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堀木訴訟
Y.M.記

 朝日訴訟(憲法MAP岡山編)に次いで、日本国憲法25条の「生存権」論をめぐって各界の関心を巻き起こし、さらなる一石を投じたのが、堀木訴訟と呼ばれる事件です。

 この事件で原告となる堀木フミ子さんは、全盲の視力障害者として国民年金法に基づく障害者福祉年金を受給していました。一方、堀木さんは、夫と離婚した後、次男を養育していく立場にもありました。そのため、1970年2月、堀木さんは、当時の坂井時忠兵庫県知事に対して、児童扶養手当法に基づく児童扶養手当の受給資格の認定を請求します。しかし、知事側は、翌月これを却下する処分を行いました。同年5月、堀木さんは、これについて異議を申し立てましたが、知事側はその翌月、児童扶養手当法には他の公的年金を受給している者については児童扶養手当を支給しないと定める規定(4条4項3号)があり、堀木さんはこの場合に該当するので支給は認められないとして、堀木さんの請求を退けたのでした。
 そこで、堀木さんは、県知事を相手取り、児童扶養手当法のこの併給禁止規定が日本国憲法14条の平等条項や25条の生存権条項等に反するとして、受給資格認定請求の却下処分取り消しを求めて裁判を起こしたのです。

 1972年9月20日、第1審の神戸地裁は、児童扶養手当法の併給禁止規定が日本国憲法14条1項に反するとして、堀木さんの請求を概ね認めましたが、1975年11月10日の第2審大阪高裁判決では、堀木さんの主張が退けられ、この併給禁止規定は合憲であるとの判断が下されました。ちなみに、第2審判決の特徴的な点は、日本国憲法25条の保障内容を1項と2項に分離して解釈し、1項で生活保護法による公的扶助制度のような「救貧政策」が保障され、2項で本件において問題となっている障害者福祉年金や児童扶養手当のような「防貧政策」が保障されるが、2項の「防貧政策」は国会の広い裁量によって定められることから、余程のことがない限り裁判所の司法審査の対象とはならない、としたことです。しかし、第2審判決のこのような解釈については、批判的な見方も多いようです。

 そして、堀木さんは最高裁に上告しました。しかし、1982年7月7日、最高裁は、堀木さんの請求を全面的に退け、この訴えを棄却したのです。最高裁は、第2審判決のような25条1項2項峻別論は採らなかったものの、大要、(1)日本国憲法25条の「趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられて」おり、また、(2)「社会保障給付の全般的公平を図るため」本件で問題となっているような「公的年金相互間における併給調整を行うかどうか」も「立法府の裁量の範囲に属する事柄」であるとして、社会権及び生活保障の実現に関しては国会の裁量権(「立法裁量」と呼びます)によるところが非常に大きいとしたのでした。

 けれども、社会権及び生活保障の実現をほぼ無制約的な国会の立法裁量に委ねてしまったこと、そしてほぼ司法審査の途を閉ざしてしまったこのような最高裁の姿勢には、ある種の任務放棄の感も否めません。これでは日本国憲法25条は画餅に等しい代物となってしまうことでしょう。むしろ、今後重要なのは、社会権及び社会保障の実現には予算上の関係から立法裁量が及ぶことを認めた上で、個別具体的な場面でその裁量の範囲を確定させていく裁判所の努力であるように思われます。

<投稿>『日本国の「くにのかたち」と「堀木訴訟」』
    
兵庫県在住の一市民(citizen)(法学館憲法研究所賛助会員)

 ライオンが子ウサギをもてあそんでいるように見える。人間様 もチンパンジー科人    間なのだとの思いを新たにした:全盲の視力 障害者で夫と離婚して以来全力を尽くして次男を養育している堀木フミ子さんとご子息を、昭和45年から昭和57年の長期にわたり待た せた挙句の果ての冷淡な論述の判決。冷淡さは論外、裁判官が熱心に仕事をしておれば数ヶ月で結論を出せた事件であると私は思う( 迅速でない裁判の弊害)。

 徒然草の『御前なる獅子・狛犬そむきて後ろ様に立ちたりけれ ば、上人、いみじく感じて「深き故あらん」と言ふ』に『神官「さがなき童べどもの仕りける、奇怪に候ふことなり」と言ふ』という 説話に似たり: 裁判官が関連法令の整合性を熱心に解説しているが、原因は、単に、役人が関連法令の整合をしないまま、夫々の縄張りのなかでてんでばらばらに法律案を作成しただけであると私は思う(内閣・官吏の法律案提出権の弊害)。

 強い市民にも、弱い市民にも、憲法14条1項の趣旨が生かされていないとの思いを新たにした:同じ母子世帯でも、健康な母であれば児童扶養手当が支給されるのに、堀木さんのような障害者の 母には児童扶養手当が支給されない。この点、裁判官が、立法府の 裁量権との一言で片付けているのはいかがなものか、いわゆる「厳格な合理性」の基準で違憲審査をなすべき事案であると私は思う(形式裁判の弊害)。

 日本国の「くにのかたち」が、憲法の趣旨に従い、運営されておれば、堀木フミ子さんとご子息への支援は、国民全員の税金ないし余裕のある市民の堀木さんへの個人的寄付金により、ごく自然になされており、訴訟事件に発展していないと私は思う(国民性の弊害)。

(参考文献:浦部法穂先生の「全訂憲法学教室」 井上薫先生の「司法のしゃべりすぎ」戸松秀典先生の「憲法判例百選第四版」139ページ。芦部信喜先生の岩波セミナーブックス21「憲法判例を読む」ジュリスト「憲法の争点」)