法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp


 

大阪(2)

一覧表へ>>
扇町公園住民票訴訟
Y.M.記

 日常生活を営む中で「住所」が果たしている役割は、大きなものです。なぜならば、現行法上、主権者としての重要な基本的人権である選挙権を行使するためには、住所がなければならず住民登録されていなければなりません(公職選挙法21条1項参照)。また、国民健康保険への加入、生活保護や年金の受給といった社会権としての公的サービスを受ける場合はおろか、パスポートや運転免許証の取得、銀行や郵便局の預金口座の開設、あるいは現在の日常生活において必要不可欠なものとなりつつある携帯電話の契約などにも、住所の存在は欠かせないものとなっています。
 けれども、その一方で、住所がないためだけに本来個人が認められるべきこうした基本権や日常的な便益の享受を受けられない人たちも存在しています。いわゆる「ホームレス」と呼ばれる人たちがそうです。ここで紹介する事例は、ある男性が以上のような現状から日頃生活している公園を住所として登録しようとしたところ、それが市から認められなかったので公園を住所として認定すること求めて争った事例です。

 その方の名前を仮にXさんとしておきましょう。Xさんは、大阪市北区にある扇町公園で数年来テント生活をしてきました。Xさんは、パスポートを取得する必要上、ある支援者宅を住所として登録していました。ところが、この支援者が電磁的公正証書原本不実記載幇助罪で逮捕されてしまいます。それに伴い、大阪市北区長は、Xさんの住民登録を削除しようとしました。これを受けて、Xさんは、やむを得ずこれまで数年間住んできた扇町公園を住所として転居届を提出します。ところが、北区長は、公園は公共的な場所でありそこに私的な工作物を設置することは住所として認められない、としてXさんの転居届を受理しなかったのです。
 これに対し、Xさんは、住民基本台帳法において住所認定にあたり求められるのはそこに「生活の本拠」があるという客観的な事実のみであることからすれば、これまで数年来テントで寝起きし郵便物を受け取ってきた扇町公園は、まさに住所としての「生活の本拠」に他ならないとして、2005年3月16日、ついに提訴に踏み切ったのです。

 そして、2006年1月27日、大阪地裁は、扇町公園を住所として認めるとしてXさんの主張を全面的に支持する画期的な判断を行いました。
 裁判所によれば、住所とは「客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かにより決すべきもの」であり、Xさんのテントの所在地は、これに該当するものと認められる。他方で、被告である北区側は、Xさんのテントは一時滞在用で撤去も可能なものであって、このような定着性の不安定な状態を住居たる客観的な事実とは認められないとする。しかしながら、そうした住居の形状は住所認定のためのひとつの資料になることはあっても、だからといって「その一事をもって直ちに当該場所が生活の本拠たる実体を欠くことになるものではない」。さらにいえば、確かに原告であるXさんは、扇町公園を占有する権利を有してはいない。けれども、その事実は、住所を認定する「客観的事実としての生活の本拠たる実体の具備とは本来無関係というべきであ」る。
 以上のように、大阪地裁は、扇町公園内におけるXさんの住所を認めたのでしたが、しかし、2007年1月23日、控訴審である大阪高裁は、「健全な社会通念」なるものに基づいて、Xさんの請求を退ける逆転判決を下しています。

 大阪地裁によるこの判決をめぐっては、その直後に非常識であるというような批判的な論調が多く示されました。しかし、上述もしたように、注意しておかなければならないのは、この判決は、決して扇町公園におけるXさんの占有権を認めたものではなく、あくまでも占有権がなくても住所として登録することは認められると判断したものであるということです。
 こうした批判的な論調の背後には、いわゆるホームレスと呼ばれる人たちへの偏見や排除の意識があるように思われます。さらにいえば、そのような人たちに対する公的な支援の不徹底さも、以上のような意識を助長させているようにも考えられます。例えば、ホームレス対策としてシェルターやセンターなどが用意されているのに、それに入居もせずに野宿生活を送っているのは、単なるわがままではないのかなどという声もきこえてきます。
 しかしながら、こうしたシェルターなどの自立支援施設の入居できるのは約2ヶ月程度であって、その間に安定した就労場所をみつけるのは事実上困難であり、しかも再入居もままならず、その間にテントなどこれまでの居住スペースは完全に撤去され、野ざらしで生きていくという以前よりも過酷な状態に身を置かざるをえなくなる、といった指摘もしばしばなされています(笹沼弘志「生存権裁判とホームレスの人々の市民権」『賃金と社会保障』1416号(2006年4月下旬号)、4頁以下などを参照)。
 ワーキングプアやネットカフェ難民の存在が問題とされる中、同じ人間としての視点に立ち、自分自身の問題として、こうした問題の背後にあるものをもっとみつめていく必要があるように思われます。