そして、担当裁判官ひとりひとりと直接面談し、上記の自らの主張を訴えて説得を行っていったのです。その結果、5月27日、事件発生からわずか約半月というスピードで、大審院特別裁判部は、津田巡査に対し謀殺未遂罪として無期懲役の判決を下したのでした。

 先述もしたように、この事件によって児島院長は、「護法の神」とまで呼ばれ、「司法権の独立」を死守した裁判官として後世にまでその名声が語り継がれています。時の政府からの圧力をはねのけて、あくまでも法に従った公正な裁判を確保しようとした点は、現在においても、十分評価されるべきでしょう。しかしながら、問題なのは、この裁判の直接担当にはなかった当の児島院長自身が、担当裁判官に強力な働きかけを行い、裁判の結果にまで結びつくような干渉を行ったということです。これは、「司法権の独立」の一側面である「裁判官の職権の独立」(冒頭の日本国憲法76条3項を参照して下さい)に真っ向から反する行為であったといえます。とはいえ、日本では天皇主権体制の下で権力分立の観念が未成熟であったこの時代に、児島院長が裁判官としての威信をかけて、政治の干渉から裁判の独立を維持する姿勢を貫いたという事実は、単なる歴史的エピソードとしてだけはなく、今なお留意されるべき価値を有し続けているといえるかもしれません。

<投稿> 『司法権はいまだ独立せず!?』

宇田賢一(滋賀県在住・法学館憲法研究所賛助会員)

 「大津事件」は解説の通り、司法権の独立が守られた歴史上の事件として中学校の歴史の教科書にも載っている有名な事件であるが地元ではひっそりと記念碑が立っているぐらいで近所の人たちでもその深い意味は知られていない。
 私はかねてより、『司法権の独立』について懐疑的である。特に最高裁判所の構成について考えてみるとき、疑わざるを得ない。果たして、Y.Mさんが解説でいうような憲法で確保されている徹底した「司法権の独立」が現実社会においても確保されているだろうか?
そもそも、日本国憲法においては、三権分立(憲法41条,65条,76条)を立憲主義の必須の要素として取り入れているが、その内容として最高裁判所の長は内閣が指名することになっている。(憲法6条第2項参照)。
 そして、最高裁判所の長を除く裁判官は内閣が任命権を有している(憲法79条第一項参照)。また、日本においては議院内閣制をとり国会の多数派によって内閣総理大臣が指名される(憲法67条)。

 さて、賢明な会員の方々は、すでにお気づきのことは思うが、以上のべた図式だけを考えていけば、法律を作成する機関である国会の多数派が内閣総理大臣を選び、その総理を首相とする内閣が、司法の砦たる最高裁判所の長や他の裁判官を選ぶことになる。とすると、時の国会の多数派に不利に働くような判断をしないような、ある意味で色のついた裁判官を、最高裁の多数となるような人選をすることが考えられる。
 このことは、過去の憲法判断を見れば明らかである。
 特に印象深いのは、公務員の労働基本権について争われた事件である『全農林警職法事件判決』(最高裁判決昭和48年4月25日)での合憲判決(判例変更)である。
 詳しいことは、紙面の都合で割愛させていただくが、この判決が出るまでは国家公務員の労働基本権を重視し個別の事例ごとに判断していたが、この判例を境にして最高裁判所の態度が反動化し、公務員の労働基本権の行使を一般的に一律限定して解釈するようになる。以後、同様の事例の最高裁判断で公務員の労働基本権の制約に関して合憲の判断が続く。
 大統領制をとり、日本の違憲立法審査権の元となったアメリカにおいても時の政権大統領に不都合な判断がされないような判事の人選が行われるという。

 たしかに、司法権の独立は、少数者の人権を守ることが最大の目的である裁判所において最重要視されなければならないことである。
 しかし現実に司法権は独立を保っているであろうか。最近の最高裁の判決の数々を見れば明らかに政権与党よりの判断である。
 私たちが重視しなければならないのは、日本国憲法上確保されているはずの司法権の独立が、条文上の解釈や内容とは別のところで、『司法権の独立』と正反対の運用がなされているこの現実である。『司法権いまだ独立せず』である。

 話は変わるが、政府は、集団的自衛権の行使について有識者からなる諮問委員会をたちあげたそうである。さて、有識者は中立的な立場の人たちだろうか。それとも・・・・?いわずもがな・・・・・・!

 ―――――――宇田賢一さんのプロフィール――――――
 現在、司法書士受験生(2年前までは司法試験受験生)。産婦人科勤務医を配偶者に持つ3人の子持ち。専業主夫。43歳。